30話
村長の顔色が変わると同時に、彼は凄まじい剣幕でアリーセを怒鳴りつけた。
「貴様に何がわかるっ! 昨日まで魔術を学んでいた娘が、ある日突然魔女になったのだ! 次々と村人を襲い、無抵抗の者が何人も殺されたっ……!」
老人の血走った目が、今にもこぼれ落ちそうなほど見開かれる。血の気の引いた唇がわなわなと震え、その日の恐怖を思い出しているようだった。
「魔女が姿を消してからも、皆の恐怖は消えない。次に誰が魔女になるかもわからない中、どうして魔術をっ……魔術師なんぞを信じられると言うのだ!」
何十年経っても消えない恐怖が、不安が、老人の怒りとなって飛んでくる。
肌をひりつかせるような強い感情を真正面から受け止めたアリーセは、彼の震えが移ったように唇を戦慄かせた。
「だから……魔術師を、殺したのね……?」
今にも泣き出しそうな少女の問いに、老人はぐっと言葉を飲み込んだ。
血が滲むほど唇を噛み、言葉を探すように視線を巡らす。しかし、彼が吐き出したのは小さな肯定だった。彼は誤魔化すことをせず、静かに罪を認めた。
「そうだ。だから、この村に魔術師は来ない。教会も派遣を諦めた以上、他の町の魔術師が来ることもない」
諦めろ、と冷たく告げる村長。その言葉はどこまでも絶望的で、アリーセの力ではどうにもならないことを示していた。
しかし、小さな手は力強く杖を握りしめる。
老人が閉めようとした家屋の扉を、再びアリーセの手がこじ開けた。その隙間から覗く深緑の瞳は、微かな熱を帯びている。
「嫌です。諦めません」
先ほどまで震えていたのが嘘のように、少女は言い切った。真正面から老人を見つめ、決して譲らないと言うように。
「なん、だと……?」
「私がここで諦めたら、今度こそブルースト村はおしまいです。精霊から見捨てられ、滅びを待つだけの村になってしまいます」
魔術とは、精霊の力を借りて起こす奇跡だ。
魔術を切り離すということは、精霊を切り離すということ。
世界の中心であり、万物の始まりである精霊を切り離してしまったら、そこにはもう何も残らない。
人は、奇跡の力無くして生きていけるほど、強い生き物ではないのだ。
「貴方に魔術がいらなくても、マリアには必要です。ここで暮らす、他の村人達にもです」
邪険にしながらも、彼らはアリーセの診察を拒まなかった。見習いであっても、魔術師が必要なのだと薄々わかっていたのだろう。
過去の過ちに怯える村長の気持ちを、年若いアリーセは理解できない。だからこそ、彼女は目の前の困っている人々を見捨てられなかった。
老人の顔が険しく歪む。への字の口が忌々しそうに「何故だ」と問いかける。
「何故そこまでして、村人を救おうとする? お前はただ、人を探しに来たのだろ?」
「ええ、そうです。私はこの村に師を——エヌマエルという名の魔術師を探しにきました」
「なら……」
言い淀む村長。彼の言いたいことを、アリーセはよくわかっている。目的があるのなら、人助けをしている暇はない。
わかっている。わかってはいるが……
「魔術師とは、人の為に存在する『精霊との交渉役』である」
全ての教本——その冒頭に記された文言を、アリーセは口にする。魔術師ならば幾度も目を通し、脳と心に刻まれた筈の言葉だ。
ぴたり、と老人の動きが止まった。稀有なものを見るような目でこちらを見下ろす相手に、アリーセは少し困ったように笑う——笑うしかない。
「私は魔女ではありません。魔術師です。……魔術師は、人の為にあらねばならないのです」
アルノルドは森に住む魔性生物と人とを棲み分けさせる管理人だ。
カーリンは過去を探究し、今に活かす研究者だ。
ヨハンナは国に仕え、王族を守護する守り人だ。
役割や思想は違えど、彼らもみな『人の為』に生きている。
ならば、アリーセがエヌマエルを探すのは?
もちろんユピトルに魔術師を呼び戻すという大義を掲げることはできる。しかし、本当のところ、この旅は誰のためでもない。
ただ一人、寂しさを我慢できなかったアリーセ自身のためだった。
なればこそ、アリーセは引けない。
自分勝手に出た旅ならば、その先でくらい誰かの為に生きなければ……そうでなければ、師にも母にも合わせる顔がなかった。
少女の言葉に、村長は静かに眉根を寄せる。
「……なら、お前が魔女でない証拠を見せてもらおうか」




