24話
中心街に入り、最初にアリーセが向かったのは、手紙をくれた魔術師のところであった。
ヘルツはシャルロッテとの接触を推奨したが、アリーセにも通すべき礼儀がある。
本来ならば何ヶ月もかかる筈の審査が数日で済んだのは、通行書を送ってくれた魔術師のおかげだ。きちんと礼を言わなければならない。
そういうわけで、アリーセは城壁から数キロ離れたエリアに立っていた。
送られてきた手紙の住所と、目の前の建物を見比べるアリーセ。恐る恐る、ヘルツに問いかけた。
「ここ……だよね?」
『はイ。記された住所と一致していまス』
アリーセが戸惑うのも仕方がない。彼女が辿り着いたのは、今にも崩れそうなボロボロの平家だった。
(……ここ、中心街だよね?)
彼女が疑うように、その平家を除いた住宅はいずれも大豪邸。土地代だけでも、アリーセが何十年も働いてやっと手に入れることのできる額だろう。
そんな大邸宅に囲まれた、場違いな家。壁は朽ち、トタンの屋根は錆だらけ。くすんだ蔦があちこちに絡み、手入れがまるで行き届いていない。
本当にここかと、アリーセが疑ってしまうのも無理からぬことだ。
しかし、いつまでも迷っているわけにはいかない。アリーセは意を決して、色褪せた木の扉をノックした。
『………………応答なシ』
「お留守かな?」
『室内に生体反応有リ……強行突破しますカ?』
「しないよっ!?」
おっかしいなぁ、と首を捻りながら、何度も封筒の裏を確認するアリーセ。
当然、書いてある文字に変化はない。現在地を示す住所に『ハンネ』という短い走り書きの名前が——女性らしい、柔らかい線で描かれていた。
出直すべきか否か逡巡していると、突然、カリカリと扉を引っ掻く音が聞こえた。十センチほど開いた隙間から顔を覗かせたのは、一匹の黒猫だ。
わ、とアリーセが声を上げるや否や、猫が室内に向かってにゃあと鳴く。
途端、何かの倒れる音がした。
「な、何事ーっ!?」
思わず扉を勢いよく開けたアリーセ。途端、むわっとした異臭が広がる。中に広がっていたのは、とんでもない汚部屋だった。
板の打ち付けられた窓に、役目を果たしていない吊りランプ。真っ暗な室内で、大量に転がる酒瓶。詰まれた本や紙束には、茶色いシミができており、紙が皺々になっている。
口の閉じた特大のゴミ袋が三つに、開いたのが二つ。どれもパンパンに物が詰め込まれている。
そして、おそらく先ほどの音はコレだろう。倒れた止まり木とひっくり返った餌の器。
その近くで、一人の女性がうつ伏せになっていた。広がる真っ赤な髪を見た時、アリーセの顔は一気に青ざめた。
「だだ、大丈夫ですか!?」
「あいたたた……起こし方が少し乱暴に過ぎやしないかい?」
彼女はゆっくり体を起こしながら、女性にしては低い声で言った。困惑するアリーセの傍に、バサリと羽音を立てて止まったのは一羽の大鴉だった。
「ひゃあ!」
「ああ、驚かなくていい。余程のことがなけりゃ、突いたりはしないさ」
髪を掻き上げ、気だるげに言った彼女は、ふと気付いたようにアリーセを見る。そして、ぱちくりと目を瞬き、不思議そうに言った。
「…………誰だい、アンタ?」
ガクッと肩を落とすアリーセ。すっとぼけたことを言った本人はぐびぐびと水を飲み、さっさとカーテンを開けに行ってしまった。
部屋を明るくし、テーブルと椅子をゴミ山から発掘した後、ようやく二人は向かい合わせに座った。もちろん止まり木も起こし、餌入れには新しい菜っ葉と水が入っている。
女性はからからと屈託なく笑い、アリーセに淹れたばかりブラックコーヒーを差し出す。
「いやあ、悪かったね。昨日はちょいと深酒しちゃって……客にも気付かなんだ!」
「い、いえ……」
「モンドとテルンもありがとね。起こし方は雑だったが、おかげで目覚めスッキリさ」
「……目覚められて良かったです、本当に」
当たりどころが悪かったら……と思ったが、アリーセはすぐに考えるのを止めた。
それよりも、と目の前に座るラフな格好の女性を見上げる。
燃えるような赤い長髪に、垂れ気味な翠の目。控えめに置かれた右の泣きぼくろが、快活な彼女を少しだけ蠱惑的に見せている。
彼女の名はヨハンナ=ローレ=マーリン。
アリーセに手紙を寄越した人物であり、アリーセの知る数少ない宮廷魔術師の一人だった。
「ハンネでいいよ。アンタの母さんも、エヌマエルの坊やもそう呼ぶからね」
ぐいっと開けたばかりのワインを飲みながら、ヨハンナは言った。
「は、はあ……では、ハンネ様。まずは中心街への紹介状、ありがとうございました。本当に助かりまして……」
「あーあー、そういう堅苦しい挨拶は王宮だけで十分さ。本題に入っておくれ」
「え、ええ……? で、では……師匠——白魔術師エヌマエルの件で伺ったのですが……」
「ああ、そのことね。ハイハイ、事情は手紙で読んだよ。返事が遅れて悪かったね。そこいらの山に埋もれてて、気付かなんだわ」
やはり快活に笑うヨハンナ。その合間にも、ワイングラスの中身は見る見るうちに無くなっていく。凝視する視線に気付いたのか、ヨハンナは「アンタもいるかい?」と聞き、アリーセは慌てて首を横に振った。
二杯めを注ぎながら、彼女は赤ら顔で話を戻す。
「残念だけどね、坊やのことはよく知らんよ。数年前に訪ねてきたきりで、それ以来音沙汰がなくてね」
「そうでしたか」
「まあ、あの坊やのことだから、早々のたれ死んだりはしないさ。それより、この後はどうするんだい?」
意気消沈するアリーセに、ヨハンナは赤ら顔で問いかける。呆れた顔の黒猫——モンドが無言で水の入ったグラスを押し出した。が、ヨハンナは手をつける様子はない。それどころか、アリーセから微塵も視線を逸らさなかった。
アリーセが戸惑いながら、えっと、と言葉を紡ぐ。
「どうやら、師匠の目的が母の研究にあるようなので……一度会いに行ってみようかと……」
口籠もりながら、続けて母の居場所を訊こうとしたアリーセ。しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。
「シャルロッテ? あの子なら、何年も前に宮廷魔術師を辞めたけど?」
さらりと放たれた言葉に、アリーセは思わず絶句した。




