23話
手紙を読んだハンスは袖で目元を拭い、数日前に別れた魔術師見習いを思い出す。
彼女もゲルダも、それぞれが向き合うべきものに向かって進んでいる。なら、自分も変わらなければ。
そう思い、少年は手紙を片手に走り出す。今度こそ、この屋敷には戻って来ないと心に決めて。
少年が手紙を受け取る数日前。
少女の後ろをガシャガシャと歩きながら、ヘルツはずっと不思議に思っていたことを口にした。
『アリーセ。人は何故、手紙を書くのですカ?』
「え?」
高い位置にある顔を見上げ、アリーセは聞き返す。ヘルツは『ですから』と同じ言葉を繰り返した。
『そもそも、ハンスの手紙にはゲルダが心配だ、会いたいとしか書いてありませんでしタ』
「そうだね」
『そのくらい、窓に向かって叫べば良いでしょウ。あの距離なら、手紙は届かなくとも、声は届きまス。カーテンの向こうにも、生体反応がありましタ。おそらく、ゲルダでしょウ。彼女はずっと、ハンスのことを見ていましたヨ』
う〜ん、と再びアリーセは唸った。受け取った許可証を手に城壁を潜りながら、どう告げるのが正しいのだろうと頭を抱える。
ハンスの手紙は確かに何の変哲もない、ありふれた内容だった。
お世辞にも綺麗とは言えない文字で記されたその手紙が、どういった経緯で書かれたのか、どうしてあそこまでして届けたかったのか。細かい事情は、ただ居合わせただけのアリーセにはわからない。
しかし、目の前で期待する赤い光は、昨日見た少年の輝きとよく似ている。散々悩んで、アリーセは「もしかしたらだけどね」と前置いた。
「ハンスは、ゲルダに言葉を残してあげたかったのかも」
『言葉を……残す?』
「口にした言葉は、形に残らないから。だから、再会できても、できなくても……ゲルダの人生に、自分がいて、伝えたい言葉があったんだよって。そういうことを、形に残したかったんじゃないかなぁ」
わかんないけど、と自信なさげに付け足すアリーセ。
ハンスの書いた手紙はとても稚拙だっただろう。しかし、懸命に書かれたその文字には、確かな温もりを感じた。
赤い光がピカピカと明滅し、アリーセは困ったように眉を落とす。
「人はね、いろんな理由で手紙を書くんだよ。言いにくいことを相手に伝えたい時や、時間をかけて言葉を綴りたい時。……声が届かないほど、人が遠くにいる時」
アリーセの脳裏に浮かんだのは、エヌマエルの羽織る白いマント。しかし、その先にあったのは、自分と同じ——金色の豊かな髪だった。
幼い頃、アリーセは一度だけ母に手紙を書いたことがある。エヌマエルに頼み込んで、鳩を飛ばして貰った。
しかし、待てど暮らせど、返事は来ない。きっと仕事が忙しいのだろう、とエヌマエルはアリーセを励ましてくれた。
それ以降、アリーセは一度も母に手紙を送っていない。
(あの時の手紙……何を書いたんだっけ?)
他愛もないことのような気もするし、大事なことのような気もする。それすらも、アリーセの中ではあやふやだった。
アリーセの話を聞いて、ヘルツはますます混乱したようだ。チカチカと目の明かりを瞬かせながら『よく、わかりませン』と言った。
「いいんじゃない、それでも。……そのうちヘルツにもわかる日が来るよ」
『そうでしょうカ?』
「うん。きっとね」
にっこりと笑って、アリーセは再び前を向いた。少女の歩みは止まらない。
しかし心の中だけは、今一度、別れたばかりの少年を振り返る。
ハッキリとは口にしなかったけれど、彼の心にある小さな恋心を感じたアリーセ。不器用な手紙の中に、その文言はなかったけれど、彼の思いが報われればいい。
そう祈りながら、少女はゴーレムと共に次の目的地へと歩を進めるのだった。




