22話
「《我らが隣人たる精霊よ。彼の想いを飛ばす我らに風の力を貸したまえ》」
凛とした少女の声と共に、ハンスの指先から紙飛行機が放たれる。しかし、勢いに反して、しわくちゃな紙飛行機は不安定に揺れた。
その瞬間、アリーセの起こした風がヨレヨレの機体をそっと支えた。
ふわりと浮かび上がるよれよれの飛行機が、青空の下、懸命に飛んでいく。空の中を泳ぐように、小さな紙の飛行機が飛んでいく。
あともう少し、あともう少し……と二人の眼が、白い姿を追いかける。ひしゃげた先端がバルコニーの端にかかり、ふっと魔術が解けた時——少年少女は互いの顔を見た。
「やったぁあ……!」
「バカッ……大声出したら、また怒られるだろ! 見つかる前に行くぞ!」
興奮のまま叫び出しそうになった瞬間、ハンスが叱咤する。
アリーセは笑顔を隠せないまま大きく頷き、どちらともなく手を繋いで駆け出した。ハンスの堪えきれない高揚が、熱いくらいの手の温度で伝わってきた。
ヘルツの待つ宿まで走った二人は、途中から笑いが止まらなくなっていた。きゃあきゃあと子供特有の甲高い笑い声を響かせながら、アリーセとハンスは手を取り合って喜んだ。
特に、ハンスの興奮は著しかった。
「凄いな、お前! 見習いなんて言ってたけど、ちゃんとした魔術師じゃん!」
キラキラとした目でアリーセを見上げるハンス。その無邪気な眼差しに、アリーセはむず痒さと居た堪れなさを、同時に覚えた。あんなへろへろの魔術で、こんなにも喜ばれるなんて、と。
だがしかし。
それでも、ありがとうと笑うハンスの顔を見た時、アリーセの胸に広がる熱が、確かにあった。じんわりと温まる心中に、アリーセは確信を持つ。
(やっぱり……私は誰かの為に魔術を使いたいな)
弾けんばかりの笑みを見つめ、アリーセは胸元に手を当てる。
ドキドキと、初めて魔術を使った日のように脈打つ心臓。その存在を手のひらに感じ、アリーセは喜びを噛み締めた。
それから、二人の子どもとヘルツは約束通り王都巡りをした。
王都の観光案内は、貧民街の子どもの立派な収入源だ。手慣れた様子で紹介するハンスに、アリーセは繰り返し拍手を贈った。
そして、日が暮れる頃——ハンスはぽつりとアリーセに訊ねた。
「なあ、アリーセはまだこの街にいるのか?」
「え?」
「もし、ゲルダが俺の手紙を読んで……もし、また俺と遊んでくれたらさ」
お前にも会わせたいんだ、とはにかむように笑うハンス。
アリーセは一瞬だけ固まり、すぐに視線を合わせるよう腰を曲げた。
「ごめんね。私、明日には中心街の方へ行かなくちゃいけないの」
「それって……もう、会えないってこと?」
アリーセはフルフルと首を横に振った。
手袋を外し、ひと回り小さくなった手でハンスの頭をぐりぐりと撫で回す。わわっと声を上げる年下の少年に、アリーセはお姉さん振るように言う。
「ハンスが大きくなったら、ゲルダを連れてユピトルにおいでよ。その時までに、私も一人前の魔術師になってるから」
「……そしたら、俺のことを弟子にしてくれる?」
ボサボサになった髪を押さえながら、ハンスはむくれたように訊ねた。アリーセは少し困ってしまったが、すぐに「考えとく」と曖昧な返事をした。
「それじゃあ、仕方ねぇな。ゲルダに会わせるのはまた今度な」
「うん、楽しみにしてるね」
別れの挨拶を交わす二人。大きく手を振り合い、彼らは別れた。
だから、アリーセは知らない。数日後、ハンスに一通の手紙が送られたことを。住所不定の彼に宛てられたその手紙は、ゲルダの家の前に貼り出されていた。
手紙の内容はこうだった。
『お手紙ありがとう。会いたいって言ってくれて、本当に嬉しかった。だから、私も勇気を出して、貴方に手紙を書きます。
まずは、突然会いに行けなくなって、ごめんなさい。貴方と会ってから、しばらく調子の良かった体調が、急に悪化してしまったの。
お母さんは、貴方に移されたって思ってるけど、私は知っています。貴方に初めて会った時、私はすでに病気にかかっていました。あの日、医術師の先生が仰っていたもの。
お母さんは、第三医術師の先生にかかるため、中心街に引っ越すと言っているわ。私は何度も嫌だと言ったけど、私の体を治すためだからと、聞き入れてもらえなかったの。
貴方がこの手紙を読む頃、私はもう中心街に引っ越しているでしょう。
貴方が何度声をかけてくれても、窓から顔を出せなかったのは、貴方の顔を見たら泣いてしまいそうだったから。本当にごめんなさい。
でも、きっと貴方は優しいから、こんな私でも許してくれるのでしょうね。
だから、私も約束するわ。必ず体を治して、元気になったら貴方に会いに行く。たとえお母さんに反対されても、絶対に。
その時は、また私と一緒に遊んでくれますか?
私のことを、まだ好きだと言ってくれますか?
私は言うわ。何度でも。
本当に、本当に——貴方のことが、心の底から大好きよ!』




