19話
そんなわけで、二日間の余暇ができた。
「王都なんて滅多に来ない場所だし……少し観光しようか」
宿に荷物を置き、アリーセはヘルツと共に王都観光に出掛ける。
屋台で食事を取り、出店で奇妙なアクセサリーを冷やかす二人。広場で曲芸を観たり、新しい帽子を合わせてみたり……そんな楽しい時間を過ごした。
初めに顔を出した魔術工房でヘルツを見せびらかすと、店主は腰を抜かすほど驚いたので、逆に慌ててしまった。
そして、あっという間に半日が過ぎた。
「はあ、色んなところに行ったね。たくさん歩いたから、少し疲れちゃったよ」
『お疲れですカ? 宿に戻りますカ?』
「う〜ん……でも、時間的にはまだ早いし。せっかくだから、もう少し楽しみたいよね?」
伺うように見上げれば、ヘルツは『私の持ち主はアリーセですかラ。アリーセが決めてくださイ』と言う。アリーセは少し不満げに、もう、とヘルツの装甲を軽く叩いた。
少し休憩、とその辺のベンチに座るアリーセ。ヘルツが隣に立つと、たちまちベンチが陰った。
「……ヘルツも座ればって思ったけど……ベンチが抜けちゃうか」
『ベンチの一般的な耐荷重は、およそ二百キログラム。私の重さでは、ペシャンコでス』
「絶対に座らないで」
真っ青な顔で注意するアリーセに、ヘルツは短く『御意』と返事をした。
暫しの休憩を経て、アリーセは再び散策を始める。彼女の小さな足は、観光客が集まる大通りから、王都に住む居住区の方へ伸びて行った。
「なんか、立派なお家が増えてきたね」
『ここは観光地から少し離れた、閑静な住宅街。市民街の中でも、比較的富裕層の住む居住区だと予測されまス』
へえ、と感嘆するアリーセの目に、一人の少年が飛び込んだ。
アリーセよりも二つ、三つ幼い少年。眼前に聳え立つ邸宅を見上げ、クリクリとした栗色の目でじっと二階のバルコニーを睨みつけていた。煤けた髪は四方八方に跳ね、そばかすだらけの顔には泥が跳ねたままになっている。
そして、固く握られた小さな拳には、小さな石が握られていた。
(……石?)
アリーセが違和感を抱いた瞬間、少年は握った拳を大きく振り被った。
「わ、わああああ!」
閑静な住宅街ということも忘れ、アリーセは慌てて少年に飛びかかる。ぎゃあ、とカエルが潰れたような鳴き声が辺りに響いた。
「いってぇっ! どけよブス! 重たいんだよ!」
わあわあと少年の喚く声が、静かな住宅街に響く。少年の暴言にショックを受けながら、アリーセは言われた通りに少年の上からどいた。
しかし、彼が振りかぶっていた腕はしっかりと掴んだまま。
離せよ、と暴れる少年にアリーセは戸惑いながらも言葉を返す。
「ひ、人の家の窓を割ったら、犯罪だよ」
「はあ?」
何言ってんだ、と言いたげな顔をする少年。しかし、アリーセの視線が自分の手元に向いたので、彼は慌てて「誤解だよ!」と手のひらを広げた。
そこにあったのは、確かに石だった。しかし、石に何かが巻きついている。
「紙?」
「手紙だよ。普通に投げたんじゃ、あそこまで飛ばなくてさ」
少年の視線が、バルコニーを向く。同じように見上げ、アリーセは納得する。
この辺りの邸宅は、豪華さや開放感を演出するため、天井が高く設計されている。天井が高いということは、二階の位置も通常より高い。子供の腕で投げたのでは、軽い手紙じゃ届かないだろう。
「普通に送れば? 配達所に頼めば、すぐでしょ?」
そう尋ねれば、少年は大きく首を横に振るった。
「ここの母ちゃん、俺のことが嫌いなんだ。……俺が、汚いから」
ボソボソと、バツが悪そうに話す少年。先ほどの大声が嘘のようだった。うまく聞き取れず、アリーセが「え?」と聞き返すと、少年はパッと顔を赤くする。
「なんでもねぇよ、ブスっ!」
「ぶっ……!?」
アリーセがショックを受けている間に、暴言を吐いた少年は背を向けて駆け出した。慌てて声をかけるも、彼はあっという間に曲がり角の向こうに消えていってしまう。
残されたアリーセは、ガックリと肩を落とした。
「な、なんなのさ、もぉ〜……」
情けない声が無人の路地に落ちる中、ヘルツは励ますように肩を叩いた。
翌朝、アリーセは再び同じ路地に向かった。ヘルツが『このあたりは昨日観ましたヨ』と言ったが、アリーセの目的はもう観光ではなくなっていた。
「なんかね、あの子のことが気になって……」
『気になるとハ……? 具体的に何がどうなるのですカ?』
「難しいことを言うね……」
う〜ん、と頭を捻ったアリーセは「何か、事情がありそうと言うか、困っていそうと言うか……」と言葉を絞り出す。
頭を傾けるアリーセと同じように傾き、主人の困惑に同調するヘルツ。ピカピカと光る赤い目が、交互に忙しなく動いた。
その様子が何だかおかしくて、アリーセは小さく吹き出す。ヘルツがますます困惑した。
「とにかく、私にできることがあるかもしれない。そう思ったの」
『できること、ですカ』
わかりませン、と素直に答えるヘルツに、アリーセは「それでいいよ」と笑む。
空に向かって伸びる杖の先についた小さな飾り。チリン、と涼やかな音を奏でるそれを見上げ、アリーセは言った。
「これは、魔術師の直感だから」
そう言って笑ったアリーセ。しかし、ゴーレムのレンズに映る自分を見て、アリーセはふっと顔を翳らせた。
人助けは、魔術師の本懐。
これは魔術協会から支給される基礎教本にも載っていることだ。
しかし、アリーセは先日出会った様々な魔術師を思い出し、考えが揺らぎ始めていた。これまで自分が全く教わらなかった考えで生きる魔術師がたくさんいることを、アリーセはまだ飲み下せずにいる。
何が正しく、何が間違いなのか。幼いアリーセには、まだ判断がつかなかった。
それでも、アリーセの歩みは止まらない。足を止めたら、揺らいだ気持ちの中にドボンと落ちてしまい、這い上がれなくなってしまいそうだったからだ。
最初は寂しさからユピトルを飛び出したアリーセだった。
しかし、今は違う。
(師匠と話がしたい。……魔術師って、なんなんだろう?)
深緑の目を瞼の裏に隠し、深呼吸を一つ落とす。
何はともあれ、まずは目の前の『できること』をしなければ。そう意気込んで、アリーセはマントを翻した。




