1話
王都エルデーアに着いたのは、アリーセが故郷であるユピトルを離れて二日目の夜だった。その日はまっすぐ宿に向かい、あっという間に寝落ちてしまった。
そして翌日、改めて街に降り立ったアリーセは、感動を露わにする。
「ひ、久しぶりの王都だぁ!」
街を行き交う人々。行商がひっきりなしに出入りし、誰も彼もが忙しない。
子供達がアリーセのすぐ脇を駆け抜け、慌てて道の端へと避ける。途端、馬車がガラガラと地面に轍を引いた。
アリーセはキョロキョロと周囲を見渡す。露店が並ぶ表通りは、歩いているだけで目移りしてしまいそうだ。
しかし、本日の目的地は魅力的な商品で溢れる露店ではない。アリーセはここに、情報を集めに来たのだ。
意を決して、路肩に店を構える焼き菓子売りに声をかける。
「あのう、すみません。この辺りに魔術工房はありませんか?」
「魔術工房……? そりゃ、あるけど、専門は?」
「え、あっ……えっと……」
「……迷ってんなら、斡旋所に行きな。あそこなら、目的に応じて案内してくれるだろうさ」
店主はそう言って、また忙しそうに仕事に戻る。アリーセは、ぽつねんと立ち尽くした。
こんな時、エヌマエルがいたら迷うアリーセの手を優しく引いてくれただろう。あるいは、どうしますか、と判断を委ね、思考を進めてくれたかもしれない。
だが、今、アリーセは一人だ。
ざわざわとする心臓を落ち着かせるよう、ぎゅっと目を瞑る。店主に頭を下げ、その場から逃げ出すように離れた。
とぼとぼと街を歩きながら、アリーセは右に左に視線を泳がせた。斡旋所に向かおうかとも考えたが、すぐに思い直す。
アリーセの目的はエヌマエルの知人に彼の行方を訪ねることであって、魔術師に泣きつくことじゃない。これは自分のための旅なのだと。
握った拳でこめかみをぐりぐりと刺激して、かつて師匠と共に歩いた道のりを思い出す。確か白い壁に木製の扉、そしてラベンダーの描かれた看板が表に出ていた。
同時に、ふわりと草花の匂いが蘇り、アリーセの脳裏にエヌマエルの声がよぎった。
「彼は第二魔術工房を営んでいます。そこは薬草の卸売もしていますから、ついでにいくつか貴重な薬草を分けてもらいましょう」
ハッと目当ての店を思い出し、アリーセは再び脇目も振らずに駆け出した。
ようやく彼女が工房を見つけた時、太陽は天辺まで昇りきっていた。
「あ、あったぁ〜……!」
ほっと息を吐くと同時に、喉が少しヒリついた。思い返せば、アリーセは朝食以降、何も口にしていなかった。夢中になると、すぐにこれだ。
用事が終わったら何か胃に入れようと決め、アリーセは、達成感を胸に扉を押した。
リリン、と涼やかなベルの音がして、奥からパタパタと見覚えのある顔が出てくる。
「いらっしゃいませ。今日はどんな御用ですかな?」
丸い小さな眼鏡をかけた、初老の魔術師だ。彼はアリーセを見ると、おや、と小さく眼鏡を押し上げた。
アリーセは小さく頭を下げる。
「ご無沙汰しております。白魔術師エヌマエルの一番弟子、アリーセです」
「ああ……覚えているとも! あの小さなお嬢さんが……そうか、そうか。もうこんなに大きくなったのかい」
「あはは、お陰様で」
まるで親戚の子の成長を喜ぶようなその声に、アリーセは苦笑い。大人のこういう反応が、一番困るのだ。
それで、とさっそく本題に入る相手に、アリーセはピンと背を伸ばす。はい、と思いの外大きな声が出た。
「実は、師匠のことでご相談がありまして……」
恐る恐る切り出した話に、彼はレンズの向こうでパチクリと目を瞬いた。
アリーセの話を聞いた老人は、なるほどなぁとボヤき、古びたカウンターに腕を乗せた。彼が動く度、嗅ぎ慣れた薬草の苦い香りが周囲に漂った。
魔術師はポケットからハンカチを取り出し、眼鏡の曇りを拭う。
「師匠がどこに行ったか、知りませんか?」
アリーセの問いに、彼はゆるゆると首を振った。
「申し訳ないが、ここ最近はとんと姿を見なくてね。最後に来たのは、それこそ一年よりもずっと前さ」
「そうですか……」
「力になれなくて、申し訳ないね」
「とんでもない! むしろ、お時間をいただいてしまって申し訳ないくらいです!」
「ははは、礼儀正しい子だ。昔のエヌマエルに見せてやりたいくらいだよ」
え、とアリーセが意外そうな声をあげる。しかし、同時に目の前の魔術師が「ああ、そうだ」と何かを思いつく。
そして、おもむろに傍らの卓上ペンを引き寄せた。
「王都——特に、中心街にはエヌマエルの知り合いも多い。彼らなら、きっと何か知っているかもしれないね」
「中心街、ですか? でも、あそこは……」
警備が厳重で、と尻込みするアリーセに、彼は「大丈夫、大丈夫」と笑う。
「中にいる知り合いがいるんだ。紹介状をくれるよう、頼んであげるよ。普通に通ろうと思ったら、何ヶ月もかかってしまうけど、中から招いて貰うと審査も楽で早いんだ」
「し、知らなかった……!」
「ふふふ、王都に住む人でも、一部の人しか知らない裏ワザさ」
老人は片目を瞑り、手紙を書き上げる。蝋を垂らして封を閉じると、彼はそれをアリーセに差し出した。
「悪いけど、うちの白鳩は出ていてね。二本通路を挟んだ向こうに、配達所がある。そこから出すといい」
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと跳ねるように頭を下げるアリーセ。今にも飛び出しそうな少女に、老人は眩しそうに目を細めた。
「気を付けて行くんだよ。それじゃあ、精霊の導きがありますように」
「ありがとうございます。貴方にも、精霊のご加護あれ!」
別れの挨拶を交わし、アリーセは工房を飛び出した。




