17話
カーリンは細く息を吐き、静かに言った。
「連れてお行きなさい」
それは、青年に対する言葉ではなかった。魔術師たちが彼を引き連れていく。
彼の魂の叫びは依然続いているにも関わらず、カーリンは眉一つ動かさない。それどころか、肩の荷が下りたと言わんばかりの態度だった。
「さあ、貴女も帰りましょう。妙なことに巻き込まれて、随分と時間を食ったでしょう?」
まるで青年の叫びなど聞かなかったような態度に、アリーセは気分が悪くなった。
叫ぶようにカーリンの名を呼ぶと、彼は当たり前のように「どうかしましたか?」と問いかける。レンズの向こうにある目は、変わらず感情を映していない。
「彼の話は、本当なのですか……?」
「魔術実験の話ですか? ええ、本当ですよ」
あっさりと頷かれ、アリーセは言葉を失う。しかし、カーリンは淡々と話を補足する。
「我々、古代魔術師が何故滅びた魔術を学ぶのか。それは、過去を学び、未来に活かすためです。かつて栄えた魔術には、栄えただけの理由がある。滅びた原因を解明し、それだけを取り除けさえすれば、古代魔術は新たな魔術として生まれ変わる。……違いますか?」
カーリンの言葉は尤もだ。
しかし、
「そのための犠牲は……仕方がない、と?」
「水を沸かすには、火に薪を焚べなければなりません。何かを得るためには、何かを損なうのが自然の摂理です」
さあ戻りましょう、と背を向けるカーリン。
言葉にできない感情の吐き出し方を、アリーセはまだ知らなかった。
アリーセが工場に戻ると、モーゼスは泣きながら出迎えてくれた。別れ際にカーリンから預かった被害品を返すと、彼はアリーセをキツく抱きしめた。
「そうか……そいつは大変な話を聞いてしまったのう」
その晩、アリーセが事件の顛末を話すと、モーゼスは深く頷いた。
部屋を貸してくれると言う彼の言葉に甘え、アリーセはこれまで続いた緊張の糸を、機械油の臭いで満ちた工場で解く。体は疲れているのに、頭だけは休むことを拒絶しているようだった。
そんなアリーセに、モーゼスは蜂蜜をたっぷりと入れたホットミルクを用意してくれた。特有の甘さが、アリーセの心に刺さった棘を僅かに優しくする。
「お母さんの研究は、間違いだったんでしょうか……?」
ぽつりと、こぼれ落ちた小さな問い。モーゼスはコーヒーで汚れた口髭を拭い、真剣な声色でアリーセの名前を呼んだ。
「勘違いしちゃあならん。シャルロッテがゴーレムを作ったのは、それが人の助けになると信じたからじゃ。ワシらのような夢想家の話を聞き、当時、決して実現できないとされた自律型機械の作成を試みた。ただそれだけなんじゃ」
悲しみに満ちた深緑の眼差しが、静かに語る老人を見る。出会った頃よりも、ぐっと年老いて見える彼の言葉を、アリーセは無言のまま促した。
モーゼスの瞳が、ランプの火でゆらゆらと揺らめく。
「シャルロッテは誰も憎んどらんし、傷付けようとも思っとらん。あの子は、ただ知りたかっただけなんじゃ。人の可能性を、そして、魔術の可能性を」
「……その結果が、誰かを傷付けることになっても?」
「もちろん、その過程で生まれた兵器もあるじゃろうて。古代魔術の研究には、ワシら技師や魔術師だけじゃない——錬金術師や宮廷の人間も関わっておった」
じゃが、と揺らめく瞳が、アリーセの深緑を見る。
「あの子がゴーレムを生んだのは、誰かを傷付けるためじゃあない」
まるで、その奥にシャルロッテがいるかのように。
アリーセは静かに視線を落とし、カップの中を見た。しかし、ミルクに映る虚像はぼんやりとしており、シャルロッテの姿を見せてはくれなかった。
「……お母さんは、どんな人ですか?」
乳白の水面を見つめ、訊ねる。そうさなあ、と呟いた老人はそのまま言葉を閉ざしてしまったが、アリーセには少しその気持ちが理解できた。
その夜、布団の中で瞼の裏に母の姿を思い描いた。
いつもは光り輝く美しい姿の彼女が、何故か今日ばかりは、青年の語る悪魔のような魔術師の姿を取る。その恐ろしい姿に、アリーセは幾度も想像上の母を描き直した。
東の空が明るくなる頃、アリーセはようやく深い眠りの中に落ちていった。
翌日の昼、ようやっと起きてきたアリーセに、モーゼスは「おそよう、寝坊助さん」と笑う。
同時に、その言葉がいつも母に向けられていたことを理解する。シャルロッテも朝が弱かったのだと、アリーセは初めて知った。
「見い、アリーセ。コイツが昨日、お前さんが守ったものじゃ」
モーゼスはアリーセを工場に呼び出すと、そう言ってゴーレムを再起動させた。
魔具核から魔力が流れる音がする。ゴゥゴゥと聞き慣れぬ駆動音が響き、一対のレンズの奥で、瞳のような赤い光が灯る。鉄が軋み、ゴーレムの頭部が僅かに傾いた。
汽笛のような音がしたと思ったら、突然、背後から蒸気が吹き出し、周囲の温度を僅かに高める。
「わっ……!」
思わず尻餅をつく。そんなアリーセに、ゴーレムはゆっくりと手を差し伸べた。
『……だい、じょうぶ……ですカ?』
明らかに人間と異なる声が、ゴーレムの内側から発せられた。アリーセの小さな口が、あんぐりと開く。
「喋っ……た……?」
「がっはっは! どうじゃ、驚いたじゃろう!」
嬉しそうに笑うモーゼス。我に返ったアリーセが、すごいすごいと頬を紅潮させる。
モーゼスは満足そうに笑うと、慈しむような目でゴーレムを見上げた。
「コイツを、お前さんにやろうと思ってな」
「え……?」
突然の申し出に驚き、モーゼスを振り返る。彼のしわくちゃな手が、固いゴーレムの体を撫でた。
「ワシがどれほど語ろうと、ワシの知るシャルロッテの全てをお前さんに教えることはできん。じゃが、コイツといれば……シャルロッテがどんな気持ちでコイツを生み出したか、少しはわかるじゃろうて」
アリーセは「でも」と言葉を遮った。
「このゴーレムは、モーゼス様の大切なものじゃ……!」
「ああ、そうだとも。だからこそ、意味があるんじゃないか」
モーゼスはアリーセに小さな鍵を渡した。それは、ゴーレムの心臓部——魔具核が仕舞われている、内部機関の鍵だ。
「もし、コイツに何かあったら、この鍵を持ってシャルロッテに会いに行くといい。あの子なら、きっと何とかしてくれる」
暖かな手が、アリーセの小さな手を鍵ごと握りしめる。アリーセは、自身の目頭が熱くなるのを感じた。
ボタボタとこぼれ落ちる少女の涙に、モーゼスは困ったように微笑み、二度目の抱擁を交わす。
暖かな老人の腕の中で、アリーセは母に会いに行こうと、心に決めた。




