10話
翌朝、アリーセはどうやって小屋まで戻ってきたかを思い出せなかった。ただ、朝起きたらきっちりと足が固定され、宛てがわれた部屋のベッドに寝ていた。
「先生が負ぶさって帰ってきたんだ」
「歩くのが危ないくらい、フラフラしていたからね」
朝食の席で、二人からそんな話を聞き、アリーセは顔を真っ赤にした。自分の知らない痴態に、穴があったら入りたいと思うほどだ。
しかし、そんなアリーセをアルノルドは大袈裟に称えた。
「君がいなかったら、スクォンクは連れ去られていただろう。君が気づいてくれたお陰だ。本当にありがとう」
深々と頭を下げるアルノルドに、アリーセは慌てて両手を振る。
「わ、私、何もしてません! 結局、アルノルド様が来てくださらなかったら、私もスクォンクも今頃……」
アリーセの脳裏に、男たちの声が蘇る。寒気が背筋を這い上がり、体がふるりと震えた。
俯けた視線の先で、きらりと琥珀が光る。アリーセはハッと思い出し、慌ててロルフを呼んだ。
「そうだ。これ、返すね」
ありがとう、と告げると、ロルフは静かに頷いた。琥珀を受け取りながら、彼はじっとアリーセの手を見つめる。
「ボロボロだな」
「えっ……ああ、転んだからね」
大した傷じゃないよ、と取り繕うアリーセ。しかし、ロルフは渋面を作った。
「ロルフくんは悔いてるんだよ。君を置いて、一人逃げ帰ったことを」
アルノルドの言葉に、ロルフが悔しそうに唇を噛んだ。ええっと思わずアリーセは声を上げる。
「逃げ帰るだなんて、そんなっ……! あの時は、あれが最適でした。少なくとも、私一人では小屋までの道がわからなかったし、それに……」
「そう捲し立てなくても、みんなわかっているさ。……ただ、それでもロルフくんは悔しかったんだよ」
男の子だからね、と笑うアルノルドに、ロルフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
よくわからないアリーセは、怪訝な顔で二人を見比べる。対照的な師弟の様子に、なんと言って良いのかわからなかった。
困惑する年下の少女を前に、ロルフは大きなため息を吐く。それから、少し席を外すと小さな薬入れを手に戻ってきた。
「やる」
「これは……?」
「スクォンクの涙で作った傷薬だ。大体の怪我はこれで治る」
昨晩の話を思い出し、目の前のそれが決して安価なものでないことを理解する。アリーセは慌てて両手を背中の後ろに隠した。
「も、貰えないよ! そんな高価なもの!」
「いいから。これはお前が救ったスクォンクの一部だ。お前に持つ権利がある」
「いやいやいやいや、私ただ居合わせただけだし!」
無理矢理アリーセの手に握らせようとするロルフ。しかし、アリーセも負けじと抵抗する。
そんな二人のやり取りに決着を付けたのは、アルノルドの言葉だった。
「貰ってあげてよ、アリーセちゃん。それは、僕たちからの感謝の印なんだ」
君の勇気への報酬だよ。
優しい声でそう言われてしまえば、アリーセは受け取らざるを得ない。
魔術を使い、それで誰かを助けた。魔術師としての、仕事の報酬。それを受け取らないことは、魔術師としての職務にケチがつく。
アリーセはおずおずとして、それを受け取った。
「それからもう一つ」
小さな手のひらに、一枚の紙が乗せられた。そこには人の名前らしきものが並んでいる。
「昨晩、君の話を聞いてから、エヌマエルとの手紙を全部読み返してみたんだ。そしたら、少し気になる話があってね」
「えっ……師匠の手紙にですか?」
「うん。どうやらアイツ、ここ数年で何冊も『古代魔術』に関する本を取り寄せているみたいなんだ」
古代魔術、と呟くアリーセに、アルノルドはどこか不満げに「ああ」と頷いた。そして、つまらなさそうに「今はもう存在しない、失われた魔術だよ」と続ける。
「魔具の作成術や旧精霊文字を使った使役術、あるいは、特定の魔術師の血筋しか引き継げず、滅んでいった術もある」
「それは……随分と浪漫のある魔術ですね」
ロルフの言葉に、アルノルドはハンっと鼻を鳴らした。
「何が『浪漫』だ! 魔術ってのは、人々の生活を支える為にある。失われたということは、要らなかったってことさ。そんなものを学んで、一体何の価値がある?」
捲し立てるように叫ぶアルノルド。しかし、すぐにアリーセの存在を思い出すと、気恥ずかしそうに「まあ、そういう魔術だよ」と話を纏めた。
「何故エヌマエルが突然、古代魔術に興味を持ったかは知らない。けど、関連する魔術師を訪ねてみる価値はあるかもしれないな」
「そう、ですね……。はい、ありがとうございます!」
一瞬だけ顔を曇らせたアリーセ。しかし、すぐにパッと表情を明るくさせた。
その変化に気が付かなかったわけではないが、アルノルドはあえて口を閉ざす。一度眼を伏せ、それからいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。
「僕の知る魔術師を、何人かリストアップしておいた。もしかしたら、エヌマエルが彼らに接触しているかもしれない」
「……ですね。ありがとうございます。さっそく訪ねてみますね」
うん、とアルノルドが笑い、アリーセはリストをポケットの中にしまった。
足の調子を確かめる。
昨晩の手当てが良かったのだろう。腫れもなく、痛みもだいぶ引いていた。これなら歩くのに支障は無さそうだ。
「それでは、お世話になりました」
「こちらこそ、君がいてくれて本当に良かったよ」
アルノルドと握手を交わす。
「また、いつでも遊びに来いよ。お前なら、きっと森も喜ぶ」
「ありがとう、ロルフ。その時は、ユニコーンにも会えるといいな」
ロルフとは、互いに笑顔で手を振った。
「お二人とも、精霊のご加護があらんことを!」
別れの言葉を最後に、アリーセは再び歩き始める。次に向かうは、森を越えた先にある採掘都市ヴェンヌズだ。そこには、リストに記された研究者がいる。
さくさくと軽い足取りで、昨日とは違う姿の森を行く。朝日を浴びたメェルカの森には、いつもの静けさが戻っていた。




