9話
森の中から姿を現し、男たちを捕縛したアルノルド。涙の止まらないアリーセに気付くと、一仕事終えたような顔で歩み寄ってくる。
「怖い思いをさせたね」
労るようなアルノルドの声に、アリーセは大きく首を振った。それよりもと腕を広げ、当初の三分の一程まで小さくなったスクォンクと溢れんばかりの泡を見せる。
アルノルドの目がすっと細くなった。
「すぐに対処しよう」
真面目な顔で頷き、すぐさまザットマンを喚んだ。どこからともなく現れた小人が肩にかけた袋から砂を出し、密猟者に投げつけると、彼らはたちまち眠りに落ちる。
「これで良し。ロルフが通報をしてくれているはずだから、迎えが来るまでの見張りはクー・シーに頼もう。僕たちは、彼を」
そう言って、アルノルドは服が濡れるのも構わずにスクォンクを受け取った。アリーセが杖を支えに立ち上がると、彼は苦い笑みを浮かべる。
「魔術師の杖は、そうやって使うものじゃないんだけどね」
治すかい、と問うアルノルドに、アリーセは再び首を横に振る。ただでさえ多くの魔性生物と契約を交わしたのだ。これ以上の負担をアルノルドにかけるわけにはいかない。
アリーセの強がりを見抜いていたのだろう。その上でアルノルドは頷き、代わりにと片手を差し出した。
アリーセは躊躇うことなく自分のそれを重ね、ほんの少し早くなった足で森を進んだ。
沢の上にかかる倒木の橋を渡り、奇妙な形をしたサワフタギの連なりを横目に獣道を歩む。足の痛みに顔が歪み、ふうふうと息が上がってきた時だった。アルノルドが朗らかな声で言った。
「泉が見えてきたよ」
アリーセが顔を上げると、彼は鬱蒼と茂る草をかき分けて「ご覧」と体を傾ける。
「多分、君にとっては初めての光景じゃないかい?」
伝う汗を拭い、アリーセはアルノルドが示した先を見る。
半歩、彼より前に進んだアリーセの目に映ったのは、空を覆うように枝葉を広げた大樹——そして、その足元に横たわるニンフたちであった。
月光を浴び、意味を持たない歌を口ずさみながら踊るニンフたち。キラキラと輝く肌も、月下で波打つ白銀の髪も、この世のものではないようだ。
浮世絵離れしたその光景に、思わず息を呑むアリーセ。その音に気付いてか、ニンフの視線がこちらを向いた。突然の訪問者に怯えることなく、彼女らは笑う。
まるでアリーセなど眼中にないように、彼女らはアルノルドに近付いた。
言葉を交わすことなく、アルノルドは五分の一程になってしまったスクォンクをニンフに預ける。
憐れむような眼差しで同胞を受け取った彼女は、静々と木の根本に戻る。
たちまち他のニンフが駆け寄り、皆でスクォンクを囲んだ。涙を流すもの、大樹の葉で寝床を作るもの、泉の水を汲み上げ、そっと口に運んでやるもの……。
誰もがスクォンクを労わる中、アリーセはただ呆然とその光景を見ているだけだった。
「後は彼女たちに任せよう」
アルノルドがそっと背中に触れ、ようやくアリーセは意識を取り戻す。それほどまでに、眼前の情景に目を奪われていた。
はい、と静かに頷くと、アルノルドも黙って笑みを浮かべた。再びアルノルドの手を借り、大樹に背を向ける。
魔術師は、決して万能ではない。
もしもスクォンクが人であったなら、アルノルドは国の定める慈愛の精神で、スクォンクの回復を試みただろう。そうすれば、スクォンクの命はあれほどまでの危険に晒されなかった。
しかし、彼はそうしなかった。手遅れになるギリギリまで、何もしないつもりだったはずだ。
それは、人と自然との交わりを最小限にするため。
人には人の、魔性生物には魔性生物の世界がある。その垣根は容易く越えていいものではない。
生きるため、豊かな生活のために、互いに協力し合うことはある。しかし、領分を侵してはならない。
消えかかったスクォンクの命は、アルノルドの領分ではない。クー・シーが密猟者の撃退を、アルノルドの呼びかけなしに、行なえなかったのと同じように。
求められなければ、魔術は使えない。それが、魔術師という在り方である。




