第五首 夏の夜の 隠れががりに 鳴く虫の 音を聴きつつ 君と過ぐせば
千歳、コロコロ、ジージーと。
暑さもひと段落した今宵は、屋敷の内外で騒がしさが逆転していた。
内側である母屋の唐紙はすでに破かれ、その犯人はケロリとした顔でかぐやと肩を寄せている。
彼女と二人、外の庭園に響く虫たちの調べに耳を傾けていた弦一郎は、ぽつりと呟く。
「風流だな」
そんな彼の匂いに包まれ、かぐやは「いいじゃん、夏」と思いながら、ひっそりと心の中で詠み上げる。
――紡がせて きく夜は夏の 虫の音も 君とともにぞ なおまさりぬる。
ところが弦一郎は、じっとしていられない。
「じゃあ、行くかぁ」
猛りし者は、仕事帰りでも出かけたくてたまらなかった。
おいおい、とかぐやはまたしても胸の内で歌を編む。
――いづちゆく 虫のしらべの しげき夜は わが庵にいて 明かしてんいざ。
小さな願いむなしく、彼はよく通る声を少しだけ落として、外に呼び掛けた。
「夜叉丸ぅ?」
爪音、チャカチャカ、キャンキャンと。
今夜も狆の姿で登場したのは、弦一郎の太刀持ちである夜叉丸だった。
どこから侵入してきたのか、白砂の上にぽつんと佇んだ夜叉丸は、その口に竹籠をくわえていた。
「まぁ」
かわいいじゃん。
夜叉丸が人間であることを忘れたように、かぐやは目を大きくさせてその姿に見とれた。
そんな彼女とは対照的に、弦一郎は表情一つ変えず、庭に座る狆に向かって話しかけた。
「おお、察しがいいな。お前も虫取りに出るか?」
今日は虫取りに行くのか。だったら、キラキラと綺麗な蛍がいいなぁ。
などと考えて、のんびり座るかぐやの脇で、弦一郎がすっくと立ちあがる。
彼はそのまま敷居を跨いで、庇の下にまで出た。
すると、彼の広い背中が狆の姿を一瞬だけ隠した。
次の瞬間には、そこにいたはずの犬の代わりに、竹籠を傍らに据えた線の細い美少年が平伏していた。
「よろしいのですか、主様!?」
美しかろうが、由緒正しき血筋だろうが、そこにいるのはただの少年だった。
夜叉丸は尊敬する主から受ける、夏の風物詩の誘いを全力で喜んだ。
「バカモノォ!! でっけぇ声を出すんじゃねぇ!!」
突如として、東国武者による平安パワハラが炸裂する。
しかし、それも無理はない。
なにせ弦一郎は、あのお堅い宣旨の許しを得ずに、勝手に夜叉丸をこの屋敷へと入れてしまっているのだから。
「まったく……またですか」
少し離れた庇の間が開かれた。
大声を聞きつけて、宣旨のだだ子が廊下に出たらしい。
「今度はなにごとですか、弦一郎様?」
奥の通路から、彼女の影が妖しく伸びてくる。
これには、全員大慌て。
だだ子の気配がみるみる近づいてくるのを見るや、ポンと、狆の姿に戻った夜叉丸は、主の胸元へダイブ。
弦一郎は、それを見事にキャッチ。
「わぁ!」
見事な連係プレーを目の当たりにしたかぐやは、その報酬として、身に着けているものをぶん投げたくなる衝動をぐっと堪えながら、その場に座り続けた。
そこへいよいよ現れたのは、『かぐや御殿のあやかし桜』こと、だだ子だった。
「……おや?」
ギリギリセーフ。
「………………」
ギリギリ、セーフ?
だだ子は表情乏しく、弦一郎の腕の中で尻尾を振る狆を食い入るように見つめた。
「どうした、だだ子?」
「お疲れ様、だだ子」
二人にかけられた言葉を飲み込むように、だだ子は切れ長の瞳をスッと閉じた。
迸る緊張。
へっへと弾む、犬の息遣い。
やがて、虫たちの調べを背に受けながら目を開いた彼女は、「ふぅー」っと大きく息を吐き出して告げた。
「それが、今度のお務めの?」
報酬と勘違いしている。
これをチャンスと捉えた弦一郎は、一か八かの大博打に打って出る。
「そういうことだ。正式に俺がここで暮らすことになったら、こいつも一緒ってことになるが、それでもいいか?」
だだ子はぬるりと裾を滑らせ、弦一郎に近づくと、夜叉丸の小さな身を奪い取るようにして、その手に抱き寄せた。
艶やかな微笑みを湛えた彼女は、抱き犬と化した夜叉丸に顔を近づけるや、何のためらいもなく口吸いを一撃かました。
「……わかりました。今宵は、こちらで預かりましょう」
まさかの、ご機嫌ボイス。
度が過ぎるほどの、犬好き。
これまで燦然たる男たちから言い寄られては、貰えるものだけを貰って、想いの方は鴨川へ屠り捨ててきた。
そんな彼女の新たな一面を見て、かぐやは静かに戦慄していた。
「名前はあるのですか?」
「無い。好きにつけろ」
一方で、弦一郎はといえば大法螺続行。
だだ子は、うんうんと満足げに頷き、夜叉丸に何度も口吸いをお見舞いした。
「おそろしい東男が主人とは、かわいそうな子ですねぇ。私と参りましょうねぇ」
「クゥーン……」
憐れ、妖艶な女の腕に抱かれた夜叉丸は、夏の夜の帳に消えて行った。
リンリン、コロコロ、シャワシャワと。
虫たちや風に揺れる草木の音色が涼し気に響く。
庭へと飛び下りた弦一郎は、地面に転がる竹籠をむんずと拾い上げると、母屋にいるかぐやの顔を仰ぎ見た。
「ということで。そろそろ、俺たちも行くか」
「……うん」
平安の世とはいえ、決して助け合いの精神がないわけではない。
ただ、今回の場合は二人揃って、これ以上の妙案が思いつかなかっただけ。
夜叉丸を生贄にした、夜の野山の虫取りデートはこうして始まることになった。
かぐやは申し訳ないと思いつつも、偲ぶ気持ちも込めた今の想いを歌にする。
――わびぬれば しばし別れて 野に遊ぶ 君も過ぐせよ 長き宵闇。




