第四首 いちゃこらと 過ごしたのちは 酩酊し 繰り出す一手は 愛の神業
◇ ◇ ◇
釣殿の、夜風に揺れる、水の月。
君は橘、我は撫子。
おうちデートは後半戦に突入。
庭の大池を臨む優雅な釣殿で、二人はその仲を睦み合っていた。
艶やかな髪を取り戻し、頬を桃色に染めるかぐや。
そんな彼女に手渡された紙を見て、弦一郎は緩めていた口元を動かす。
「……好きのほか 何も持ちえぬ 月にでも 愛でて給ふや 我が一郎よ」
詠み上げるや、彼はふんと鼻で笑い、ストレートな愛情が記されたその紙を、もじもじと恥じらうかぐやの額にペシリと叩きつけた。
「ありがとよ」
叩かれた箇所を両手で押さえながら、かぐやは彼が大切そうに懐へと紙を収める姿を、その目に焼き付けた。
勢いに任せ、彼女は鼻息荒く、愛しい弦一郎へと近づいた。
距離感を間違えて、思い切りぶつかった。
「おぉ、近ぇな、おい。どうした?」
倒れそうになった体を、弦一郎が支えてくれる。
「ごめんなさい……ゲンちゃん、私、返歌がほしいかも」
「返歌ぁ? どうなっても知らねぇぞ?」
眉間に皺をよせ、渋る彼に、かぐやは目を大きく見開いて、こくりと頷く。
直後、涼し気な風が、二人の間に吹いた。
「……夜夏の風 震える水面で える月の 世は堆き されどまろばし」
最高、最高、最高!
夜夏って、なに? える月って、なに? 凄くたくさん、いろんな風に解釈できる!
型にはまらない、都にはない、全国を見て回っている者にしか紡げない言の葉の数々。
ちょっと重たいかもしれないと不安に想った愛すら包み込んで、一緒に丸くなっていこうって言ってくれた。
気持ちが抑えきれなくなったかぐやはその場で両膝をつき、板張りの床をバシバシ叩きつけて喜びを表した。
「これが『おうちデート』ってやつか。何やんのかと思ってたが、そんなに楽しめてるなら、何よりだ」
弦一郎はかぐやを真正面に据えて、どかりと座り込む。
彼はそのまま、近くにあった酒瓶を手に取り、平杯に中身をドボドボと注ぎ入れた。
甘く芳醇な香りに風情を見出すのも束の間、彼は豪快に酒を煽ると、目を潤ませるかぐやに向けて、平杯を突き出した。
「お前もやれ」
「……うん」
平安名物、愛の回し飲み。
とろりと甘く、濁った醴酒が空きっ腹に染みわたる。
たまゆらに、かぐやは夢うつつとなった。
「飲みすぎだ。無理するな」
弦一郎は慌てて、その小さな顔が見えなくなるまで傾けていた平杯を、かぐやから取り上げる。
「甘くて、ふわっといい香りがして……ゲンちゃんみたい」
お出来上がりになられた宮様が顔を現す。
トロンと目尻を下げたその愛らしさに、弦一郎はたまらず彼女を抱き寄せた。
「抱き犬は好きか?」
「にゃんにゃん」
「それは猫だろ」
だだ子に見られたら、なんと言われるか。
月下の釣殿に、目も当てられぬ甘い世界が広がる。
――月影も ほろ酔ふ今宵 甘き夜に 我が肌敷きて 君を温めむ。
キャン。
遠慮がちに響いたのは、庭先に突然現れた狆の鳴き声だった。
釣殿から数段も低い砂利の上に座った小犬が、かぐやたちを見上げている。
弦一郎は床の端まで寄って身を乗り出し、慣れた様子でその犬に話しかけた。
「どうした、夜叉丸?」
次の瞬間――。
「……主様、ご報告がございます」
月光に照らされていた犬が姿を変えた。
そこにいたのは、女と見間違うほどの、玉のような肌をした少年。
太刀持ちとして弦一郎に仕える夜叉丸だ。
彼は片膝を突き、この屋敷の主であるかぐやに対しても深く頭を垂れていた。
「言え」
『討魔太夫』の目つきを取り戻した弦一郎は短く、鋭く言い渡す。
「姉上が魍魎を差し向けました。じきに、こちらへやってくるかと」
彼はあまねの末弟でもあった。
献身的な彼は姉には逆らえない。
が、主人である弦一郎のことを一番に慕っている。
望まぬ二重スパイにその身を置く悲しき少年は、今日も甲斐甲斐しく主人の身に迫る危機を知らせに来た。
弦一郎の身が心配になったかぐやは、床を滑るようにして彼に近づいた。
覗き込んだ横顔には、月下無双の不敵な笑みが浮かんでいた。
「無駄なことを……かぐや、歌は詠めそうか?」
「……にゃん」
彼女は、酒に弱かった。
◇ ◇ ◇
ぐにゃぐにゃと、目くるめくのは、酒の功?
否たぶんきっと、かがり火のせい。
弦一郎とかぐや、そして夜叉丸が足を運んだのは屋敷の外にある、角の取られた一画だった。
北東に伸びる坂の下では、無数の光が怪しく蠢いている。
「星が見えます。赤い星がたくさん。綺麗だね、ゲンちゃん?」
「違うぞ、かぐや。ありゃ魍魎どもの眼だ。星は下には出ないだろう?」
「もうりょう……」
おのれら、ゲンちゃんとこれからだと言うのに、邪魔しよって。
恨みを募らせたかぐやは、弦一郎の胸元に寄り掛かり、痛む頭を擦りつけた。
「主様。姫宮様の御身は、大丈夫なのでしょうか?」
夜叉丸の心配も無理はなかった。
ふらふらとおぼつかない足取りを見るまでもなく、彼女は酩酊していた。
「見ればわかるだろう? ダメだよ。だから、俺が戦っている間、こいつのことは頼んだぞ?」
「はっ。しかし、姉上の術によって生み出された魍魎は不滅でございます。陽光を浴びれば、たちまち姿を打ち消すでしょうが、一体どうなさるおつもりで?」
「どうするもこうするもない。やるんだよ。朝日が昇るまで」
「そのような無茶は……頼れる術師か何かは、いないのでしょうか?」
「あまねの術式を破れる法力持ちなんて……」
胸元に熱い息がかかる。
弦一郎は一瞬だけ、かぐやのつむじに目を落としてから続けた。
「……この世にいねぇよ。それにな、夜叉丸。この世には、魍魎よりもよほど恐ろしいものがいるのを知ってるか?」
「見当もつきません」
「ここの宣旨だよ。かぐやのこの有様を、そいつに見つかってみろ。有明どころか昼、いや、下手したら一生小言をくらう羽目になるぞ?」
重厚な威圧を放つ主人の双眸から逃れるよう、夜叉丸は静かに生唾を飲み込んだ。
「……獲物は、何にいたしましょう?」
「短いのでいい。取り回しのいい、打刀を頼む」
顔が近いな、ダメダメ。
ちょっと顔がきれいだからって、調子に乗るな、夜叉丸、お前、こら。
わかるからな? そういうの。
「……だめ!」
「どうした、かぐや?」
「あぶないから、ちかづいちゃ、だめ!」
「あん? 弓で戦えってことか? それはそうなんだが……」
念のため、弦一郎は夜叉丸に視線を送る。
突如として作戦に割り込んできた彼女の指摘は正しかった。
この距離ならば、弓で一方的に攻め続けられる。
しかし、状況が悪かった。
「あいにく、今は矢筒しか……」
「だよなぁ」
合戦ではなく、お忍び。
いかに優れた太刀持ちとは言え、夜叉丸は弓本体を持ち合わせていなかった。
乙女チャンス。
「ゲンちゃん?」
閃いたかぐやは、赤子を抱くように弦一郎の顔を両手で包み込む。
「どうした?」
あまりイチャイチャしていられない。
弦一郎は近づいてくる魍魎の軍団をチラチラと横目で窺いながら、かぐやの手を取った。
「私が弓、つくる! 歌、詠むから、準備して?」
「詠めるのか?」
「いいから、そこに立って!」
言われるがまま、弦一郎が立ったのは、瘴気が吹き上げる坂の縁だった。
酔いが抜けきらず、ふらつくかぐやを、おろおろと夜叉丸が遠巻きに見守る。
「――君が手に 我が弓持たせ」
ピキン。
真夏なのに氷が割れるような高い音が響く。
弦一郎の手元に、昼のような明るさが灯った。
その明かりは形を変え、みるみる大弓と矢の姿を象った。
「おぉ!?」
上の句の途中での武器召喚。
これまでと違うかぐやの力に、弦一郎も驚きの声を漏らす。
「月に放たば――」
酔っぱらいの奇跡は未だ終わらず。
その歌の力は、東国一の荒武者の手を動かし、ぐいと天に持ち上げた。
「マジかよ!? お前……」
彼の意思とは関係なく、ピンと張られた大弓の弦から、月に向かって矢が放たれる。
月下にいるのは、数十を超える魍魎の軍勢。
「――星の拠り代 破邪の白雨!!」
スガガガガガガ!!!
魍魎どもの頭上へと降り注いだのは、目も眩むほどの光の豪雨。
不滅だったはずの怪異たちが、その強烈な輝きに灼かれ、刹那にして無へと還っていく――。
ぷつり。
糸が切れたように、かぐやがその場に倒れ込むと、大弓は跡形もなくその形を失った。
「……ということで、これが俺の嫁」
かぐやが地面に激突する寸前、全力ダッシュでその身を滑り込ませて支えた弦一郎が、ドヤ顔で夜叉丸に紹介した。
「……お似合いだと、思います」
信じられない法力を目の当たりにした夜叉丸は、心からそう思った。
「なんですか、今の光は!? 宮様!? 弦一郎様!?」
「よし! お前は、もう帰れ!」
警報発令。
「すると、あの声の御方が」
「うるせぇ! とっとと鬼門を走り抜けるんだよ、オラァ!!」
夜叉丸の尻を蹴飛ばし、被害を最小限に抑えることに成功した弦一郎。
彼は死角となる壁際に身を隠しながら、腕の中で眠るかぐやの頬にそっと触れた。
――もののけの 群れも恐れじ この頬の 生けるを撫づれば あやつぞ憂き。




