第二首 すいぱらに 現れ出でし 恋敵 知らぬ術にも 恐れざらまし
男といふものは、誇りかに見えんとするが、いとよきことなり。
手柄のやうなることなど、いみじう問ひ聞き、めで奉らば、のちはみな、こちらの心のままになるものなり。
『HeianEgg 文月号』より抜粋――。
「なに読んでんだぁ!?」
御簾を乱暴に取り外し、登場したのは弦一郎だった。
「こんなくだらねぇもん読んでねぇで、歌を詠め、お前は!!」
彼はかぐやまで一気に距離を詰めると、彼女が手にしていた草子をひったくって、部屋の隅に放り投げた。
「疲れた!! 膝を貸せ!!」
取り乱す暇もなく、彼はうつ伏せになって膝の上に顔を埋めてきた。甘え下手な男の後ろ髪に、かぐやはそっと手を置いた。
昼の極熱に耐え忍んだ彼の体温が、手の中に広がる。かぐやは愛おしむように、疲れ切った獅子の頭を撫でた。
「お疲れ様です、太夫殿」
「毎回、リセットしやがって。引きこもりが。その呼び方はやめろ。俺は婚約者だぞ?」
熱い吐息が寄せては返す。それだけでなく、グルグルと忙しなく動き続ける目や、歯切れよく喋る大きな口の動きまでが布越しに伝わってくる。
くたびれていても、いつも通り接してくれる彼を、もっと癒してやりたい。そう思ったかぐやは、教本の通りに話題を振る。
「妖魔討伐は、順調ですか?」
大きく息を吸い込んだ弦一郎は、膝の上でくるりと頭の向きを変えると、かぐやの目をまっすぐに見つめた。
「んなこと、本当に聞きてぇのか?」
力強い眼に射られ、見透かされたような気持ちになったかぐやは、遠慮がちに首を振った。
「……おかえり、ゲンちゃん」
心からの言葉を紡ぐと、愛しのゲンちゃんは歯を見せて満足げに笑ってくれた。
――あだなるを 語らぬ君が まなざしの 心に染みて 恋ひわたるかな。
寝ころんだまま、ゲンちゃんが腕を伸ばしてきた。ごつごつとした手が、頬から心臓までを、一度に温めてくれる。蚊遣火の香りが漂う、薄暗い真夏の宵に、彼の瞳が淡く光って浮かび上がった。
「辛抱たまらねぇや……準備はいいか?」
かぐやは頬を染め、こくりと頷く。その身を起こしたゲンちゃんが、額がくっつきそうなほど顔を近づけてきた。白檀のいい香りがする。彼の匂いだ。
「よし! 行くぞ、スイパラ!」
「……へ?」
ぐぅ、とお腹が鳴る。
よし、行こう。スイパラ。
◇ ◇ ◇
スイーツパラダイス。略してスイパラ。
見世棚には唐菓子から水菓子といった、貴族たちが愛する甘味はもちろん、やんちゃな武者も唸る塩気のある軽食がずらりと並べられている。
今宵も店内は、学生や家族連れなど、老若男女問わず、様々な客層で賑わう。
数刻前到着した一組のカップルもまた、この店を彩る風景として融け込んでいた。
ちまちま、ちまちま。
野いちごのタルトをゆっくりと口に運ぶ、かぐや。
がつがつ、がつがつ。
麦の入った強飯をかき込む、ゲンちゃん。
「結構、食えるようになってきたじゃねぇか」
彼と出会う前は、タルト一個なんてとても食べ切れなかった。こういう場所に連れてこられるようになって、ようやくかぐやの体は人並みに近づいていた。
「うん」
それが嬉しくて、誇らしげに答える。ゲンちゃんは控えめに笑って、箸からフォークに持ち直す。
「ひと口、くれ」
「うん」
――紅の 苺の味も 一つづつ 君と分けつつ 人になりゆく。
「……討魔太夫殿?」
日の光に照らされたように、店内が華やいだ。
目を奪うような朱と金の豪華な重ね衣。
乱れのない黒髪に刺さった鼈甲の簪が、日輪のように咲き誇る。
その鋭い双眸は、他の何ものも映さず、弦一郎だけを捉えていた。
欲しいものは意のままに。
京の都の裏帝とも呼ばれる、その女の名は『あまね』。
あまづらファウンテンを背に、彼女は悠々と二人の席に近づいてきた。
かぐやには一瞥もくれず、あまねは弦一郎の前に手をついて、甘く艶やかに囁いた。
「いと労気なり、太夫殿」
「何言ってんだ、おめぇ? 悪いが、今はプライベートだ。そういうの、控えてくれねぇか?」
あまねはピクリと眉を動かすと、力を抜いて微笑んだ。
「……冷淡ですのね。このようなしょうびんな女、どこがよろしくて?」
「言葉には気をつけろ、女帝殿。目の前にいるのは、品性下劣で有名な東夷だ。まばたきしただけで、その綺麗な顔にフォークがぶっ刺さってるかもしれねぇぞ?」
弦一郎はあまねから目を逸らさず、握っていたフォークの柄を指でさすった。
武の力を持った者でも、平気ではいられない。そんな殺気を前にしてもなお、あまねはその顔に浮かべた笑みを崩さなかった。
「お戯れを。我の力は、ご存じでしょう? 心など関係なく、今すぐにでも、あなたを我の部屋へと連れて行くこともできますよ?」
「それで満足なら、やればいいだろ? だが、お前はやれない。無駄にプライドが高いからな。この俺を打ちのめせるのは、目の前にいる『かぐや』ただ一人。わかったら、さっさと帰って、寵愛してる弟たちでも貪ってろ」
あまねはギリギリと歯をきしませ、絵に描いたような歪みのない表情をあっという間に乱れさせた。
『視よ! 我が泡沫を!』
その言葉が耳に入ったときには、あまねはおろか、他の客たちの姿がどこにもなくなっていた。
テーブル席がグラグラと揺れ、吊り下げられた提灯や雪洞が明滅し、その光が完全に失われる。
「ゲンちゃん……?」
暗がりの中で、かぐやは彼の手を取った。ともし火がないとき、彼は必ず指を絡ませて、安心させてくれる。いつもの感触が、そこにはあった。
「大丈夫だ、ここにいる。歌は詠めそうか?」
「うん……うっ!?」
常闇の蟒蛇が、全身をきつく締めつけてくる。その力は、骨のきしむ音が聞こえるほどだった。
「どうした、かぐや!?」
「な、なんでも、ない」
苦悶の表情を浮かべども、誰も助けには来ない。意を決したかぐやはぎゅっと目を瞑り、指先にいる愛しい人の姿だけを思い描いた。
「うたかたの 消えゆく影は 恐れじな 君が瞳の 光ある世に――」
弦一郎の手元が淡く輝く。
初めは小さなフォークの形。
その輝きは、みるみる強さを増しながら、形と大きさを変えていく。
――キィィィンッ!!
耳が痛くなるほどの高音が響き、闇の空間が退いていく。
光を取り戻した店内を跋扈していたのは、黒い蟒蛇の大群だった。
「っ!!」
弦一郎が、かぐやの体にまとわりついていた蛇を、怒りの形相で振り払う。
彼のもう一方の手に納まっていたのは、金色の薙刀だった。
「悪いがフィーバータイムはお預けだ。テメェら、ただじゃ済まさねぇ」
疾風迅雷。
解き放たれた獅子は薙刀を一振り。
周囲にいた魑魅魍魎は一斉に光の渦へと飲み込まれ、消滅した。
「ごほっ……」
自分の術式に体が追いつかず、かぐやは胸を押さえ、崩れるように座席へと身を倒していく。その身体をひしりと支えたのは、他でもない、ただ一人の男だった。
「大丈夫か? 無茶させて、悪かった。もう誰にも触れさせん。少し休んでろ」
「うん……」
優しく体を労わられ、安らぎを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
「一匹も逃さねぇ。消えたいやつから、前に出ろ」
猛る弦一郎の声が、よく聞こえる。
窓の向こうで、あの女が、ニヤリと笑ったような気がした――。
◇ ◇ ◇
寝覚めると、そこはガヤガヤとした喧騒に溢れる、スイパラの店内だった。
窓の外には夜の都が広がるばかりで、変わったところはない。
身を起こして確かめてみると、野いちごのタルトを前にしたゲンちゃんが、こっちに向かって微笑んでいた。
「おはようさん。まったく……どこに出ても、絡まれちまう。治安が悪くて、困ったもんだよな」
「ねぇ、ゲンちゃん。次は、おうちデートにしよ?」
「何だ、それ? 家でヤりまくりたいのか?」
「それもいいけど……たまには、ぼーっとしたいな。二人だけで」
かぐやの提案に、彼は鼻を鳴らして短く笑った。
「ま、それは来週だな」
「うん」
「タルト、食うか?」
「うーん……それより、何か飲みたいかも」
「そういえば向こうに、お前の好きな、やまもものジュースが置いてあったな。歩けるか?」
「うん!」
手を取りあって、二人はドリンクバーコーナーを目指した。
甘さと恋敵。
その両方に襲われたスイーツパラダイスの店内で、かぐやはひっそりと詠み上げる。
――すいぱらの 甘き楽しき ひとときを 乱す影あれ 君と歩まむ。




