第十六首 番外編:混ぜるな危険の使用人たち
バカンスは終わり、舞台は再び都にある『かぐや御殿』。
この度、「盲目の子供の面倒を見ろ」と命じられ、使用人としてこの屋敷の門をくぐることになったのは、朔望景衡。
彼は今、件の子と、与えられた個室で二人きりの状況にある。
もとを辿れば、彼の生家である神社も、この屋敷の主人が抱える私的なもの。
仕えるべき主が変わることがないため、奉仕先については、特に抵抗はなかった。
問題は――。
「わたくしのような世慣れぬ者を、景衡様はどう思っていらっしゃるのでしょうか?」
ガキはガキでも、その相手が女とは聞いていないことにあった。
盲いているくせに、両目を見開いている。
少女は景衡のいる方角を探るまではその動きをぼんやりとさせていたが、いざ視点を定めると真っすぐにこちらを捉えてきた。
彼女の瞳は、白兎のように朱に染められていた。
――あの野郎、騙しやがったな。
この仕事を預けてきた弦一郎の口ぶりから、世話をする子供はてっきり少年だと思っていた。
景衡の胸中は、穏やかではいられない。
だが癖で、ついまじまじと、目の前の儚い存在を観察してしまう。
見た目にそぐわない、短く切り揃えられた髪には違和感を覚え、盆に張った水のような肌には将来性を感じさせられた。
景衡はフンと鼻を鳴らす。
「食い頃になってきたと思う。想い人はいるのか?」
どうやら彼は居直って、悪ノリを楽しむことにしたらしい。
少女の年の頃は十二、三歳といったところだろうか。
やはり平安。
ロリコンが多い時代である。
『夜風』という、少々変わった名前のその少女も、そろそろ大人の女性として見られる境界線にあるのは事実であった。
「やはり、景衡様のような御人でしょうか……」
言い終えた夜風は、照れたように髪を撫でつけながら俯く。
しかし景衡の目は、少女が顔色すら変えず、その口元にいたずらな笑みを浮かべていたことを見逃さなかった。
――このガキ……。
景衡は主人、ひいてはその夫である弦一郎のことを思い返して、ため息をつく。
――あんな奴らがわざわざ拾ったガキだ。ただのガキではあるまい。むしろ相当厄介なガキ。これは本気で警戒しないと、足元をすくわれかねん。
その思いとは裏腹に、彼の心は、少しだけワクワクしていたという。
相手は、ガキだけど。
「……その減らず口が叩けるなら、俺の世話などいらんだろう」
「あな、なにごとを仰るや!」
とても元気。
クイッと顔を上げた夜風に、景衡はすっかり呆れる。
「本当に、見えてないのか?」
「見えていません。ですが……これでも、神仏に仕える身ですから」
「神仏に仕えてるのは、俺の方だ。お前は、ただの女房だろ」
夜風の戯れ言に、景衡は素早く切り返す。
すると彼女は、絹のような肌をほころばせ、減らない口をさらに増やした。
「では、神職にあられる景衡様なら、私の心もお見通しですか?」
問われた景衡の返答は風よりも疾く。
「その年で男を手玉に取ろうとするんじゃねぇ。どこで覚えたんだ、そんな駆け引き」
容赦なく言い返された夜風はがっくりと肩を落として、床に両手をついた。
そのまま彼女は部屋の隅まで這って進むと、迷いなく一冊の草紙を手に取って、それを掲げた。
「……『平安egg』に、ございます」
景衡はゆっくりと立ち上がり、夜風の元までつかつかと歩み寄る。
それから彼は、流れるように彼女の手から草紙を奪い取った。
「はい、ギャル雑誌禁止」
こうして、夜風の教育係は誕生した。
「それは姫宮様からの大切な賜りもの! なにとぞ! なにとぞ、お返しください!」
「四の五のうるせぇ、クソガキ! そもそも、どうやってお前はこれを読んでるんだ!? ああん!?」
足元で絡みつく胡散臭いガキに向けて、景衡は本性を剥き出しにして凄む。
「ガキって言わないで!!」
一方で夜風は、こちらもこちらで、ようやく素を出してきた。
「姫宮様が詠み上げてくれますから!! ときどき、代筆もお願いしているんですよ!? あまりにも、字がお綺麗なので!!」
「だから何で、字が綺麗だってわかるんだよ!? それに、主に迷惑かけておいて、なにが女房だ! その根性、俺が叩き直してやる!」
「景衡様は、熟達されたニートだとお聞きしましたけど!? そのような忠誠心、持ち合わせていないのでは!?」
「それを言えば、俺が黙るとでも思ったか!? 残念ながら、宮様はガキの頃から実家に参拝に来ていたから、そこだけは衰えてねぇ!! 向こうはこっちのことを、まったく覚えてなかったけど!!」
「やはりその辺のドロドロとした感情を、わたくしの身体に向けてきたりするんですね!?」
「百万年早……さてはお前、よくない草紙を他にも読んでもらってるな? 今すぐ出せ!」
攻守逆転。
どんどんボロが出てくる夜風は、果たしてどうする。
「わたくしには、特別な力がございます」
脈絡なく、襟を正して座り直した彼女は、ピシャリと言い放った。
すると、それまでの騒ぎが嘘のように、部屋の中が静まり返った。
「……だから何だよ? 隠している草紙を出せ」
「草紙はこれ以上ございません。出せるのは景衡様の、わたくしたちの、まだ見ぬ未来にございます」
凛と鎮座する少女に神秘性を感じた景衡は虚を突かれ、その雰囲気に呑まれる。
「ふん、占いか……面白い。やってみろよ」
夜風は、大人びたしぐさでしっとりと首を垂れた。
その小さな顔が上げられた瞬間、ひやりとした秋の風が部屋に舞い込んでくる。
少女は我を失ったように呆然と、しかしどこか神々しい朱に染まった眼差しで、景衡をじっと見据えながら口を動かし始めた。
『――月の都に持ち込まれたのは、神を降ろす槍。最初は錆びているが、のちに朱によって磨かれる。そのロリコンの槍は、自らが忌む少女が大人になる頃、彼女の身を貫くだろう』
ほんのりと、部屋の中には、季節外れの桜の匂いが漂っていた。
訪れたのは、妖しい静けさ。
その静寂を裂くように、サッと動き出したのは景衡だった。
「てめぇ、いつまでも、ふざけてんじゃねぇぞ!? 誰がロリコンだ、コラァ!?」
怒りに満ちた彼は、夜風の胸ぐらを乱暴に掴むと、立ち上がらせた彼女の身をブンブンと激しく前後に揺さぶった。
「本当なんです!! 本当のことでございます!!」
少女、ピンチ。
このままでは、本当に貫かれてしまう。
でも、ノリのいいお兄ちゃんだし、なんだかんだでいい人そうだし、それもいいかもしれない。
夜風が、身も心もグラグラに揺れ動いた、そのときだった。
「なんの騒ぎですか?」
気怠げに降臨したのは『かぐや御殿のあやかし桜』。
この屋敷の使用人たちを束ねる、宣旨のだだ子である。
「だだ子様、聞いてください! この人、わたくし狙いです!」
「なんでそうなるんだよ!? 嘘つけ、この……いいや、もうそれで!! いっそ、クビにしろよ!!」
なにもしてないのに、もうクタクタ。
景衡はヤケクソ気味に吐き捨てた。
騒がしい二人を前に、だだ子は実に落ち着いた様子で、その冷徹な瞳を夜風、それから景衡へと向ける。
そして彼女はため息すら交えず、淡々と実務を突きつけた。
「部屋の中にいるから、そういうことになるのです。二人ともそんな暇があるのなら、ポチのお散歩と、姫宮様の話し相手をお願いしますよ」
あまりにも人間味のない裁定に、果たして、二人はどうする。
「はい、かしこまりました」
「チッ……」
相手は最強。
ある意味で主人よりも恐ろしい、しっかりとした芯を持つだだ子に逆らえる者は、この屋敷にはいなかった。




