第十三首 浜風に なびく衣も うららかに 集ひて焼かむ 真砂路の貝
――おどろかる まがふばかりに 鳴る波は 激しき雨の おつるなりけり。
(寄せては返す波の音は、まるで激しい雨が降り注いでいるみたいに聞こえて、びっくりしちゃう)
かぐや、心の一首。
青い海、白い砂浜、いけない太陽。
『静かの海』と呼ばれる、この場所にはプライベートビーチ付きの別宅がある。
関係者以外は誰も立ち入れない、まさに静かの海。
居心地のいい屋敷を離れ、わざわざこんな場所へとやってきたのはほかでもない。
愛するものと、平安バカンスを満喫するため。
さて、このいと雅な海岸で騒ぐのは――。
「浜焼き、最強!!」
平安ブルーラグーンを背景に猛々しい肉体をあらわにした、かぐやの婚約者だった。
上洛して初の長期休暇を預かり、気分上々の弦一郎。
そんな彼が砂浜で焼いているのは、海に潜って自ら採取してきた蛤。
ちょっともう、本当に、日焼けとかしたくないかぐやは、天然の日傘と化した見事な樹木の下で「ふふふ」と笑いながら、愛しの彼の様子を見守る。
「まったく、これだから東男は……」
傍らには、もちろん宣旨のだだ子もいる。
彼女がいるということは――。
「キャン」
抱き犬と化した夜叉丸も、へっへと舌を出しながら、小言を口にする彼女の腕の中に収まっている。
関係者は、それだけにとどまらない。
「弦一郎様ァ!! 新鮮なワカメが採れましたァ!!」
普段は屋敷の車舎で働くおじさん、牛飼男も来ちゃった。
ふんどし一丁。
それはそれは汚い裸体を、惜しげもなく晒すおじさん。
その手には、巨大な海藻が握られている。
そんなおじさんの両脇には、なぜか綺麗な花が咲いていた。
「私みたいなものが足を踏み入れても、いい場所なのかしら?」
「姫宮様の思し召しです。なにも問題はありません」
彼の妻・吉野と、盲目の占い少女・夜風である。
それぞれタイプの違う美女を引き連れたおじさんが、今、意気揚々と弦一郎のもとにたどり着く。
「バカモノォ!! それはジャイアントケルプだ!!」
「イテッ!?」
弦一郎は失態を犯したおじさんの腹毛をつまんでちぎると、その毛を宙に放り投げた。
瞬間――。
「……ぷっ」
横にいるだだ子が吹き出し、隠すように顔を背けた。
――やったね、弦ちゃん。
お堅いだだ子を笑わせたことを、自分の手柄のように感じたかぐやは、心の中で作った握りこぶしを弦一郎へと向けた。
浜辺に立つ彼の隣では、背伸びをして焼き網に顔を近づけた夜風が、小さな鼻をヒクヒクと動かしていた。
「あ、もう焼けたみたいですよ!」
「見えねぇのに、なんでわかるんだ、ああん!?」
武のみにあらず、焼き部門でもこだわりを見せる弦一郎は、夜風に額をくっつけて凄む。
その勢いに負けじと、夜風はカッと目を見開き、赤い瞳で弦一郎を見据えた。
「――急がねば、それは失われる。我々の舌の上には、忘れられぬ悠久の味が広がるだろう」
「力の無駄遣いすんな、バーカ。早く食いてぇのはわかるが、生焼けで下痢になっても知らねぇぞ?」
「……もう少し、焼いてください」
凝縮された磯の香りが、煙に乗ってやってくる。
楽しい楽しい、バカンスが始まった。
――あをうみに 煙立ちのぼる 浜焼きの 香にのりてなびく おきなの腹毛。
◇ ◇ ◇
再び、静寂に包まれる『静かの海』。
木漏れ日すら許さない、巨木の樹冠のもとに集まった一行は、皆、口を閉ざしている。
机の上には貝に魚、果ては蟹まで。
都では簡単に口にすることのできない、贅の極みがずらりと並ぶ。
それなのに、どうして。
答えは単純だった。
一撃でヤケド。
焼き立て、熱々の魚介の力によって、ほとんど全員、口の中が壊滅状態に陥っていた。
「どうした?」
一人、涼しい顔でむしゃむしゃと海鮮を食らうのは、やはり弦一郎だった。
その姿は、かぐやの目にはあまりにも逞しく映った。
「口が熱くて、痛いかも……」
「情けねぇなぁ。もしかして、全員か?」
弦一郎は、あさましきほどに静まり返った一同に目を配る。
「そういえば、お前らって、こういうの慣れてなかったもんな。すまん」
彼の言う通りだった。
思い返せば、都には出来立てのものを食べる文化、そのものがない。
だからこそ、こんな有様になってしまったのか、とかぐやは納得する。
焼き立ての蛤は、大焦熱地獄だった。
しかしその地獄の中に、雅を超え、幽玄なる味を見出していた彼女は、ひとつの提案をする。
「食べる練習をして、次は上手に食べてみたい。お屋敷でも、同じように調理してもらうことって、できないかな?」
かぐやの視線の先には、犬を抱く強烈な京女がいた。
その名も、だだ子。
(邸内で煙モクモクの、むさ苦しい浜焼きを?)
最初に疼いたのはプライドだった。
(調理方法に品がない。食べ方だって、手を使って貪り食うなんて、あさましい。こんなもの……)
ふと、蛤の貝殻に残った汁が目に入る。
だだ子は、すっかり冷めきったその汁を、スッと口元に運んだ。
濃縮された旨味が、口の中いっぱいに広がる。
(……なぜこんなにも、美味し、なのか)
彼女もまた、魅惑の味に心を融かされていた。
「クゥーン……」
揺れる京女は、その心を落ち着かせるように夜叉丸の顔を撫でくりまわすだけだった。
「無茶いうなって。だだ子にも、メンツってもんがあるんだから。牛飼男たちが住む、屋敷の外ならいざ知らず、庭先でそんなことをやったら、どんな噂が立つか」
(ほんま、それ)
珍しく肩を持ってきた弦一郎に、だだ子は現実に戻される。
しかし、かぐやはあきらめない。
「外なら、いいってこと?」
今度はふんどし一丁の牛飼男に目を向ける。
「あわわわわ……」
やばい。
毎日浜焼きをやれなんて命じられたら、それに従う生活に切り替わってしまう。
今さらになって、身分違いのおじさんは大慌て。
その横で、妻の吉野はすでに覚悟を決めた顔をしていた。
「いいんじゃない? ポチも喜ぶと思うし」
「ポチ?」
聞き慣れない名前に、超高速で反応したのは、犬好きのだだ子だった。
吉野はぺこりと頭を下げて、一言告げる。
「飼っている番犬の名前にございます」
そうなってくると、犬のスペックが気になる。
根掘り葉掘り聞かなければならなくなっただだ子は、人が変わったように目をぎらつかせ、口を動かし始める。
「どんなワンちゃ……犬なのですか?」
「いえ、そのような、大したものではございません」
「どんなワンちゃんなのですか!?」
平安圧迫面接、開始。
もったいぶる吉野に対し、だだ子はイライラと語気を荒げた。
場の空気が悪くなりかけたその時、ひょこっと立ち上がったのは一人の少女、夜風だった。
力強く根を張った大樹のもと、両手を広げる、赤目の少女。
すると、どこからか、彼女を取り巻くように、透明な風が吹いてきた。
「――月の都をかけるのは、一匹の柴犬。その犬がもたらすのは、新しくも永遠となる、確かなる海の味覚」
それは、無駄に壮大なポチ紹介のコーナーだった。
「座れ」
「……はい」
弦一郎に着物を引っ張られた夜風は、彼の隣に大人しく腰かけた。
「柴犬……」
そんな可愛い犬は、屋敷に入れねば。
そのための理由が必要だ。
出来れば、浜焼きの件も絡めて。
だだ子の脳が、今、勇往邁進する。
「鷹狩りに兎狩り。犬というのは、いくらいても、いいですからね」
「うちはやってねぇだろ。どっちの狩りも」
弦一郎のまっとうな指摘も、今の彼女には届かない。
「そうなってくると、やはり必要なのは、ワンちゃんたちのご飯。焼き物は欠かせません」
「初耳だな。犬って、なんでも食うぞ?」
「吉野。あなたは弦一郎殿から『焼き』の技術を教わり、その『ポチ』とかいう、帰ったら屋敷で暮らすワンちゃんのお世話を、庭の隅で行いなさい」
「人んちの犬、何だと思ってんだ、お前……」
東国一の荒武者から放たれる、練度の高い言葉の矢。
突き刺さっているはずなのに、彼女には一切効かず。
恐るべし『かぐや御殿のあやかし桜』。
凛とした表情を保った彼女に見据えられ、吉野はゆっくりと首を垂れるしかなかった。
「……謹んで、お受けいたしします」
だだ子は、ふっと口元を緩ませる。
それを見た弦一郎は口の端を上げて、呆れた表情でかぐやを見た。
「だとよ。よかったな?」
これにて、一件落着。
かぐやはにっこりとした笑顔を返すと、手元にあった扇を広げて、弦一郎の顔を煽いだ。
――いかなれば 和らぎにけむ ことのよし 犬の楽園 秘めし鍵はも。
(なんだかわからないけど、平和的に解決した。その秘訣はわんわんパラダイス)
かぐや、心の一首。




