57. 竜舎の主
顔に吹きかけられた息は、生暖かくはあったがどこかさわやかな植物のようなにおいがした。
後に知ったことだが、その理由は飛竜の好む飼料にあった。
最初の一吹きほど強くはないが、それからも断続的に吹きかけられる息をじっと受けていると、アルフの後方からリュウイが口を開いた。
「フレデリカ、新しく入団したアルフだよ。アルフ、彼女はここの飛竜たちのまとめ役のフレデリカ。まあ、女王様みたいなものかな」
最後にちょっとおどけたように言うリュウイを巨大な飛竜――フレデリカがじろりと睨んだ。
その視線を受けて、リュウイは叱られた子供のようにちょっと首をすくめた。
[――何だか不思議な感じのする子ねぇ……]
(え?)
不意に頭に響いた声に、アルフは目を瞬かせた。
耳に聞こえるのではない、直接頭に響く声。
今のは誰の声だろう、と思うが、それは一瞬のこと。
他にいないだろう、と目の前のフレデリカをまじまじと見つめる。
そのままじっと、見つめ合う。
[……?あら?ひょっとして、聞こえているのかしら?」
沈黙のまま見つめ合うこと暫し、フレデリカが首を傾げる。
[はい、聞こえています]
アルフは念話の術ではなく、“彼女”にもらったスキルの念話で返事をした。
[あら、あら。聞こえるだけじゃなくて、話せるのね。驚いたわ]
[以前お会いした女性に頂いたのです。初めまして、フレデリカさま。アルフレッド・アートライドと申します。よろしければアルフとお呼びください]
[あらご丁寧に。私はフレデリカよ。まあ、正確には私たちの言葉で言うと違うんだけど、ヒトには発音できないから。さまはつけなくていいわ。それに、あなた何だか面白いから私のことはフリッカと呼んでいいわよ]
グオォ、とフレデリカの喉がなる。
[それに、そんなに丁寧に話さなくていいわ。リュウイだってもっとくだけてたでしょう?]
[……わかった。これからよろしく、フリッカ]
[ええ、こちらこそよろしくね、アルフ]
慣れた者ならともかく、リュウイにはまだ飛竜の表情は読めない。
しかしこの時、リュウイはフレデリカが楽しそうに笑っていると感じた。
「えっと……なんか、フレデリカとアルフは会話してるみたいだね」
「そう見えるなら、会話してるんじゃないのか?確か、ずっと昔の文献だけど、フレデリカの声が聞こえる人がいたっていうし」
「え?何それ。俺それ知らないけど」
「お前が嫌がってた書庫の整理のときに見つけたからな」
「えー、教えてよそういう面白そうなことは」
「何でわざわざ?」
「……ライってそういう奴だよね……」
「それよりリュウイ、ここに来た目的を果たさないと」
頼まれてもないのにどうして、と本気で思っているライに、リュウイはがっくりと肩を落とした。
そんなリュウイに、ライは何をしに竜舎に来たか思い出させる。
「あー、そうだった。フレデリカ、アルフ。話してるだろうところ悪いけど、フレデリカにアルフを紹介する以外にも用があってここに来たんだよ」
ライの言葉を受けて、リュウイはアルフたちに声をかけた。
声が聞こえないので、話の合間を狙うことができないので仕方がない。勘にまかせた。
その間合いが合っていたのかどうかはわからないが、とりあえず話の腰を折ったと不満を向けられることなく、視線が向けられたのに安堵する。
「フレデリカ、アルフのパートナーを決めたいんだ。お勧めを選んでくれないか」
パートナー?とアルフは首を傾げた。
ちなみに、その時フレデリカと話していたのは、ライの言葉の中にあった、彼女の声が聞こえる者がいた、ということについてだ。
どうやらフレデリカの声は――というより飛竜の声は、よほど相性のいいヒトにしか聞こえないらしい。
大抵のヒトは全く聞こえず、ぼんやりと感情を感じられる者がちらほら、そして少数が、断片的な言葉を聞き取れるらしい。
そんな中、恐らく念話スキルの効果で普通の会話ができるアルフと同じように完璧に聞き取れる者が、かつて存在していたそうだ。
勿論話す言葉はヒトのそれだが、正確に言葉を交わせるヒトに、フレデリカは初めて出会ったという。
彼女――人族の、女性だったそうだ――は、そりゃあもういい女だった、とフレデリカは語る。
貴族ではないが裕福な家の生まれで、美しく、求婚者は掃いて捨てるほどいた。
彼女自身はサバサバとした性格で、同じ女性たちの反感を買うどころか、むしろそこらの男たちよりも女性にもてたとか。
しかし彼女は若くして亡くした恋人だけを想い、生涯独身のままその人生の幕を下ろした。
フレデリカは彼女のことがとても好きで、よく彼女を乗せて空を飛んでいたそうだ。
空の上で、彼女の短いが幸せな恋人との想い出話を聞くのが好きだった、とフレデリカは懐かしそうに目を細めた。
その瞳に宿る懐かしさと寂しさに、フレデリカは本当に彼女のことが好きだったのだ、とアルフは理解した。
古い文献に記載されるような過去のことでも、フレデリカにとっては色褪せない想い出なのだ。




