32. 彼女の過去
コポリ、と、彼女の口もとから小さな泡が昇っていった。
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貧しくはないが豊かでもない村の、貧しくも豊かでもない家の次女として、彼女は生まれた。
家の畑は姉が婿をとって継ぐので、彼女はどこかの家の長男のもとに嫁いでその家を守っていくか、誰かと結婚して村で新しく畑を開墾するか、町に出て仕事を見つけるかするんだと思っていた。
今のところ好きな相手もいないし、誰かが自分を好いている様子もないから、きっと町に出るんだと漠然と考えていた。
この辺りの村はどこもこんな調子だし、もう少し貧しくなると、もっと幼いうちにヒト買いに売られ、運が良ければ商家の下働き、鉱山や娼館に売られる者も少なくはなかった。
その辺りを考えれば、自分は恵まれている。
贅沢は出来ないが、不自由もしない。小額ずつだが貯蓄も出来る環境だ。
警戒すべきはヒト攫いだが、近辺に出たという噂を聞かないため、彼女はその日、一人で薬草を積みに村を出た。
油断、としか言いようがなかった。
普段なら、他の女性陣と示し合わせ、護衛兼荷物持ちに村の若者を数人連れて出かける。
それが決まりごとであり、幼い頃から大人たちに言い含められていたことだ。
一人で薬草を積んでいたところで、忍び寄るヒト攫いに気付けなかった彼女は、口をふさがれ腹部を殴りつけられ、意識を失った。
目を覚ましたのは、薄暗い屋内だった。
押し殺した幾つもの吐息に、自分以外にも大勢のヒトがいるのがわかった。
彼女は、小さな檻の中にいた。
高さは上体を起こせる程度、広さは身体を丸めれば横になれる程度しかなかった。
当然彼女は混乱し、恐怖し、泣き喚いた。
しかし泣き喚いても、何の変化も訪れなかった。
助けが来ることは勿論、うるさい、黙れと注意しに来る者もいなかった。
やがて喚き疲れた彼女は、ぐったりと檻に背中を預けた。そこでようやく、周囲に目を向ける余裕が出てきた。
辺りは薄暗いが、彼女が入れられているものと同じような檻が幾つもあることに気付いた。
そしてその中に、彼女と同じように檻に寄りかかっている者や、蹲っている者がいることにも。
彼ら、彼女らの放つ陰鬱な空気は、彼女よりも随分前からここにいるように思わせた。
そしてそれは事実で、ここでは彼女が一番の“新入り”だった。
彼女が攫われて――この檻の中で目を覚ましてから、どれくらいの日数が経ったのか、定かではない。
彼女は目を覚ましてから、檻の中の人間しか見ていないのだ。
眠気に襲われ、目を覚ますと、僅かな食事とコップ一杯の水が置かれている。
魔術だ、とすぐに気付いた。粗相した痕跡は日に一度の浄化の術で清められる。
やがて彼女は、粗相することに抵抗を感じなくなってしまった。
不作のときでさえ食べたことのないような粗末な食事にも、その内慣れた。
時折彼女と同じように騒ぐ声が聞こえ、新入りが来たことを知ったが、それで何かが変わることもなかった。それらの声も、彼女のときと同じようにすぐに消えた。
彼女がそれに気付いたのは、どれくらい経った頃だろうか。
肩につく位だった髪が、背の半ばを覆うようになった頃。
不意に彼女は、視界の端に入る檻の中が空なのに気付いた。
最後に意識したのがいつかはわからないが、そこにヒトが入っていたのは確かだ。
その檻が、空になっている。
すっかり癖になった髪を弄る手を止めないまま、ぼんやりと、鈍い思考で考えた。
檻が空。
中にいたヒトは?
いつ消えた?
何処へ行った?
何処へ――連れて行かれた?
すっかり麻痺していた恐怖心が、目を覚ました。
ざわり、と肌があわ立つ。
空調の管理はしっかりとされていて、寒くはないはずなのに。
それから、眠り、目が覚めるたびに周囲を確認した。
一人、二人と、消えていく。
いつ自分の番が来るかと、恐怖に震えた。
そしてついに、彼女の番がやってきた。
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目を覚ますと、いつもの檻の中ではなかった。
真っ白な光に照らされて、霞む視界に目を眇める。
彼女は台の上に乗せられ、手足を拘束されていた。
久しぶりに手足を伸ばせるが、拘束されていては体をほぐすことも出来ない。
そんなことを考えて、そんな場合じゃないと気付いた。
頭の先から足の先まで、全身を白い作業着に身を包み、顔を完全に覆い隠した者たちが何人も、何かの作業をしていた。
何をしているのか、何をされるのかわからない状況に、顔の見えない彼らが恐怖を煽った。
悲鳴をあげようとしたが、喉が引き攣れただけで声にならなかった。
そして室内に、新たに布のかけられた四角いものが運び入れられた。
目を離せなくて、じっと視線を注いでいると、布が取り払われた。
現れた檻の中には、彼女の胴と同じほどの胴の太さをした、双頭の蛇がいた。
魔物だ。
何故。
どうなる。
鈍った思考が嘘のように、幾つもの言葉が脳裡をよぎる。
バラバラの言葉たちが、形にならずに消えていった。
チクリ、と腕に感じて視線を向けると、腕に何かの薬品が注入されていた。
そして次に目を覚ましたとき、彼女は何かの液体の中を漂い、下半身は蛇になっていた。




