33. 彼女が望んだこと
ころして
と、彼女はいった。
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その女性の口もとからは、コポリ、と小さな泡が昇る。
液体の中だ、ということを除けば、普通に呼吸しているように見える。
エラのようなものは見えないから、肺呼吸だと考えられる。
ならばこの液体は、羊水のようなものなのだろうかと、アルフはチラリと思った。
ガラス管を小突いていた彼女は、アルフたちが近づいて来たのを確認してその手を止めた。
ふわりと笑って、何度か口を動かした。しかし当然だが、声は出ない。
彼女自身もそのことにすぐに気付いたようで、口もとに手を添えて困ったように笑った。
「まさか、生きた検体が残っているとは……」
「本当に、こんなことしてたんですね……」
女を見ながら、ポツリとこぼす二人。その表情は暗い。
アルフの表情も、二人と大差ない。
顎に指を当て、うーんと何事か考えている様子を見ると、ただのヒトと何も変わらないように見えた。
不意に女は、何かを思いついたように顎に当てていた指を見た。
その指をアルフたちに振って見せ、注意を引いてからガラス管に押し当てた。
ゆっくりと動かされる指を、三人は凝視する。
が、三人揃って首を傾げた。
「アルフ、解る?」
『書類の文字と同じ、はずだけど……逆になってるから解りにくい』
訊いてくるマリウスに、アルフは答える。
そして、別の文を書いて女に向けた。
『もう一度書いてください。ゆっくり、一文字ずつ』
女は頷いて、再び指を動かした。
アルフはそれを見ながら、板の上で同じように指を動かした。
写し終えた文字を反転させて、アルフは眉を寄せた。
左右から覗き込んだ二人も、顔をしかめる。
そこに書かれていたのは、短い言葉。
ころして
そう書かれていた。
「ころして――殺して、か」
無理もないな、とガードがこぼす。
書類にあった日付は、今からおよそ千年前。
その間彼女はずっと、この中で、この姿で、生きてきたのだ。
今こうして、穏やかに微笑んでいられるのが信じられないくらいだ。
女は三人の目を順に見て、彼らが自分の望みを理解していることを確認し、また柔らかく笑んだ。
顔を見合わせた三人は、仕方がないとガラス管の操作をするための物だと思われる装置へ向かった。
「えーっと……あ、このボタン排水って書いてあるよね」
古語があまり得意ではないマリウスが、見つけたボタンの確認を取る。
アルフが頷いて押すように促すと、小さく一度深呼吸をして、ボタンを押した。
ガコン、と何かが動く音がして、見ている間に少しずつ水位が下がっていった。
排水が終わると、その間にガードが見つけていたボタンを押し、ガラス管が下へ下がっていく。
およそ千年ぶりに触れる空気。
何度か小さく呼吸をして、やがて大きく息を吸い込んだ。
吸い込んだ息を吐いてしまうと、三人に向かって腕を広げた。
微笑んで、殺せと三人に促してくる。
アルフは一つ息をついて、亜空間倉庫からナイフを一本取り出した。
剣で斬りかかれるよりは怖くないだろう、と思ったのだ。
小さくて華奢なナイフだが、リオンが遺跡から持ち帰った品で、望む者に死を与えるという物だ。
見つけたのは医務室のような場所だったというから、介錯にでも使っていたのだろう。
そのナイフを持って近付くと、ありがとうと言うように微笑んだ。
胸に刃先を向ける。
とそこで、両脇から二人の手が重ねられた。
「バカか、アルフレッド。こんなこと一人に押し付けるわけなかろうが」
「一人で無理すんなよ、アルフ」
グッと一度強く手を握られ、いつの間にか全身に入っていた力を抜いた。
そして三人の手で、女の胸にナイフが突き立てられた。
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彼女は奇妙な液体の中を漂っていた。
この中にいると、不思議と息ができた。
最初はおぞましくて仕方がなかった蛇の下半身も、恥ずかしくて仕方がなかった裸の上半身も、その内に慣れてしまった。
白衣の者達が、そんな彼女を見て何かを書いている姿をよく見かけた。
檻の中に居たときと同じように、彼女の周りにはヒトが――かつてヒトであったものたちが増えていった。
そして、ビーッという音が鳴ると、白衣の者達は慌てた様子で走り回り、動かないそれらは連れ出されていった。
彼らは、彼女らは、死んでしまったのだろうと彼女は思った。
彼女はガラス管の中で白衣の者達の会話に耳を澄まし、彼らの目的を知った。
年々広がり行く魔物領。これをくいとめる、もしくは押し返すための戦力が欲しいというのだ。
彼らは魔物の力に目をつけたが、飼い慣らそうとしても上手くいかず、調教にも成果がでない。
彼らは魔物には知能が無いのではないか、と考えた。
そこで彼らは、ヒトと合わせることを思い付いた。
魔物の強靭な肉体と、ヒトの知能が合わされば、これ以上ない戦力になるだろう、と。
そうして彼らは、その技法を研究する傍ら、素材となるヒトと魔物を集めた。
その中の一人が、彼女だったのだ。
そんなことのために、と彼女は憤った。
魔物を脅威に思うのはわかる。彼女とて、魔物は恐ろしい。
けれどそれは、平穏を甘受していた彼女の幸せを奪う理由にはならなかった。
ある日唐突に、研究は終わりを迎えた。
いくら続けても、成果が出ないのだ。
まず大半が、合成に適合できずに死んでいった。
生き延びたものも望む結果にはならなかった。
制御できないことを警戒し、最初はヒトの割合の方が大きかった。
しかしそれでは、彼らの望む数値には程遠い。多少普通のヒトよりも頑丈かもしれないが、それだけだった。
かといって魔物の割合を多くすると、制御ができない。
いつまでも成果のでない研究に、これ以上金は出せないと決まったのだ。
そして彼らは姿を消した。
残されたのは彼女と、同じようにガラス管に入れられたものたち。
やがてかれらも、死んでいった。
ガラス管の中で死に行くもの、暴れて外に出たはいいが、食料もなくやがて餓死したもの。
いつの間にか、彼女以外はすべて死んでしまっていた。
どれ程の時が経ったのか。
やがて、三人の少年達が現れた。
似ているが違う言葉を話す彼らに、彼女は頼んだ。
自分を殺してくれ、と。
彼女と一つになった蛇には、どうやら長い時を生きる力はあってもガラス管を割る力はなかった。いや、彼女が発揮できなかっただけかもしれないが。
この液体のなかにいると、傷は治ってしまう。
故に彼女は死ぬことができず、いつ来るとも知れない終わりをただひたすら待つだけだった。
そこに現れた他者。
頼まないはずがなかった。
彼らは彼女の望みを叶えてくれた。
胸に突き刺さる刃。
遠退く意識で、彼女は心からの感謝を彼らに贈った。




