01. 嵐の日に
その日、シグサイ国王都近郊は、近年稀に見る嵐に見舞われていた。
激しく叩きつけられる風雨に顔をしかめながら、男は外套の襟元を手繰り寄せる。
その時胸に感じた硬い感触。妻にもらった御守りだ。
妻は大丈夫だろうか、と、家にいる妻を想う。
妻は身重で、今日明日にでも産まれるだろうと言われているのだ。本当なら妻の側についていたい。
しかしこの地を治める領主として、その責任を放棄するわけにはいかない。
嵐によって増水した河川は積み上げられた土嚢に激しくぶつかっていく。その様子をしばらく観察し、どうやら決壊の心配はなさそうだと判断したところで、近付いてくる人影に気付いた。屋敷に残してきたはずの家令だ。
「旦那様、もう間もなくお生まれになるそうです。問題がなければ屋敷にお戻りください」
「……ありがたいが、そいうわけにもいくまい。嵐はまだ続きそうだ」
空を見上げるが、嵐が収まる気配はまるでない。
それでも、以前ならばまかせられる者もいたが、その者たちは少し前に国境にある領地に送ってしまっていた。今いるのは、修行中の若手とその教育係の隠居者だけだ。
それでも仕事に支障はなかったのだが、この嵐はさすがに想定外だった。
「大丈夫です、旦那様。王都から近衛の方々がいらしてくださいました」
「近衛が?」
その時家令の向こうから、男が一人姿を現した。
嵐のせいで視界がきかないのだ。
「遅くなって申し訳ない、アートライド公。こんなに強い嵐はそうそうないものですから。飛竜たちも落ち着かなくて」
近衛は飛竜に騎乗する。その飛竜たちは、多くが近衛たちによって繁殖されたものだ。
野生の飛竜を捕獲したり、気が合ったと称して出先から連れて帰ったりすることもままあるが、王都生まれが占める割合は大きい。
そんな飛竜たちには、当たり前だがこんな嵐の経験はない。
「近衛の団長がおいでか。しかし嵐は王都も襲っていように。空けていいのか?」
「こちらは今大変だからと、陛下がおっしゃるので。それに、優秀な副長がいますから。王都生まれの飛竜たちの、いい飛行訓練にもなりますし」
「陛下が……。そうか、では戻って妻の側にいなければお叱りを受けるな」
エトランド・ウォルター・ジェイ・シグサイ・アートライド。
それが男の名前である。彼の妻は現シグサイ国国王の腹違いの妹だ。異腹とはいえ仲のいい兄妹なので、結婚後も何かと気にかけてくれるのだ。
尤も、エトランド自身も国王とは母方の従兄弟に当たり幼い頃から親しくしている。そして、名前に国名が入っていることからわかるように、彼自身もまた王家の血を引く人間である。
エトランドの祖父が当時の王弟であり、公爵の位を得て今のアートライド公爵家がある。
エトランドはフッと口元に笑みを浮かべる。そして、左腕に嵌めている腕輪に指を滑らせる。
「各部隊に連絡。一時指揮権を近衛騎士団団長に委譲する。嵐はまだ続く。気を抜かず、各自警戒を続けるように」
『了解しました、閣下。きっとこの嵐に負けない強いお子がお生まれになりますよ』
連絡を取った相手の言葉に、小さく笑みをこぼす。
この状況で指揮権を他者に委譲する理由がバレバレだ。
「では、私は屋敷に戻る。あとの事は頼んだよ」
「ええ。嵐が収まったら、お祝いもかねてご挨拶に伺います」
実は祝いの品も持参してあるんですよ、と笑う近衛団長に、それは楽しみだと笑い返して、エトランドは妻のもとへ帰るために歩き出した。
その日、激しい風の音に負けない産声を上げて、アルフレッド・ウィルト・エクス・シグサイ・アートライドは生まれた。




