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異国のカフェで、壊れかけた私を拾ったのは無愛想な菓子職人でした  作者: 深町 灯


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22話 白いマグカップ

 二月の終わり。


 リューベルの朝は、まだ少しだけ冬の匂いが残っていた。


 窓の外には薄い霧。路面電車の音が、遠くから静かに響いてくる。


 私はキッチンの小さな棚を整理していた。


「……こんなところにあったんだ」


 奥から出てきたのは、白いマグカップだった。


 少し欠けた縁。


 青い小花模様。


 日本から持ってきたお気に入り。


 でも――。


「それ、まだ使ってたんだ」


 背後から低い声がした。


 振り返ると、悠真さんが立っていた。


 今日は珍しく早番らしく、黒いコート姿のままだった。


「……使ってないよ。しまってただけ」


「そう」


 彼は私の手元を見つめる。


 あのマグカップを初めて使ったのは、まだドイツへ来たばかりの頃だった。


 右も左も分からなくて。


 スーパーで買い物するだけで緊張して。


 夜になると急に日本へ帰りたくなって。


 泣きそうになりながら、温かいココアを飲んだ。


 そんな日の記憶が染みついている。


「割れなくてよかったな」


「うん」


 私は笑った。


 でもその瞬間、悠真さんがぽつりと言った。


「……前より、ちゃんと笑うようになった」


 胸が少しだけ揺れる。


「そうかな」


「最初、かなり無理してたから」


 図星だった。


 私は何かを誤魔化すみたいに食器棚へ視線を向ける。


「日本にいた頃から、そういう癖あるよね」


「……なんで分かるの」


「見てれば分かる」


 彼は当たり前みたいに言う。


 ずるい。


 そういうところ。


 静かなのに、ちゃんと見ている。


 私は苦笑した。


「悠真さんって、時々怖い」


「褒め言葉?」


「違う」


「残念」


 そう言いながら、彼は冷蔵庫を開けた。


「今日、夜いる?」


「たぶん」


「じゃあスープ作る」


「え」


「この前、疲れてたから」


 さらっと言う。


 私は一瞬返事ができなかった。


 優しさって、もっと大げさなものだと思っていた。


 でも本当は。


 こういう何気ない一言なのかもしれない。


「……ありがとう」


「ん」


 悠真さんは牛乳を取り出しながら、小さく笑った。


 その横顔を見ていると、不思議と胸が静かになる。


 外ではまた、小さな雪が降り始めていた。


 春はまだ少し遠い。


 だけど――。


 このキッチンには、ちゃんと温度があった。

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