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異国のカフェで、壊れかけた私を拾ったのは無愛想な菓子職人でした  作者: 深町 灯


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18話 「帰りたくない夜」



 その日の夜。


 夫はまた出張だった。


 娘は宿題を終えると、ソファで眠ってしまった。


 小さな寝息。


 テレビの音。


 食べ終わった食器。


 いつもの夜。


 なのに私は、どこか現実感がなかった。


 ――「無理して笑う時あるよね」


 颯真さんの言葉が離れない。


 そんなふうに見抜かれたことがなかった。


 私はずっと、“ちゃんとしている人”でいたかった。


 ちゃんとした妻。

 ちゃんとした母親。

 ちゃんと空気を読める人。


 でも。


 本当はずっと苦しかったのかもしれない。


 スマホが震える。


《今日は冷えるから、帰り道心配だった》


 また颯真さんだった。


 私はしばらく画面を見つめる。


 こんなの、ただの優しさだ。


 なのに。


 胸が痛いくらい嬉しい。


《大丈夫でした。娘ももう寝ました》


 送信して、数秒。


《そっか。ゆづきさんもちゃんと寝て》


 “ちゃんと寝て”


 たったそれだけで、涙が出そうになる。


 私は慌ててスマホを伏せた。


 その時。


 玄関の鍵が開く音がした。


 予定より早い。


 夫だった。


「ただいま」


「……え?」


「明日の会議リモートになった」


 コートを脱ぎながら、夫は疲れた声で言う。


「琴巴寝た?」


「うん」


「そっか」


 私は立ち上がる。


 急に、心臓が速くなる。


 スマホ。


 テーブルの上。


 画面、消えたよね。


 変なメッセージ見えてないよね。


 自分でも驚く。


 何をこんなに焦ってるんだろう。


 夫はソファに座り、ネクタイを緩めた。


「なんか飲む?」


「ビールある?」


「あるよ」


 冷蔵庫を開けながら、私は必死に平静を装う。


 夫は悪くない。


 優しくないわけでもない。


 なのに。


 私は今、“帰ってきた”ことに少し動揺している。


 缶ビールを渡すと、夫がぽつりと言った。


「最近さ」


 私は肩を震わせる。


「楽しそうだよね」


 心臓が止まりそうになる。


「……え?」


「前より元気になった気がする」


 夫はビールを開けながら続けた。


「ドイツ慣れてきた?」


 私は何も言えなかった。


 夫はたぶん、何も気づいていない。


 ただ普通に話しているだけ。


 なのに私は。


 まるで隠し事をしているみたいに、息が苦しくなっていた。

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