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異国のカフェで、壊れかけた私を拾ったのは無愛想な菓子職人でした  作者: 深町 灯


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13話 「言えない名前」

 夜、娘が寝たあと。


 私はひとりでリビングに座っていた。


 テレビはついているのに、内容は頭に入ってこない。


 昼間、娘に言われた言葉がずっと残っている。


 ――「前より笑ってる」


 その通りだった。


 認めたくないくらいに。


 スマホが震える。


《雪、大丈夫だった?》


 颯真さん。


 短いメッセージなのに、胸が少しだけ温かくなる。


《なんとか帰れました》


 送ってから数秒後。


《よかった》


 たったそれだけなのに。


 私は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。


 昔は、こんなふうに誰かから連絡が来るだけで嬉しかっただろうか。


 結婚して。

 母親になって。


 毎日は忙しくて、必死で。


 “自分が誰かに気にかけられる”感覚を、いつの間にか忘れていた気がする。


 その時、玄関の電子音が鳴った。


 私は反射的に立ち上がる。


 夫だった。


「ただいま」


「……おかえり」


 スーツケースを引く音。


 疲れた顔。


 いつも通りの光景。


「雪すごかったな」


「うん」


 夫はネクタイを緩めながら冷蔵庫を開けた。


「なんか食べるものある?」


「スープなら温めるよ」


「お願い」


 私はキッチンへ向かう。


 背中越しに聞こえる夫の声。


「今日どうだった?」


「普通かな」


「そっか」


 会話はそこで終わる。


 悪い人じゃない。


 ちゃんと働いてくれている。


 家族を養ってくれている。


 分かってる。


 でも。


 “寂しい”って、もっと静かに積もっていくものなんだ。


 スープを温めながら、私は小さく息を吐いた。


 その時。


 テーブルに置いたスマホの画面が光る。


《明日、もし時間あったら新しいケーキ試食してほしい》


 颯真さんから。


 一瞬で鼓動が速くなる。


 しまった、と思った時には遅かった。


「誰?」


 夫の声。


 私は振り返る。


「……カフェの人」


「ふーん」


 夫はそれ以上何も言わなかった。


 けれど。


 その“ふーん”が、やけに胸に刺さる。


 私はスマホを伏せた。


 まるで、隠したかったみたいに。

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