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異国のカフェで、壊れかけた私を拾ったのは無愛想な菓子職人でした  作者: 深町 灯


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10/50

10話 帰り道

 雪は、いつの間にか雨へ変わっていた。


 白くなりかけていた石畳は濡れて光り、街灯の色をぼんやり映している。


 


 ユヅキはレオンの少し後ろを歩いていた。


 さっき触れた指先の感覚が、まだ消えない。


 カイロを握っている右手だけ、妙に熱かった。


 


「……そんな寒い?」


 前を歩いていたレオンが振り返る。


「え?」


「ずっとカイロ握ってる」


 


 ユヅキは慌てて視線を逸らした。


「冷え性なんです」


「ふーん」


 


 絶対、顔が赤い。


 でも寒さのせいにできるのが冬のいいところだと思った。


 


 駅までの道は静かだった。


 夜のリューベルは、人通りが少ない。


 閉店後のカフェ。


 灯りの消えた花屋。


 遠くを走るトラムの音。


 


「雪、好き?」


 不意にレオンが聞いた。


 


 ユヅキは少し考える。


「昔は嫌いでした」


「なんで」


「通勤大変だったから」


 


 朝早く家を出て。


 転ばないように急いで。


 電車の遅延を気にして。


 病院へ着いた瞬間から走り回る。


 


 冬はいつも、“綺麗”より“面倒”だった。


 


「今は?」


 レオンがまた聞く。


 


 ユヅキは夜空を見上げた。


 細い雨が街灯に照らされている。


「……少し好きかも」


 


 そう答えた瞬間、自分で少し驚いた。


 


 レオンは何も言わなかった。


 ただ、小さく笑った気がした。


 


 駅前へ近づく。


 ガラス張りのカフェから、楽しそうな声が聞こえてきた。


 若いカップルが肩を寄せ合って笑っている。


 


 ユヅキは無意識に視線を逸らした。


 


 ――駄目だ。


 


 そういう風に見ちゃいけない。


 


 レオンはただ親切なだけだ。


 異国で孤独そうにしていた日本人を放っておけなかっただけ。


 自分が勝手に安心しているだけ。


 


「ユヅキ」


 名前を呼ばれて、はっとする。


「聞いてる?」


「え、あ、ごめんなさい」


「信号」


 


 赤だった。


 ユヅキは慌てて立ち止まる。


 


「今日ずっとぼーっとしてるな」


「……眠いんです」


「嘘っぽい」


 


 レオンは少し笑いながら、ポケットへ手を入れた。


 


 信号が青へ変わる。


 二人並んで横断歩道を渡る。


 それだけなのに、胸が落ち着かなかった。


 


 駅へ着くと、ホームには数人しかいなかった。


 夜の空気は冷たい。


 


「じゃあ」


 ユヅキが言うと、レオンは頷く。


「またな」


 


 “また”。


 


 その言葉が嬉しい自分に気づいてしまう。


 


 電車がホームへ入ってくる。


 ユヅキは扉の前で振り返った。


 


 レオンはまだそこに立っていた。


 冬の夜の中で、黒いコート姿がぼんやり街灯に照らされている。


 


 ユヅキは小さく手を振った。


 レオンも少し遅れて手を上げる。


 


 扉が閉まる。


 電車がゆっくり動き出す。


 


 窓越しに遠ざかっていくその姿を見ながら、ユヅキはそっと胸元を押さえた。


 


 この帰り道を。


 もっと長く歩きたいと思ってしまったことを、まだ誰にも知られたくなかった。

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