第162話 異世界の命運②
「……お前」
「ウォルター卿! まだ倒錯されているのですか!?」
虚無、そして絶望の権化を目にして狂った貴族。
涎を垂らして歯茎を剥き出しにしながら、彼を信頼し切っていたミライを刺した。
その事実に、マオもエリーゼも怒りの感情が湧き上がる。
「何やってんだ、テメェはァ!!」
「離せ、この罪人め!!」
何より顕著だったのはキョウヤだった。
脂肪を蓄えた首元に掴みかかり、押し倒し、締めにかかる。
「貴様らは生きているだけで罪なのだ! いや、生き続ければいずれ獣となる。あの、ぐぅ、うぅうう!!」
「だからってッ、背後からッ、仲間を刺す奴がッ、居るかッ!!」
親の仇でも見るような視線を向けて呻き声をあげる怪物の顔面を、肉食獣が全力で殴り続けていた。
仲間だった者たちの絆が、たった数秒で崩れ去る。
その様子を前にした元凶は、嘲るように声を上げて笑っていた。
「ははっはははは! そうだ、コイツらこそが異常者なんだ。普通は虚無や絶望の果てを前にしたら狂うんだよ!!」
「うるさい。お前を始末してからミライちゃんを治す!」
「しっかりなさってください、ウォルター卿!」
「我は間違っていない、アルテンシアを救うには、こうするほか無いのだ!」
(支離滅裂じゃん……それにヒノワの人も、パディスの人も狂ってる!)
白き魔王は焦っていた。このまま古英雄を足止めし続けていても、ミライが先に失血死する。そうすれば有効打が消え、同時に仲間も失ってしまう。
「ッ!」
「だから我は殺さなければならない」
「やばっ!?」
錯乱したウォルターを押さえつけていたキョウヤが、突如物凄い力で吹き飛ばされた。
マオも想定外だった。ハルマを拘束していたことも相まって反応が遅れ、魔剣の刃が届く範囲までの接近を許してしまう。
「アルテンシアを、プロキアを脅かす敵は……」
(かわせない。ミライちゃんの魔力を吸ったアレを喰らえば、わたしも無事じゃ済まない!)
咄嗟にハルマから手を離し、全力で防御の姿勢を取った。
だが、しかし。
「ッ」
「――お前だ。ハルマ・キサラギ!!」
ウォルターの刃が袈裟に斬り裂いたのは、かつてアルテンシアを救った原初の転生者だった。
(うん、ただのアルテンシアの原住民に斬られるなんて、こんな奇跡もたまには起きるか。なら戻って反撃をすればいい)
ハルマは冷静だった。何千、何万と死に戻ってきた経験が、彼の意識を死の六秒前まで戻す。
すぐさま反撃すべく、拘束しているマオには目もくれずに肥え太った男へと莫大な魔力の障壁を向けるが。
「なに?」
「脅かす敵は――お前だ、ハルマ・キサラギ!!」
ウォルターは理解しているかのように切り裂き、勢いのまま敵の首を落とした。
(読まれた? いやそれより、また攻撃が当たった? 二度も奇跡が起きるものか、いや数千年に一度ならあり得るか)
三度、死に戻る。
「ならば後方へ……ッ!?」
「――お前だ、ハルマ・キサラギィイッッ!!」
「なん、で……?」
十度、百度と手を変えては死に続けた。
古英雄の脳に疑問符が満ちる。その答えは、か細く伸びる、二本の綺麗な糸。
(しまった、いつ刺された? いや、アイツは死んでない。狂ったのも演技、俺も含めて皆騙されていたのか?)
血を吐き、倒れ、息も絶え絶えな空色の少女から伸びる、透明なネットワーク。
(き、切れない……! しかも枝分かれした未来が俺にも見える、どうやっても、どう避けても、俺は六秒後ピッタリに死ぬ!!)
マオの言動から警戒はしていた。だが、絶望を乗り越えた末に殺されたと思い込んでしまったところから、ハルマは術中に嵌り詰んでいた。
(くそッ、思い返してみればあのデブ、生きる希望を無くしたくせに世界への執着ありまくりだったじゃん!)
振り返るが、もう遅い。
この時点で、数万回も同じ時間を繰り返していた。
「俺は何処に行くんだ!? あと何回死ぬんだ!? 受け入れた生命の果てじゃないのか、ここは何処なんだ!?」
生への執着から、無意識に死に戻る。
前世でトラックに轢かれたときから芽生えた『二度と死にたくない』という願望も、固定された運命の中では悪あがきに過ぎず。
「こ、この」
ハルマは結局、六秒間の牢獄から出ることが出来なかった。
未知の果てへの根源的恐怖から自らの首を掻き切ることもできない。
成熟しきった魂が成長することもなく、やがて時間の回転が数億を超えた辺りで。
「この人殺しどもがァアアーーーーッッ!!!!」
ついに彼の精神は限界を迎え、永遠に焼け続けた。
〜〜〜〜〜〜
「ミライッ!!」
「っ、待って!」
ハルマの消滅を待つよりも先に、ウォルターが踵を返して少女の方へと駆け出す。
当然、事情を飲み込めないマオは止めようとする。だが彼の悲愴感あふれる顔を目にし、手が止まってしまった。
「……ぁり、がと。ウォルター」
「すまない、ぁああ、また我は取り返しのつかないことを!! 頼む逝くな、お願いだ、メリアの所に行かないでくれ!!」
「でも、私の、想い……汲み取って、くれて、嬉しかった」
ウォルターは最初から狂ってなどいなかった。
そしてミライは彼を信頼し、チラリと目線を送っていた。
そして彼も、その背中を見て悟った。
遺物に残る魔力を使ってアイツを倒してほしい、という想いを。
当然、核を失った転生者の身体は、マナへと還ってゆく。
彼女も例外ではなく、盟友に抱きかかえられた腕に伝わる涙が当たり、そこから粒子へと溶け始めていた。
「……信頼、出来る人が、欲しかった……ウォルターと、ヒロと、サリエラと、エリーゼと……いっぱい色んな人に、出会えて、よかった」
「やめろ、やめてくれ……まだ、我は別れなんて認めない、認めたく、ない……!」
「で、も……ずっと生き続けていたアイツが、私はどうしても……許せなかった」
「それはオレの台詞だ」
今際の際が迫るミライに、キョウヤがヤンキー座りをしながら詰め寄る。
「テメェの心中を愛する人間にやらせてどうする? ふざけんじゃねェよ。コイツにテメェの命背負うだけの意思があると思ってんのか? 本当にコイツのことわかってやったのか!?」
「……っ」
ウォルターが狂っていないことは、キョウヤも観察して理解していた。
だからこそワザと吹き飛ばされたフリをし、ハルマ打倒のための演技に一躍買っていたのだ。
しかし、命と引き換えの勝利を認めるほど彼はお人好しではない。
「空じゃなくて、この豚野郎を見ろ! コイツ、今にも自分の背負ったモンに押し潰されそうになってんだろうが。このままだとコイツ、テメェの後を追うぞ」
「ッ、貴様なにを!?」
「これ寄越せ。身内ブッ殺させる家柄なんざクソ以下だろ」
徐にリバイアサンを奪い取り、消えてしまったミライの腹部へと突き刺した。
瞬間、澄んだ蒼の光が辺りに広がる。駆けつけたマオもエリーゼも、すぐさま何をしようとしているか理解した。
「遺物は元に戻らねェ。なら、アルテンシアに適した進化を遂げた人類に、無理くり転生させればいい」
「そのためには、莫大な魔力が……そもそも出来るの!?」
「やらなきゃわからねェだろ。ともかく、命を背負う覚悟も無ェのに奪うなんて様、許さねェ!」
「っ、わたしも魔力集める!」
マオも能力を最大限行使し、散ったミライの残滓を集める。
だが、消滅は止まらない。留まらない。
「クソが、諦めねェ……!」
「……みぃも、諦めない!」
「なっ!?」
キョウヤの手を取ったのは、正気を取り戻したミエコだった。
彼には信じられなかった。自分以外の誰かのために、彼女が力を尽くそうとするなんて。
「きょーやには、まだやることあるもん!! それに、コイツに『おれい』、返せてないもん!!」
「お前っ……いや、オレを手伝え!」
「げんかいぃいいーーーーっっ!!」
『生まれ直せッッ!!』
「お願い。生き返って!!」
三人の無垢なる願いが重なる。
広がる光が更に輝き、空を、そして神の国を灼いた。




