第153話 これが俺の装備だ③
アルテンシアが誕生してから百年。
いまだ大陸はモンスターの手中にあり、数少ない人間や動植物は、細々とした生活を強いられていた。
エリサも必死に戦ったが、荒廃した大地を背に、殆ど身体を動かせなくなり。
「……どうしよう。老いてるはずなのに、老いないや。アルテンシアで産まれた子たちが爺さん婆さんになって、消えて……生命の始まりと終わりを見るくらい、生きちゃった」
見上げた灰色の空は霞んでいる。
しばしばと瞼を開閉させる。なおも身体の感覚はなかった。
「前の世界の生存者で、まだ生きてるのはニグアスだけ……ワタシも、そろそろ世界から消える……」
エリサは自分の終を悟っていた。
身体は老いない。新世界の人々と同じく、傷も回復術で治療できる。その特異性を活かし、彼女は幼馴染と共に、最前線で異形と戦い続けていた。
しかし、老いずとも劣化はする。荒地でも駆け回れた身体は起き上がることも困難となり、五感もすっかり衰え、直近数日の記憶もしばしば飛ぶようになっていたのだ。
「でも……ニグアスを残して、逝けない……」
だが、共に運命を背負ってきた友を一人にはできない。
その想いが、すっかり人々の間で触れてはいけない存在となった生命を繋ぎ止めていた。
それから、また月日は流れ。
「ハルマ様がいらっしゃったぞ!」
「異世界から参られた英雄、ハルマ様が!?」
再び醒めた目が映していたのは、どこかパッとしない黒髪の青年だった。
「うわ、もうすぐ死ぬじゃん。何したらそうなったの」
「……貴方は」
「ハルマに気安く話しかけないでくれる?」
「そうよ、こんなヤツ放っておきましょうよ」
周りに二人の女を侍らせているようだ。
エリサの広めた秘術を修めてきたのか、彼女らは宝玉の付いた杖や書物を携えていた。
「ここもモンスターに荒らされてるんだよね。なら片付けないと」
「ハルマ……この先、一帯のモンスターを統べてる『魔王』ってヤツが居るってさ」
「そうなの? なら、ラスボス倒したらハッピーエンドってことじゃん」
五十年かけてモンスターを束ねる存在を見つけ出し、また五十年かけて人々は魔王の御膝元に集落を構えることができた。
それまで多くの犠牲もあった。だが、ハルマは軽い様子で危険地帯へと足を運んでゆく。
「ちょっと待ってなよ。せっかく来たんだし、世界救ってくるから」
「待っ、て……」
必死に手を伸ばそうとする。
しかし、またも意識が遠のき始めてしまう。
「……ねえ、大丈夫?」
「っ」
直後。エリサは身体を揺らされ、手放しかけた意識を取り戻した。
彼女を起こしたのは。暫くぶりに顔を見せた、透明な雰囲気の男だった。
「ニグアス……!」
「君は……僕のこと、知っているのか?」
「えっ」
しかし返ってきたのは、彼女にとって絶望の言葉。
「なに言ってるの……エリサよ、ワタシのこと忘れたなんて……」
記憶が飛んだことは何度もあった。当然、ニグアスも例外ではない。
「っ、ニグアス……もしかして、記憶が……?」
「ぼくの『信徒』じゃない……信仰を向けていない者など、知る由もない」
「……うそ。なに、言ってるの」
そのエリサの認識は、大きく間違っていた。
側で観ていたヒロも同じ疑問を抱き、現在のニグアスへと問う。
『このとき既に、ぼくの身体はフォタァザに乗っ取られかけていた。最初に最強の力を願ったとき、滅びゆくフォタァザの魂が、ぼくの身体を依代として生き永らえようとしたみたいなんだ』
『でも、それなら大国宝は』
『ぼく本来の意識が戻ることもあった。でも年々、意識を保つことも難しくなっていった。だから』
『決して壊れないマナの塊に記憶を封じ込めた。それも悪用されることのないよう、五つに分けて』
『でも……』
憂いの目を向けた先には、生への鎖を絶たれたエリサ。
「ワタシが……あんなこと願ったから……?」
瞬間、呻き声が上がり、身体が淡い光へと溶け始めてしまう。
子供の頃に願った最強の力の代償。
それは全人類、全世界の在り方に影響を及ぼした。当然、エリサも例外ではない。
「ねえお願い……一人に、しないで……」
縋るように透明な依代の腕を掴もうとする。
『……っ』
神とは異なり、透明だった人の顔には、言い表せぬほどの感情が浮かんでいた。
エリサの身体が消える。これから彼女はマナへと還り、幾星霜もの転生を経て、アリーシャ、そしてサリエラとなり人類を導く存在となる。
『……エリサ』
だが、ニグアスは。記憶が戻ったとき、一人残された彼はどうだろうか。
「ハルマ、危ない!」
「しまった、魔王が逃げた!」
果ての見えぬ闇の世界で。そして故郷だった世界で。
真の理解者を失った数千年を、独り過ごすことになる。
「ワタシ……死にたく、ない……!」
その『願い』も虚しく。
『っ、エリサ!』
彼女は、光となって、消えた。
〜〜〜〜〜〜
「消させない」
「……えっ?」
『……はっ?』
消えない。どうして。
エリサは消えて、意識は世界の礎に、そして魂は転生を繰り返すようになるはず。
なのに……ヒロが掴み、マナ化を抑えている。
「君は……急に、いったい」
「身体が勝手に動いていた。絶対に死なせたくない、その君の願いを受けて」
「信徒ではない……いや、この世界の者でもない。誰だ、誰なんだ」
「ニグアス!!」
「っ!?」
一喝。戦禍に包まれた世界を晴らすほどに、清々しく響き渡る。
「悪用されることがないよう、だって? 馬鹿言うなよ。本当の想いは、違うだろうが!」
ヒロは、感じ取ったのだ。
ニグアスは、誰かにエリサを助けて欲しかったのだと。
そして願わくば、世界の理すらも打ち砕かんとするほどの、勇気と熱意を持った勇者にのみ渡らん事を、と。
「エリサを助けてほしい。そしてエリサも、誰かに助けを求めていた。だから」
『無駄だ、記憶には干渉できない。やれたら、とっくにぼくがそうしている!!』
三人に、英雄から逃げ仰た魔王が迫る。
そして創世の神々を喰らわんと、獅子のような大口を開けて。
「なに……!?」
『そんなっ……!?』
「俺は彼女を助ける。その願いを見過ごすことなんて、出来るわけない!」
そんな魔王すらも。
最強の名を冠する紅き剣は、一撃で斬り伏せてみせた。
「たとえ数千年も前だとしても、救済が心からの願いならば……この悲劇を、ここで終わらせる!!」
魔王が斃された瞬間、禍々しい空に光が差し始めた。
まるで、世界の夜明けを表すように。
「さすがハルマ、一瞬で倒すなんて!」
「いや、俺は何も……」
ハルマと同じく、エリサとフォタァザも戸惑いを隠せずにいた。
「思い出せよ、ニグアス。お前が生涯かけて守りたかった、大切な幼馴染を」
「……っ、ダメ、だ……」
しかし依代は、頭を抱えて後ずさる。
「ぼくは……君は、誰なんだ……っ!?」
「少しずつ……ゆっくり、思い出そ」
透明ではなくなった顔を覆う手を、エリサは両手で握り締め。
「この人が、時間。くれたんだし」
まるで太陽のような優しい顔で、微笑んでいた。
(なら、お膳立てくらいはしないとな)
戦士は残党のモンスターを一蹴する。
永劫、誰も邪魔させないように。
『あのモンスター達を一瞬で……君は、本当にエリサを』
「まだ終わってない」
そう、ヒロが剣を天に振るうと、すっかり晴れ渡った宙にヒビが入る。
その奥からは、残り香の闇が――
「もう一人いるだろ」
――え?
「アルテンシアを、何もないところで何千年と見続けてきた人が」
ヒビが、大きくなって――
「エリサ。君を、助けに来た」
どうして、貴方がここに――




