第十八話
ゼシカは僕に気づくと、姿勢を正して一礼し、
「先生、この時間までどちらへ?」
「君が知る必要のないことだ」
と、僕は毅然として言ってやった。
「ところで、こんなに朝早くからどうした。
僕になにか用か?」
ゼシカは、はぁー、とこれみよがしにため息をつき、
「ご自身の立場をよく分かっておられないようですね。
今やヴォイド先生は帝国でいちばんの剣士なのですよ。
あなたに憧れて剣を取る若者たちも沢山いるというのに、朝帰りとは……。
若者たちがあなたを真似て朝帰りするような大人になったら、どうなさるおつもりなのです?」
「………」
ゼシカはたぶん、元カレのローエンがときどき寮を抜け出して妙齢の美女と密会したり夜の酒場で美声を披露したりして夜半にこっそり帰るということを繰り返すようになった原因の半分くらいは、僕の影響だと思っているのだ。
「先生も、そろそろ身をお固めになっては?」
大貴族の令嬢としての地位をかなぐり捨てて冒険者となった気高き少女の冷ややかな視線が僕の横顔に注がれている。
僕のような男が分限をわきまえずに師匠を引き受けたりすれば結局こうなる。
だから弟子を取るのはいやだったのだ。
「フン、余計なお世話だ」
「だれかいい人はおられないのですか。
そうだ、親友のラッセル伯爵さまに紹介していただいてはいかがでしょう。
……あ、わたしはやめておいたほうがいいですよ。
夫となるひとが朝帰りなどしたら、ただでは済まさないつもりですから」
「……それにしても、今朝は冷えるな。
茶でも飲んでいけ。
いま、用意させよう」
僕はゼシカのとなりをすり抜けて、門をくぐった。
「話をそらさないでください。
……あっ、ちょっと先生?
いま、お化粧品と香水の匂いがしたんですけど?」
「気のせいだ」
弟子を客間に案内し、メイドに紅茶の準備を頼んだ。
ゼシカは女冒険者らしく僕のむかいの椅子に身を投げ出すように座ると、
「今日のところは、その妖しい香水の匂いについては咎めだていたしませんけれど……」
と、偉そうに言った。
「ではゼシカ・アナトア殿、ご用向きを伺おうか」
「茶化さないでください」
それから彼女は急に歳相応の無邪気な笑みを浮かべて、
「とうとう先生も領主になる覚悟をお決めになったのですね。
お祝い申し上げます」
「やけに耳が早いな」
「夕べ、スターリング先生から宿のおかみさん経由で言伝がありました。
ええと……」
ジャケットのポケットに手を突っ込み、四つ折りの紙をひらいて、口真似をして読み上げる。
「『急に決まったことなんだが、近々あんたの師匠がヴォイド郡を拝領する。
当然ながら、ある程度の規模の家臣団を編成することになる。
いずれギルドに義勇軍や人足の募集の張り紙が出るだろうが、こういうのは早く席を確保するに限るぞ。
興味があるなら明日の朝にでも訪ねてみたまえ。
ちなみに俺もあんたの師匠の家来になった。
あんたとは同輩、ということになるかもしれんな』
……早速、ヴォイド準男爵家中、なんて名乗ってますよ、あの人」
「ジェイド・スターリング殿ならゆうべ私の自宅のほうにも挨拶にお見えになったようですよ」
と、紅茶を運んできたウォードが言った。
「『筆頭家臣どのにはよろしくお引き回しのほどを、とお伝えください』
と言って、うちの女房のまえにジャガイモの袋とオリーブ油の瓶を置いていったそうです」
話しながら手際よく弟子と僕に紅茶を淹れる。
「いらっしゃい、ゼシカさん。
ごゆっくり」
「ありがとうございます」
屋敷の執事に微笑みかけてお辞儀をするゼシカは、やはり元令嬢だけあって、気品があった。
「先生、そういう訳なんです。
わたしも家来にしてくださいますよね?」
スターリングがこの件をさっそくゼシカに知らせたことは、いかにも彼らしい行動だった。
師匠の僕には手前みそになるが、ゼシカはもう一流の剣士といってよかったし、エリート学校に最近まで通っていた訳だから、軍務も行政もひととおりの知識を持っていた。
ウェイルロードに連れていくには格好の人材だ。
加えて、彼女はアナトア公爵家の娘であり、強引に家を出て独立したとはいえ、実家とのパイプがない訳ではない。
ゼシカを抱き込んでしまえば、いざ中央で政争となった場合、公爵家の後ろ盾を期待することができた。
公爵が娘に甘い父親であることは分かっている。
しかし、やはり僕は21世紀の日本から来た人間だと痛感するのは、未成年を軍事行動に付き合わせることに、どうにも禁忌を感じることだった。
むろんダンジョンでの戦いも命がけのものではあったが、戦争となるとまた違う。
子供を戦争に参加させるべきではない。
そんな思いがあって、スターリングの気のまわしかたは、ありがたくもあり、また小癪でもあった。
「気持ちはうれしいが……すこし考えさせてくれないか」
そう答えるなり、ゼシカは顔色を変えた。
「どうしてですか、先生!
弟子が師匠の戦いに加わるのは当然ではないですか。
わたしにここに残れというのですか?
そんなの嫌ですよ。
わたしの名誉に関わることです。
是非、連れて行ってください」
確かに、彼女はなまじ名のある僕の弟子となってしまっただけに、僕の戦いを帝都で傍観していたとなれば、恩知らずの謗りを受けるかもしれない。
剣士や冒険者にとって名声や評判は命であり、弟子の面目をわざわざ潰すようなことは、師匠のするべきことではなかった。
「わかった、わかった」
と、僕はなだめるように言った。
「ウェイルロードに連れてはいこう。
しかし僕の指示は守ってもらうぞ。
それから、僕の家臣にするにはアナトア公爵家との話し合いが避けられない。
君は実家を出たつもりかもしれないが、貴族や領主の世界はそういう訳にもいかないんだ。
そこは聞き分けてくれ」
主従でなければ、いざというときはいくらでも理由をつけて落ち延びさせることができる。
仮に僕が政争に巻き込まれて死を賜ることになっても、ゼシカはアナトア公爵家という大樹の陰にかくれて逃げおおせることができるだろう。
「約束ですよ。
わたしのことを置いていかないでくださいね」
「わかっている、そんなことはしないよ」
もちろん、雲行きが怪しくなれば容赦なく帝都へ送り帰すつもりだった。
その口実などいくらでも作れる。
それに、アナトア公爵には令嬢を家臣にする話はしないつもりだ。
師匠として、それ以前に彼女の身近にいる大人のひとりとして、彼女から、王侯貴族の夫人となる道を奪うつもりはなかった。
うれしそうにしているゼシカを目の前にして、いくらか卑怯なことをしているようで心苦しかったが、こればかりは仕方ない。




