第十七話
徹夜明けの早朝の街はいつでもどことなく退廃的な空気を漂わせているものだが、この歳になってようやく気付いたけれども、たんに僕が酒だの女だの友人とのバカ話だのにどっぷりと浸かって過ごしたせいで、自分の心象世界が退廃的になっているのだ。
だから、開店の準備をする店主や使用人、出勤の役人や勤め人たちより、酒瓶を手に路地の日陰で座り込んでいる男や、化粧も衣服もだらしなく崩れた街娼のほうに目がゆく。
淡い朝日のなかに取り残された狂乱の夜の名残が、まだそこかしこに転がっている。
僕もたしかに、過ぎていった夜を名残惜しく思っている側の人間のひとりだった。
僕の屋敷の門のまえに、意外な人物が立っていた。
ゼシカ・アナトア。
アナトア公爵家の娘で、未来へと帰っていった弟子のローエンの元カノだ。
首の後ろが見えるほど金髪を短くした彼女は、腕を組み、イライラした様子で辺りに鋭い視線を投げかけていた。
黒革の細身のパンツに詰襟のジャケットといったいでたちで、女の子の装備にしてはいささかゴツすぎるブロード・ソードを佩いていた。
もう令嬢らしいところはどこにもない。
あの、ローエンが未来に戻っていった魔法陣の中心にぺたりと座り込み、泣き暮れていた可憐な少女の面影は、完全に消失してしまっていた。
彼女がそこにいる理由については察しがつかなかったが、苛立っている理由のほうはなんとなく分かった。
なにしろ、僕が彼女に与えた第一印象がよくなかった。
ひどい宿酔に耐えかねてフラフラとダンジョン管理局に出勤したその日に、彼女はローエンを伴って僕を訪ねてきた。
あいにく、僕のほうは、喉まで胃の内容物がせりあがってきており、あまり余裕がなくて、つい慳貪に対応したことも、彼女のなかの僕のイメージにダークな影を投げかけたことだろう。
その男が、また朝まで屋敷に帰ってこない。
育ちのいい大貴族の娘からしたら、だらしなく見えて仕方ないに違いなかった。
(どこでなにをなさってるのか知らないけれど!)
と、彼女の顔に、はっきりと書いてある。
恐らく、ゼシカはすでに僕の屋敷の扉をノックしたと思う。
メイドのローラは僕の不在を伝えて、帰ってくるまで中で待つよう勧めた筈だ。
ゼシカがあそこに立っているということは、それを拒んで門の外で待つことにしたという証に他ならなかった。
彼女は、僕の三人目の弟子となった。
経緯はこうである。
ローエンが未来へと帰っていった数日後に、アナトア家から急使がやってきた。
それもダンジョン管理局のほうに、だ。
ゼシカがとつぜん大サリュード記念学院に退学届を提出し、実父のアナトア公爵と内務大臣宛てに分家願いを届け出たというのだ。
現在、行方が分からない。
もし、ヴォイド殿のもとに来ることがあればぜひご一報頂きたい、という話だったのだが、行方はそれからすぐに知れた。
彼女はダンジョンの門前街の安宿に居を移し、大手のギルドに所属する手続きをとった。
彼女は大貴族の令嬢の立場をかなぐり捨て、独り立ちを決意した、つまり冒険者としてのあがりだけで食べていく覚悟をきめた、ということだった。
弟子のローエンは、未来に帰る直前、僕にゼシカのことを頼んでいった。
ゼシカはローエンにベタ惚れだったが、ローエンは世話になった公爵家の娘を未来に連れて帰る訳にもいかず、置手紙だけを残して別れるかたちになった。
ゼシカはきっと傷ついているはずだから、フォローを頼めないか、という意味である。
そのゼシカが、とつぜん僕の屋敷へやってきて、
「わたしにも剣術の試練をお授けください」
と言った。
このときすでに、あのあでやかな長い金髪はばっさりと斬り落とされていた。
切り口が微妙に揃っていないところを見ると、どうやら、自分の手で断ち切ったらしかった。
これは重症だな、と思った。
とはいえ、弟子から事後を頼まれ、引き受ける形になっていたので、できるかぎりのことはしなければならない。
居合の型を教えて、いくらか危惧の念を抱きながら
「しかし、無理はするなよ」
と言い聞かせて帰らせた。
なにしろ気迫が過剰なくらいだった。
案の定、それから三日後にアナトア公爵家からまた急使が来た。
令嬢が失神してドクターストップがかかった、いま本家の屋敷で休ませているが、それでもベッドから這い出て型を続けようとするので、先生からも止めて頂けないか、ということだった。
僕はその足で屋敷に急行した。
「無理はするなと言ったはずだ」
と、僕は彼女にキツめに言った。
怠けようとする者には尻を叩かなければならないが、こういう自罰的な修行の仕方をする者には厳しく戒める必要があったからだ。
「君の根性はたしかに見届けた。
弟子にするから今日のところはゆっくりと休め」
「いいえ、やり遂げます。
特別あつかいはしないでください」
今思えば、男子と女子の体力差くらいは考慮して然るべきだった。
こっちの落ち度だ。
しかし、弟子になるつもりなら師匠の言うことは黙って聞いてもらわねばならない。
「生意気なことを言うな。
僕の指示に従えないというのなら、他の者から剣を学べ」
するとゼシカは目に涙を溜めて、
「ローエンは命がけでこの試練に挑んでいました。
わたしはそれを隣で見守っていた。
ローエンはちゃんとやり遂げたのだから、わたしもやり遂げます。
お願いだからやらせてください」
「………」
そう言われては仕方なかった。
ゼシカは休養を挟みながら三度、試練に挑んでドクターストップを食らい、四度目にようやくやり遂げて、堂々、僕の弟子となった。
けれども、彼女を指導しているうちになんとなく分かってきたのだが、彼女は上達したい、剣士として名をあげたい、というよりは、僕の一番弟子として帝国の記録に残ることで、後世のローエンに、わたしはあなたを超えたんだよ、と伝えたかったのかもしれない。
ダンジョンの奥地で、単騎、魔物の群れと戦ってこれをせん滅し、肩で息をしながら、
「……わたしがローエンより強くなれたら、先生の一番弟子は、とうぜん、わたし、ですよね?」
あのときのゼシカのすさまじい目つきを、僕は忘れられなかった。
過去に置き去りにしてきた女に、どれほどの強い思いがあったかを思い知らせる、唯一の方法がそれだと、ゼシカなりに思いつめているのだろう。
しかし、すべての傷が時とともに癒えてゆくように、そういう思いもゆっくりと薄れゆくものだ。
彼女の剣術への情熱も、あるとき忽然と消えてしまうのかもしれない。
人間とは矛盾したもので、僕はそのときが早く来ればよいのに、とも、また、いつまでも来ないで欲しい、とも思っていた。
なにごとにせよ上達を目指すうえで、「燃料」より重要なものはない。
ともかく、弟子の小言を恐れ、いつまでもこうして塀の陰から様子を伺っていても仕方ない。
僕は衣服を整えて、髪を手櫛でなおし、背筋を伸ばして、角をごく自然に曲がった。――




