第十四話
ラッセル伯爵家の屋敷を訪ねる頃には、日はとうに沈み、幾望の月が街の明かりを飛び越えて、中天にかかろうとしていた。
ビクターは庭師の作業小屋に木工や陶芸、塗装の職人たちを集め、漆をつかった金継ぎの実験にかかっていた。
いきなり本番に挑んで失敗したくない、というのが兄貴の主張だった。
僕は職人たちに材料の配合の比率や手順を伝えて、それから釉薬や土との相性とか、断面のなじみ具合とかを色々と検証した。
へらをつかって漆と木粉をこねるビクターの膝のうえに、リリィが脇から這い上がって座り、眠そうに目をこすりながら、養父の手作業をじっと見つめ始めた。
「そろそろ寝たほうがいいんじゃないのか?」
と、僕が声をかけると、
「あら、わたし全然眠くないのよ」
と、欠伸をしながら言う。
さすがに五歳の美少女とはいえ、睡魔に負けそうな顔をして、前歯の抜けたくちを大きく開くと、いくらかぶさいくになった。
僕は腕をのばして姪の頭をくしゃくしゃとなでて、
「せいぜい頑張るんだな」
と、ひやかした。
窓から、ここへ来るときに見上げた白い月が見えた。
クヌギの木立に、青いひかりを投げかけている。
硝子には、ランタンの光を背に、テーブルの上の道具類、瓶や筆立てなどが淡く映っていた。
傍では、職人たちが金継ぎについてしきりに話し合っていた。
彼らにとっても、興味深い技法らしかった。
なにしろこの世界には、割れた陶器を修復するという発想がなかった。
これは自分たちの世界においても、東洋に固有の考え方だったと言えるかもしれない。
そうして自分のルーツについて、いろいろと考え込まされるのだった。
ビクターはふと、作業の手をとめ、慎重に腕を伸ばして椅子の背にかけられた子供用のポンチョをとると、船をこぎ始めた愛娘を包み込んだ。
そうして感慨深げに窓のそとを眺めて、
「月を見ると、どうにもハールビュール君を思い出すな。
彼は上手くやっているだろうか」
「そうだな……」
屋敷のメイドが焼き立てのクッキーを盛った皿をテーブルに置き、それから人数分の紅茶にジャムを添えて、どうぞ休憩にして下さいませ、と言い、お辞儀をして退出する。
姪がむくむくとビクターの膝から這い降りて、クッキーに手を伸ばし、ぼりぼり頬張るのを横目に見ながら、
「ハールビュール、月蝕、か。
不吉なものなのだったのだろう?
皮肉な姓を与えられたものだな」
ビクターはにやりと笑って、
「科学は発展するんだよ、マキシム。
僕たちがいた世界だって、古くは錬金術と化学、占星術と天文学は混然一体だった。
しかし時代が下るにつれて、はっきりと区別されていった。
だれもがなぜ日蝕月蝕が起こるのかを知ったら、不吉な前兆とは考えられなくなる。
……ハールビュール家が誕生した頃には、わが国の科学は、そういう迷信を払拭しうる程度には進んでいた、と考えるのが妥当だろう」
「ローエン自身、ソーラー充電式のポータブル・プレイヤーを持っていたくらいだしな」
と、僕は認めた。
「しかしそれでも、縁起の悪いものは避けるのが普通じゃないか?」
「それには事情があったようだ」
と、ビクターは紅茶を含みながら言った。
「時の皇帝には二人、息子がいた。
長男は聡明だったが、あいにく月蝕の夜に生まれた。
むろん、典医たちは月蝕が起こる晩にお産が始まることの決してないよう、皇后に陣痛促進剤の類にあたるものを飲ませるなどした。
が、いくつかの手違いが重なって、悪いことに、この長男は月蝕の真っ最中に生まれてしまった。
それで呪われた皇太子という評判が立ってしまったらしい。
迷信深い連中や、このことを権力闘争に利用したい連中は、不吉を言い募り、暗愚な弟のほうを皇太子に担ごうとした。
そこで皇帝とその腹心たちは大々的に科学を称揚して迷信を否定するキャンペーンを張った。
僕たちの子孫にハールビュールの姓が与えられたのは、そうした運動の一環だったらしい。
月と影。
帝国有数の名門であるラッセル家とヴォイド家がその姓を受け入れ統合されたのなら、月蝕は不吉どころか吉祥ではないか、と国民は考えるだろうと期待された訳だ。
……ローエン君の説明によれば、な」
「もしかして……君は帝国の未来のことを、いろいろと聞いたのか?」
「いや、そのことだけだ。
世の中には知らないほうがいいこともある。
未来を変えるようなことにはなるべく関与したくないしね。
……だから、リリィのことも、ほとんど尋ねていないよ。
ただ、怖い魔法おじさんのレオニード・マンティコアとふしぎ少女のリリィ・ラッセルが五年に渡って魔術に関する書簡を交わしていて、その書簡集に『たのしい魔法入門』という題がつき、ローエン君がいた時代には、著名な魔術の古典のひとつとして、普通に書店に並んでいるらしい。
この時代の傑出した魔術師のひとりだったレオニードは生涯いくつもの魔術書を書き残したらしいが、いずれも深遠すぎて並みの読者にはなかなか理解できず、唯一、口語体のやさしい言葉で記されたこの書簡集が広く好まれたんだそうだ。
誤解しないでくれ、僕が訊ねるまえからローエン君がおしえてくれたんだ。
けれども……それを聞いて、正直心底ホッとしたよ。
もしかしたら彼は、僕がこの子に関することで」
と、寝息をたてる娘のポンチョを直してやり、
「少なからず懸念を持っていたことを知っていたのかもしれない。
そういう逸話や風説が伝わったのだろうな」
「とすると、あいつは……」
「そう、リリィはローエン君のひいひいひいひい……おばあちゃんに当たる」
それは同時に、ビクターが生涯実子を持たなかったか、あるいは持っても家を継がせなかったことを意味した。
ビクターは僕の心配を打ち消すように明るい笑みを浮かべて、
「君のおかげで、レオニードにはでっかい貸しを作れたからな。
さっそく回収してやるつもりだ」
「つまり、宰相閣下に、リリィの魔法の師となって貰うのか」
兄貴は不気味な笑みを浮かべながら、
「ヤツは多忙だろうけど、僕の知ったことではない。
なにしろレオニード自身が、リリィのことでなにかあったら相談しろ、と言ったのだからな」
「しかし、いいのか。
君たちは不仲を演じていたのではなかったか」
宰相閣下がラッセル伯爵の娘の魔法の師となれば、その関係は隠しおおせなくなる。
「……背に腹は代えられん。
レオニードをリリィの師にしてしまえば、あとから知らなかったは通らない。
共同責任にできる。
卑怯な手かもしれないが……さすがにこの家は潰せない。
もう、僕だけの話じゃないからね」
「いい悪知恵だ。
それでこそ僕の兄貴だな」
ビクターの筆頭家臣のレダ・シオンなどはさぞ胸を撫でおろすことだろう。
彼は国許のリリィの相続に反対する声につきあげられて、いろいろと苦労があるようだった。
もちろん、これで伯爵家は安泰になった、とは言い切れないが、少なくともマンティコア大公が失脚しない限り、このことは誰も問題にできないだろう。
ビクターの手元も、こころなしか軽やかに見える。
「しかし、フィリア殿下のものとはいえ、割れたマグカップの修復ていどのことに、えらい力の入れようだな」
兄貴は呆れたように僕を見て、
「だれのためにやっていると思っているんだ。
僕としては出来の悪い弟の世話を焼いているつもりなんだがな」
「なんの話だ」
ビクターは鼻を鳴らして、
「見当くらいつかないのか?
ま、いいさ。
君はそうやって生涯クールを気取ってあちこちのレディを泣かせているがいい」
昼間のことが、ふと脳裏に蘇った。
金継ぎをやってみますと伝えたときの、フィリア殿下のはじけるような笑顔。
それから宰相の執務室に、「じゃーん」と飛び込んできたはいいが、すこしの静寂にどっと後悔の念がこみあげてきたのか、恥ずかしそうに顔を赤くしていた様子。
ビクターは、要するに、宰相閣下が今日、察知したことを、以前から気づいていた、ということなのだろうか。
「なあ、想像してみろ、マキシム」
と、ビクターは言う。
「大帝国のお姫様に、自由な恋愛が許されると思うか?
もし身近に心を寄せる人がいたとしても、断念して頂くよりほかにない。
せめてその代わりに、大切な愛用のマグカップに、とびきりの金継ぎを施して差し上げたい。
できれば君にも手伝わせて、ね。
それが僕の考えだよ」
僕はあたまをかきながら、
「なあビクター、これは自意識過剰なのかもしれないが……」
「自意識過剰だと?
そんなことを気にする歳でもないだろうが。
中学生か君は」
と、ビクターは言った。
「そうか、ニブちんの君もようやく気付いたか。
ならば話は早い。
さあ、精魂込めて金継ぎに取り組みたまえ」
「………」
「まったく、フィリア殿下は健気なお方だよ」
と、ビクターは陶器の割れたところにこってりと麦漆を塗りたくりながら言う。
「許されぬと知りつつ、諦められんらしい。
古くにはわが帝国にもお姫様と上級騎士が結ばれた例があるが、ここ200年はない。最低でも侯爵以上、それか他国の皇族・王族とだ。だから殿下は意中の人をなんとか侯爵にしたいらしい。ヴォイド郡の領主なら、その規模からいって、せいぜい大身の騎士から男爵といったところだが、ウェイルロード州の大半を占める領主となれば、話は別だ。
伯爵以上、あわよくは侯爵も望める。
まして思い人の正念場。
殿下としては一念発起したいシチュエーションだろう。
しかし……」
兄貴はへらの先を僕にむけて、
「だれかさんは領主になるどころか、出世する気すら更々ないと来ている。
おお、おいたわしや殿下」
「それなんだがビクター、しばらくフィリア様と行動を共にすることになりそうだ」
「なにっ、君は領主になる件を引き受けたのか」
「ああ、色々と因縁があってな。
それに、宰相から話を聞いているうちに放っておけなくなった」
「よくその気になったものだな。
いや、もちろん応援するよ。
そうか、それは良かった。
しかし……そうなると」
あごに手をやって考え込むふうになり、
「殿下の身が危ない……」
「やれやれ、君は僕をなんだと思ってるんだ」
「野獣」
ビクターは即答した。
「真面目な話だよ」
と、僕は言った。
「もちろん僕にそんなつもりは微塵もない。
ないが……仮に間違いを犯した場合、どうなるんだろう」
「おや、君は臣下が主家のお姫様に手を出したらどうなるか、想像がつかないというのか?」
ビクターが、すうと眼を細める。
そうして、手刀をつくって、ポン、と首に当てる。
「……だよなあ」
「いいか、殿下には絶対に手を出すなよ」
と、ビクターはふたたびへらの先を僕に向けて、
「しかし、避けたりするな。
あの年頃の女の子はとにかく傷つきやすいんだ。
優しくしろ。
だけど期待を持たせるようなことは厳に慎め。
けれども、間違っても悲しい思いをさせたらだめだからな。
ちゃんと気を使えよ」
「やめてくれ、混乱してきたよ」
僕は、
(酒だ……すべての間違いのもとは、酒だ……殿下が近くにいるときは、一滴も飲むまい……)
と、思った。
スターリングに酒を控えるよう言ったけれども、どうやら、ひとの心配をしている場合ではなさそうだ。
ビクターは僕の考えをすぐに見抜いたらしく、
「君は酒が入ると人が変わるからな。
僕から見ればキュートで他愛ないものだが、女性にとってあれは間違いなく危険だ。
……いいか、飲んだら寄るな、寄るなら飲むな、だぞ。マキシム」
と、励ますように言った。
「わ、わかった……」
「僕もついてゆこう。
どのみち、君をひとりでウェイルロードに行かせるつもりはなかったけどね」
「仕事は大丈夫なのか」
「明日、領地に戻る手続きを取る。
領地で内政に専念していることにしておいて、レノ女史から貰った例のクスリを飲み、ダンジョン管理局の下っ端武官『ケヴィン』に化けて、君の陣営に加わることにしよう。
身分を偽らずについてゆけるものならそうしたいが、ラッセル伯爵家としては門閥どもと正面から事を構えるのは避けたいからな」
「いや、君が来てくれるんならありがたい。
甘えさせてもらう」
「なに、他ならぬ義兄弟のためだ。
構わんさ」
僕はふと思い当って、
「ところで、書類仕事は進んでいるのか」
「も、もちろんだとも」
かれの声はいくらか裏返っていた。
あと数話で前編に区切りがつくと思います。ただ、、、後々改稿をすることになるかもしれません。そうなったらひらにご容赦を。




