第十三話
僕はこの話は断れないと思い、半ば腹を括って宰相のまえを辞したが、正式な返答はいちおう保留させてもらった。
このことは僕の唯一の家臣である執事のウォード・ロキシーに相談もせず決める訳にはいかないと思ったからだ。
ヴォイド郡の領主になるとなれば、今後続々と増えていくであろう家来のまとめ役として、国許なりこっちの屋敷なりで管理職的な仕事に移ってもらう必要がある。
むろん、かれの若い妻にとっては夫の大出世になる訳だが、僕と似て富貴を望まないところのあるウォードには、とんだ災難と受け取られかねない。
むろん、かれは内心ではやれやれと思っても口に出すような男ではないし、恐らく反対もしないと思うが、いちおう話は通しておきたかった。
僕は初冬の夕暮れ時の寒々しい暗色に染まった市街を歩きながら、公安局長から受けた警告を思い出していた。
ジェイド・スターリングのことだ。
この話はなるべく本人に早く伝えたほうがいい。
奴だけのことなら構いはしないが、その恋人のメリア・ローゼを悲しませたくはなかった。
あの男にはもったいないほどの、できた娘だった。
永久機関の一件いらい、スターリングは恋人を変えていない。
かれにしては驚くほど長く続いていたのだ。
病弱のヒモ男に愛想を尽かさないというだけでも、あの娘はどうやらスターリングにとってなくてはならない人間と言えそうだった。
繁華街の賑わい始める時刻であり、いまスターリングの貸家を訪ねても捕まる見込みは薄かったが、とにかく訪ねて、メリアさんに言付けを頼んでおくつもりになり、ちょうど道を折れたところで、当のスターリングが角からふらりと姿を現した。
あの舞台役者ばりに整った顔を、右にむけ、左にむけ、僕に気づいて眼があうなり、
「おお、探しましたぞヴォイドのお殿様」
など大声で呼ぶものだから、嫌な予感がした。
酒をタカられる程度の話で済めばいいが。
「相変わらず全身からうさん臭さがにじみ出ているな。
具合はもういいのか」
スターリングには永久機関の一件で激しい戦闘を強いることになってしまい、そのせいで病がぶりかえし、メリアさんをひどく心配させた。
僕としても多少は気になっていた。
「そんなことより旦那、折り入って頼みがあるんだ。
一生のお願いだ、この通り」
劇作家はうなだれてパチンと手をあわせ、それを蠅のようにすりあわせる。
「あんたと俺の仲だ、そうだろう?
断るなんて言わないよな?」
この男は同情を誘おうとして切羽詰まった悲しげな顔をしているのか、それとも本当に困っているのか、いまいちよく分からないところがあった。
「進退窮まった、とはこのことだよ。
ああ、参ったな」
「なにがあったんだ?」
スターリングは周囲に鋭く視線を飛ばして、それから声量を極端に落とし、
「どうやら公安の連中に睨まれているらしい!」
ドロネオ子爵のあの警告は、決して上辺だけのものではなかったということか。
「おや、その顔……」
と、スターリングが左の眉をつりあげる。
「旦那、なにか知ってるな?」
「知ってるもなにも、ついさっき、公安局長から警告を受けてきたところだ。
おまえの友達によく言い聞かせてくれ、とな。
つまり、君のことだが」
スターリングはまた泣きそうな顔になり、
「旦那信じてくれ。
俺は潔白なんだよ。
帝国に対して悪いことはなにひとつ企んじゃいない。
ほんとうだって」
「ああ、公安もそのことは分かっている。
ただ、こうも言われた。
ジェイド・スターリングには帝国に仕官することを勧める、断っても構わないがその場合には『決して身を隠すな』と伝えろとな。
君は存在自体が危険すぎるんだそうだ」
「納得いかねえ、と言いたいところだが、俺には過去があるからな……」
「カルディオネ公に仕えるのは難しかったのか」
「公が悪い人じゃないのはよく知っているが、あの人は将軍だぞ。
俺はゲイルランドの詩人だ。
帝国人でもなければ武人でもない。
誰がなんといおうとそうなんだ。
いまさら軍務になんか就きたくねえ。
就いたら負けだと思ってる」
「………」
「それに、なにしろ、この身体だからな」
「ドロネオ子爵が言うには、健康のことが不安なら、閑職なり芸術関係の役職なりを見繕う、とのことだが」
スターリングはよほど追い詰められていたと見えて、腕を組んで黙り込んだ。
そうして首を振り、
「ヤツは俺の人脈を利用する気なのかもしれん。
ゲイルランドでそれなりの地位に就いている連中の泣き所なら、よく知っているからな」
僕は、あの公安の高官の表情を消した不気味な相貌を思い出しながら、
「ありえない話ではないかもな……」
「そこで、ヴォイドのお殿様に頼みがあるという訳だ」
「僕にできることがあるなら、協力するが」
「本当か?
男に二言はないぞ」
「できることがあるなら、だ」
スターリングはまた、蠅のまねごとを始めて、
「旦那、この通りだよ。
俺をあんたの家来にしてくれ。
聞いたぞ、あんたヴォイド郡の領民たちから担がれてるんだろ。
臣下として末席を汚させてくれたらそれで十分なんだ。
騎士にしてくれなんて贅沢は言わないから、さ」
「よりによって、なぜ僕なんだ」
「寄らば大樹の陰、というだろう?」
「僕が、その大樹だというのか」
つい、苦笑いが出た。
「まったく、どいつもこいつも、僕のことを持ち上げてくれる」
「あんたはもうちょっと、自分に自信を持ったほうがいい。
俺はな、永久機関の一件で確信したンだ。
こいつは本物だ、とね」
「………」
僕は、本音を言えばこの男をウェイルロードに連れて行きたかった。
なにしろ頭は切れるし魔法使いとしての腕も折り紙付きだ。
ただ、この男にとってそれが幸福なのかどうかは分からない。
「兄貴のところではダメなのか。
ランクールは気候も温暖だし、身体の弱い君には過ごしやすいと思うが」
「わかってる。
ラッセル伯爵にはとても世話になっているし、俺もあの方は大好きだよ。
だがな、これは一生に関わる話だ」
スターリングはそこで言葉を切り、いつになく真剣な眼をして、思いつめたように虚空を見つめていたが、やがて口を開いた。
「はっきり言わせてもらうが、俺は、ハーフ・デビルの女の子を跡取りとして養子に迎えるようなお方に人生を預けるつもりはない。
もちろん令嬢がいい子であることはよく分かっているよ。
しかし、それとこれとは話が別だ」
僕はスターリングを咎める気にはなれなかった。
家臣の視点に立てば、ビクターのしていることはとんでもないことだ。
発覚すれば家は断絶になることが避けられず、家来はまとめて路頭に迷うことになる。
ビクターとリリィの実父とのあいだにどのような経緯があったのかは分からないが、封建領主としては情に流された、行き過ぎたことをしていた。
親友の僕でさえ、それは認めない訳にはいかなかった。
ただ、僕とビクターの子孫であるローエンが未来からやってきてくれたお陰で、少なくともリリィの存在がラッセル伯爵家の存続に致命的な影響を与えなかったことだけは確定している。
そのことをスターリングに説明したが、
「未来が絶対不変だという保証はどこにもないぞ、準男爵」
と、ゲイルランドの魔術師は淡々と指摘する。
「あんたの一番弟子の存在は、そういう未来も確かにありうるということを意味するに過ぎん。
違うか?」
時間と運命の仕組みのことは、僕には分からない。
ここで神学論争の押し問答をしても、意味はなかった。
少なくとも、スターリングにとって、それは問題の本質ではないようだった。
「しかしな、スターリング」
と、僕は穏やかに言った。
「僕の性格はよく知っているはずだ。
王宮でつまらぬいさかいから刃傷沙汰でも起こして、あっさり家を潰すかもしれないぞ」
「あんたが短気な男であることはよく知ってるよ。
だが、断言してもいいが、あんたはそういうことができないタイプでもある」
「どういうことだ」
「時がくれば、いまいる場所に、大地に、深く根をおろす人間だということさ。
俺はこれでも劇作家だ。
ひとの心理に通じていなければ創作などできん。
その俺が断言するんだ、間違いないさ。
それに……」
「それに?」
「あんたがもし、そんなことをするとすれば、それはさせた相手が全面的に悪いに決まってる。
そのときは仕方ない、あんたと一緒に戦って滅びてやるよ。
それくらいの覚悟で、頭をさげている」
スターリングは口の達者な男だが、僕はその言葉を、口先だけのものとは思わなかった。
現にかれは、永久機関の一件の際、僕とビクターの意図をよく察して、任務遂行のうえで最善を尽くしてくれた。
かれは恋人の大切なカメオを質に入れはしても、根は真っすぐなのだ。
たぶん。
「まあ聞いてくれ、スターリング。
ヴォイド郡は現在、とても統治の難しい情勢だと聞いている。
統治に失敗すれば責任を取らされ、最悪、陛下に対して命をもって償わなければならなくなるだろう」
「あんたならしくじったりしないさ。
……この俺の補佐があれば、だがね」
スターリングの眼つきが、一瞬だけギラついた。
この元革命家はちゃんと、交渉相手が自分の才知を必要としていることを察知しているのだ。
相変わらず憎めない男だった。
このまま話をうけがうのも癪だったので、
「ならば、僕からも一つ、条件を出したい」
スターリングは途端に、用心深い顔つきになった。
「ほう……言ってみてくれ」
「酒は……」
金輪際飲まないと約束できるか。
君の健康のために。
そう言うつもりだったけれど、つい言葉がつまった。
酒はこの男の、人生の楽しみだった。
あのとき、ダンジョンから戻ってきて疲労のあまり倒れ、しばらく寝込むことになっても、ときおり、看病するメリアさんの眼を盗んでは酒を飲んでいた。
見舞いに行って、たまたまその現場に居合わせたのだが、そのことに気づいたとき、メリアさんの双眸は、恋人を失うかもしれない恐怖と心配で震えていた。
以来、僕とビクターは、彼への手土産に酒をもっていくことをきっぱりやめた。
ただ、この男に酒を止めさせたくはあったけれども、その楽しみを奪う気にもなれなかった。
僕は逡巡した挙句に、
「酒の量を……控えてくれ。
とくに、体調がよくないときには、決してメリアさんの前では飲むな。
それだけは約束して欲しい」
「ああ……そうする、そうするよ」
かれにも思うところがあったらしく、うなだれ、弱々しい声で、そう言った。
別れ際、僕はスターリングにカマをかけてみた。
「ところで、いつ産まれるんだ」
「来年の梅雨頃、かな……」
指を折って数え始めたスターリングは、ハッとした顔になった。
「なんだ旦那、気づいてたのか」
「そんなことだろうと思った」
「俺も年貢の納め時だよ、ちくしょうめ」
そう言うスターリングは、少しだけ楽しそうだった。
「子どもが出来ていなければ、君は多分、ビクターに仕えていたんだろうな」
「ハハ、かもしれねえ……」
元革命家は、感慨深げに夜空を見上げた。
木工所の軒のうえには、ひとつ、おおきな星が輝いていた。
戦記と銘打ったはいいが、いつになったら戦闘は始まるのだろうか。僕は他人事のように、そのことをすこしだけ考えてみた。そのうち始まりそうな気もすれば、いつまでも始まらないような気もする。僕はそれから先のことを考えるのはやめて、とりあえず更新の手続きをとることにした。そういえば春樹が新作の長編を出すそうです。ちょっとだけ楽しみです。ちょっとだけだけど。




