第十二話
宰相閣下は殿下に長々と待たせたことの非礼を述べ、ソファを勧めてから、
「フィリア様が聖職者でもあられることは、おまえさんも知ってるな?」
「むろん、承知しています」
「神殿の司祭が地方の領主の相談役を務めることが多いのも知ってるな?」
領主は権威や力のみによって領地を支配している訳ではない。
領内の有力者、具体的には各集落の村長や各職能ギルドの古株衆、それに有力な神殿の司祭たちと良好な関係を築くことで、円滑な統治が可能になる。
それには彼らの意見をよく聞き、利害関係をよく把握して、なるべくそれを侵害しないようにすることが大切だった。
とくに司祭は宗教的な権威をもっているため、かれらとの関係を拗らせると、領主の倫理的な正当性が大きく傷つく危険があった。
信仰深い領民たちから、あの領主様はダメだ、なにがしの落ち度がある、と陰口をたたかれることになる訳である。
また領主は毎年行われている祭りを主宰したり協賛したりすることで、求心力を高めることができる。
祭りは神殿の協力なしには行えない。
だから、司祭たちとよい関係を構築することはぜひとも必要だった。
田舎ほど、そういう傾向が強いという。
そのような次第で、多くの領主が、神殿の代表者を相談役として居城に出入りさせていた。
もっとも、これらのことは僕の知識というより、ビクターから聞かされたことをそっくり受け売りしたようなものだが。
ともかく、僕もヴォイド郡を領することになれば、まず神殿を訪ねて司祭に挨拶をしなければならないだろう。
「ええ、聞いています」
「そう、そうゆうことです」
と、殿下は秘書の運んできた紅茶にくちをつけ、
「この件が片付くまで、わたしがヴォイド準男爵の相談役になってあげます。
内政のことや法律のことはわたしに任せてください。
あなたは軍の編成と統率と戦闘に専念すればいいのです。
あ、かんちがいしないで下さいね。
べつにあなたのことが気になるとかそういうんじゃなくて、わたし、修行の一環で地方の祭司を務めなければならないんです」
銀髪の大公は目を細めてしばらく殿下を凝視したあと、
「おい準男爵、ちょっといいか」
急に立ち上がって親指を外にむけて振り、バルコニーへと連れ出し、声を落として、
「……おまえさん、まさか殿下には手を出していないだろうな?」
「なんの話ですか」
「気づかなかったのか?
殿下がおまえさんのことをチラっと見たときの表情だよ」
戦いの場でもあるまいし、そんなものいちいち見ている訳がないだろう、と、思いはしたが、宰相を相手にそんな横柄な口を利く訳にもいかず、
「気づきませんでした」
マンティコア大公は舌打ちして、
「いいか、手を出したらおまえさんにはきっちり責任を取らせるからな」
「殿下のお歳は、たしか……」
「……14歳、だ」
そう答える宰相の声が、かすかに震えていた。
マンティコア大公がなにを心配しているのか皆目わからないが、なにか殿下の身を案じてのことであれば、動揺していること自体はわからない話でもなかった。
フィリア殿下はかならずしも皇位継承権の上位にあった訳ではなかったが、先帝メルヴィン陛下の孫娘であったことから、先帝を慕う者たちの間にあっては、まぎれもなく天下のお姫様だった。
そのうえ、飛び級を重ねてわずか12歳で帝国大学を卒業しており、皇族のなかでもきっての才女とされていた。
ダンジョン管理局の長としても有能であり、波乱や問題に巻き込まれやすい職務につきながら、ミソがつくようなことは一度もなかったし、
(まあ、捜査部門の長であるビクターがそれだけ抜け目なく各方面に配慮をし、仕事をこなしていたということもあるが。
むろん書類仕事は別にして、である)
議会の答弁もそつなくこなす。
加えて、幼少より聖職者としての才能と癒しの術の素養に恵まれ、すでに大きな神殿の長を務めることのできる司祭の階級にあった。
宰相にとって、フィリア殿下は、政務を取ることのできる数少ない皇族の一人であり、また血筋の良さからどの大国の皇太子と娶わせても遜色がなく、宗教方面にも人脈があり、内政上、外交上の切り札として、絶対にホールドしておきたい存在だろう。
少なくとも、僕のような、どこの馬の骨かもわからない奴に手を付けられることだけは、死んでも容認できない、と思っていたとしても、不思議ではない。
「ありえません」
と、僕はおまえはなにをバカなことを言っているのだ、の思いを露骨に顔にあらわして、
「ロリコンは兄貴のほうで、僕ではありませんが」
「それがどうした。
おまえさんはリュリュのような純情な女すら食い散らかす男だ」
と言って、宰相閣下がぐいと顔を近づけてくる。
「………」
僕は思わず眼をそらした。
「くそっ。
殿下がやけにしつこく準男爵のサポートをしたいと言い出したときはなにか思惑があるなとは思ったが、まさか、そっちだったとは。
察知できなかったことは一生の不覚だ」
それから銀髪の魔術師は僕の胸ぐらを掴み、
「いいか、よく聞くんだ。
あれくらいの歳の少女はみんな、身近にいる、一見やさしそうで、落ち着いていて、ちょっと見てくれのいい年上の男なら、誰でも好きになってしまうモンなんだ。
いわばおたふく風邪のようなものだ。
じきにかならず治る」
知らんがな、とも言えず、はあ、と相槌をした。
それにしても必死の形相だ。
僕に、というより、自分に言い聞かせているのかもしれない。
「くれぐれも、早まったことはするなよ……」
僕は掠れた声でそう言う宰相をよそに、気配を感じて振り返った。
フィリア殿下が、ドアの隙間からあどけない顔を出して、
「宰相と準男爵は仲がよいのですね」
と、心配そうに仰った。
「なにか揉め事かしら?」
殿下は眼があった瞬間、すこしまつ毛と瞳を伏せて、くちびるの端に微かな笑みを浮かべる。
なるほど、言われてみればそんな気がしないでもない。
「いえ殿下、揉め事というほどのことではないんですがね」
と、宰相。
「ちょっと男同士の話を……。
すぐに戻りますよ」
「そう……」
フィリア殿下が中へ戻るなり、
「たのんだぞ、準男爵」
と、宰相が念を押してくる。
どっちの話だ、と思いながら、
「心配なら、殿下にちょくせつ釘を刺されては?」
「白々しいことを抜かすヤツだ」
と、宰相は痩せたひたいに長い指をあてて首を振り、
「殿下はな、おまえさんの、教育上とてもよろしくない数々の噂をご承知のうえで、ああいう表情をされているんだぞ」
そうか、そういうことになるのか。
「やっとニブいおまえさんにも、ことの深刻さが分かってきたようだな」
僕はかつて酒を飲み過ぎて女のまえで醜態を晒した経験が二度ばかりあった。
シルヴィアのまえで、それからリュリュのまえで、だ。
それも、そのような事態に至るまで、僕はふたりにとくべつな感情を持っていた訳ではなかった。
加えてシルヴィアは同僚であり、リュリュは職務上、保護監督すべき冒険者だった。
明らかに手を出すのは好ましくない相手だ。
なのに僕は手を出してしまった。
となると……もし宰相が察知したような感情が殿下のなかにあるとすれば、僕が殿下のまえで飲み過ぎて間違いを起こしてしまう可能性は、ゼロとはいえなかった。
急に、恐ろしさがこみあげてきた。
「僕とて帝国の禄を食む人間のはしくれです」
思わず生唾を飲み込んだ。
「主家の姫君を相手に万が一でも間違いを犯し、不名誉な死を賜りたくはないですね」
「そうだろうとも」
と、宰相は僕の表情を見届けると、一転、安堵したように言った。
「いや、分かってくれればいいんだ」




