第十五話
ビクターの屋敷を辞し、静まり返った夜半の帝都を歩いて自分の屋敷まで戻ると、執事にして我が家臣のウォード・ロキシーに宛がった仕事部屋の明かりが、まだついていた。
屋敷の正面から帰宅すると、屋敷に残っている者はおかえりなさいを言うためにいちいち出てこなければならないので、僕は裏口から入った。
屋敷はしんとしている。
メイドはもう休んだようだ。
月あかりを頼りに、調理場のランタンに火を入れ、湯をわかして紅茶の準備をして、それをウォードの仕事部屋まで運んだ。
ウォードは帳簿を付けている最中だった。
僕のような微禄の準男爵でも、屋敷ひとつを持つとなれば、いろいろ出入りがある。
帳簿をつけるのも一仕事だった。
執事は顔をあげて、
「おかえりなさいませ、我が君。
遅くまでお疲れ様でした」
「おまえもな」
僕は空いているテーブルに紅茶のセットを置き、自分でやろうとするウォードを、気にするな、と止めて、かれと自分の分を淹れた。
「頂きます」
ウォードは紅茶をすすり、それから立ち上がってゆったりと腰を伸ばした。
僕は椅子に腰を下ろして、
「相談がある」
と言った。
「おまえの意見を聞きたい」
我が執事どのは、ヴォイド郡の有力者たちが僕を領主として迎えようといろいろ活動していることをよく知っている。
郡の連中は、乗り気でないヴォイド様をあなたからも説得して欲しいと、ウォードにも働きかけているのである。
ウォードはそれをすべて突っぱね、我が君のお決めになることであり、意見するつもりはない、とはっきり断っていた。
こういう話には手土産の一つも持ってくるのが世間の常識だし、ときには袖の下のやりとりが伴う場合もある。
この時代は現代とは違って、そういうことが、とくべつ悪いことだとも思われていなかった。
つまりウォードは有力者たちからカネを受け取るかわりに、僕に領主となるよう勧めることもできた。
僕も役目にかかるカネを作るのに苦労したことがあり、もしウォードがそのようにしてカネを受け取っていても咎めるつもりは一切なかったし、それ以前に、家臣として主君の出世を望むのはあたりまえの話だ。
だからウォードがそういうことを一切断っていると気づいて、苦笑いを浮かべてしまった。
そうして、その誠実さにいつか報いてやりたいとも思った。
正直なところ、ヴォイド郡を預かる気になったのは、この男の存在が大きかった。
こういう頑固者がいれば、領地を預かってもおかしなことにはなるまい、と思ったのだ。
僕はダンジョン管理局の役目があるから、領地にはあまりいられない。
目の届かないところで、家臣どもがこそこそとしょうもないことを始めるなどし、あとでそれを知って失望するのが嫌だったのだ。
ヴォイド郡を拝領することは、単純に出世であり加増だ。
それに伴い、ウォードはネディロスのいち屋敷の執事から、地方領主の筆頭家臣になる。
しかし、ウェイルロードの統治失敗に端を発する問題に対処する必要がある訳で、ヴォイド家にとっては興廃のわかれる決断になる。
僕は、今日、宰相閣下から説明を受けたことをそのままウォードに話して聞かせて、
「どう思う?」
「その話、お受けなさいませ」
と、ウォードははっきりと言った。
「民を魔物から守るのは騎士の務め。
本分を果たされるがよろしいかと」
どうやらこの男は、僕が思っていたのとは違う角度からこの問題を捉えていたようだ。
この男にむかって主君風を吹かせているのが少し恥ずかしくなってきた。
「しかし、いいのか」
万が一、僕もウォードも討ち死にするということになったり、ヴィルブ前総督の後始末に失敗して咎を受けるようなことになると、ウォードの妻が路頭に迷いかねない。
「私は帝国きっての上級騎士にお仕えしているつもりです。
それに、これでも騎士の家に生まれた男子です。
正義のいくさで果てるなら望むところ」
ばかもの、果てるとか言うな、そう口に出しかけて、ようやくのことで飲み込んだ。
かわりにこう言った。
「よく言った。
では、おまえと僕とで、ヴォイド郡の魔物どもを一匹残らず血祭りにあげてやろう」
それからウォードと戦費や目下の資金の調達などを話し合った。
帝国政府は軍を出してくれず、自分で兵を集めなければならない。
ヴォイド郡からあがる税収を担保に、ネディロスの商人ギルドに起債の手配をしてもらう必要があった。
幸い、ラッセル伯爵家にそういう周旋に長けた役人がおり、彼らが力を貸してくれることになっていた。
人員は冒険者ギルドに募集をかけたり、ヴォイド郡の猟師ギルドや野伏衆、樵ギルドなどに声をかけることになるだろう。
それも、今回は事情が事情だけに、迅速にやる必要があった。
打ち合わせが終わると、僕は、夜半ながらどうしても会いたい人がいて、屋敷を出た。
カピトラリアの大通りから裏路地に入ると、目当ての店のまえには、黒板にチョークで手書きされた看板が出ていて、外灯の明かりが注いでいる。
シルヴィアはまだ、店を閉めていないようだった。
僕はその脇の階段を降りて、扉を開いた。
「しばらく会えなくなりそうだ。
その前にどうしても会っておきたくてな。
急のことで迷惑をかけるが、すこし時間を貰えないか」
あどけなさを残した美しい顔だちにそぐわない、都会風に垢ぬけた雰囲気を持つその店のあるじは、きょとんとした顔で僕を見つめていた。




