第八話
ダンジョンからどうにか生還して老人と別れ、用心棒をしている盗賊どものアジトやら娼館やらを転々とするうち、ビクターに一杯食わされてダンジョン管理局のために働くことになった。
役人になってからも、あの老人のことがときおり気になって、冒険者ギルドの親父たちや主任捜査官のビクター、それから同僚たちにサルマンという名の老剣士のことを尋ねたが、どういう訳なのか、だれも知らないという。
剣も武略も最上級の部類に属する冒険者を、だれも知らないなんてことなどあるものかと思って、しつこく尋ねてまわったが、噂さえ聞くことがなかった。
しかしダンジョンで一緒にあの砦に籠城した冒険者たちは、あの老人のことをはっきりと記憶していて、
「おおかた故郷のヴォイド郡に帰ったんだろうよ。
なに、そのうち≪奈落≫にも稼ぎに来るだろうさ」
などと言っていた。
このとき初めて、僕は老人がヴォイド郡の出身であることを知った。
それからダンジョン管理局で一つ二つ大きな手柄を立てて、ビクターの推挙を得て騎士の叙勲を受け、名をマキシム・ヴォイドと改めた。
そのときにビクターからちらっとヴォイドの名の由来やすでに滅んでしまったヴォイド一族についての話を聞かされた気もするが、はっきり言って、ほとんど興味はなかった。
僕は騎士になってからも相変わらず貧乏をしていて、心ならずも腰にナマクラを佩いていたが、地位だけは平民から敬語を使ってもらえる立場になった。
正直なところ、長く乞食暮らしをしていた僕には居心地が悪いことこのうえなかったが、それでもヴォイド様だのヴォイド殿だのと呼びかけられれば、返事をしなければならない。
しかし内心ではその都度、
(おい、ヴォイド様だとよ。偉くなったな、おまえ)
と、自嘲したものだった。
その、
「ヴォイド殿」
の呼びかけを街中でとつぜん受けたのは、叙勲からひと月ほど経った頃だった。
陰気な雨が朝から降り込める、肌寒い日だったと記憶している。
振り返ると、白髪をしとどに濡らしたあの老剣士が、凄まじい目つきをして立っていた。
僕はただならぬものを感じながら、左手で剣の鞘に触れた。
そうして、軽く混乱を覚えた。
この老人の眼つきは、死を覚悟している人間の眼つきだった。
加えて、僕の佩いているナマクラはいよいよガタがきて、激しい衝撃を与えたらポッキリと折れかねない状態だった。
むろんその辺の剣士や魔物と斬り合いをするくらいのことならどうということもなかったが、相手はあのサルマンだ。
もってくれるかどうか分からない。
金欠で剣の新調を先延ばしにしていたツケを、いよいよまとめて払うことになるかもしれない。
思わず、舌打ちが出た。
「……サルマン爺さんか、久しいな。
なんの用だ」
「貴様、騎士の叙勲を受けたそうだな。
まずは祝着」
「あんたの顔を見ると、とても祝ってくれているようには見えんがな」
「あのときの若造が騎士に叙されたと思えば感慨深いが、ヴォイドの姓を継ぐとなれば話は別だ。
辞退せよ、と、言っても、聞く貴様ではあるまい」
この爺さんがヴォイド郡あたりの出身であると聞いていたので、なにか事情があるのだろうということはすぐに察しがついたが、それについてのんびりと推量している場合ではなかった。
とにかく、斬り合いになったらただでは済まないことが分かっていたので、何とかこの場をやりすごしたいと考えて、
「文句があるなら陛下に言ってくれないか」
老人は悲しげな眼をして、
「御無礼ながら御寝所にまで参上致して切々と申し上げたが、聞き届けてくださらなんだ」
この男、直参の身分だったのか、それにしても現皇帝の寝所にまで直接訪ねてゆくとはただごとではないな、という思考が脳裏を掠めたが、そんなことをつらつら考えている余裕はなかった。
「かくなるうえは是非もない」
と、サルマンは言った。
「わたしが自ら、貴様にその資格があるかどうか、試みてくれるわ」
「待て爺さん、そういきり立つな」
僕はてのひらを老人にむけた。
「ここは天下の往来だぞ。
決闘に適した場というものがあろう」
「では、どこならよいというのだ」
爺さんも、さすがに頭に血が上っていると見え、痩せた首が紅潮し、指先が震えていた。
僕はそれを見つめながら、
「いいから、ついて来い」
僕は堂々、背中をむけて歩き出した。
この老人が後ろから斬りかかることのできる人間ではないことは、見極めがついていた。
老人は、街を覆う雨音のなかに水っぽい靴音を重ねて、黙って後ろからついてくる。
やがて郊外の街道まで出てくると、僕は立ち止まって振り返り、
「ここでよかろう」
と言った。
老人は斬り合いの覚悟を固めて僕のところへやってきた。
それは凄まじく精神的に疲れることだ。
どんなに修羅場をくぐっても、なかなか慣れるものではない。
僕のような若い人間でも疲弊するのだから、老人なら尚更である。
案の定、サルマンの横顔は、雨の夕方の薄闇のなかで、明らかに憔悴していた。
間合いをとり、じり、じりと差を詰めていく。
足場を固めるふうを装い、右足を泥に踏み込ませていく。
そうして僕は右手をさっと柄にかけた瞬間、つま先で泥を蹴り上げた。
サルマンは僕が居合を使うことを知っている。
その右手の動きを見逃すまいとして凝視したところへ、土やら砂やらを顔にどっさりと浴びる格好になった。
明らかに狼狽してよろける老剣士を見守りながら、僕は柄から手を離し、ホッと息をついた。
「貴様、卑怯であろう!」
「なんとでも罵ってくれ」
老剣士の動きがとまった。
その肩が、がっくりと落ちる。
「……まんまとやられたわ。
よかろう、貴様の勝ちである。
この首、もっていけ」
「爺さんの首なんかいらないよ。
だいいち、使い道がない」
僕は老人を迂回して、街道を戻った。
そうして、しばらく顔をあげられなかった。
激しい雨のせいというより、この爺さんに命を狙われたことが、さすがにこたえた。
なにか気の利いたウソを書こうと思いましたが思いつきませんでした。才能がないことの悲しさをかみしめています。四月一日記す。




