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第6話 コードに残された声

第6話 コードに残された声


朝、ハルが雨戸を開けると、門と板塀に白い紙が何枚も貼られていた。「詐欺師」「障害を金にするな」という文字が、黒や赤の太いペンで書かれている。白い割烹着の上から灰色のカーディガンを羽織ったハルは、老眼鏡をかけ、紙を端から一枚ずつ剥がした。


「おばあちゃん、それ、私のこと?」


「名前も書かずに人の家へ貼っていく紙だ。まともな手紙じゃないよ」


「私が動画に出なかったら、門は汚れなかったね」


「汚したのは貼った人だ。お前じゃない」


家の電話は、朝から何度も鳴った。ハルが受話器を取っても相手は何も言わず、遠くで誰かの息とテレビの音が聞こえるだけだった。朝食の鯵の開きは皮が固くなるまで冷め、味噌汁の表面には薄い膜が張っていた。


そこへ、紡が育てた苗を扱っていた園芸店から電話が入った。店主は、抗議の連絡が続いているため、しばらく苗の納品を止めてほしいと言った。紡は白いブラウスの袖口を握り、食べかけのご飯を茶碗へ戻した。


「私が外へ出ると、お店にも迷惑がかかるんだね」


「迷惑をかけているのは、嘘の動画を作った人たちだよ」


「でも、私を見たら、みんな動画を思い出すでしょう」


「紡、どこへ行くんだい」


「温室。あそこなら、道から見えないから」


紡は麦わら帽子もかぶらず、庭の奥へ向かった。温室の中には濡れた土と肥料の匂いがこもり、割れたガラスを塞いだ板の隙間から、細い日差しが入っている。紡は作業台の下へ座り、黄色くなったバジルの葉を一枚ずつ摘んだ。


昼前に蓮が来ると、ハルは剥がした紙を新聞紙の上へ広げていた。証拠として写真を撮った後、文字のない裏面を四角く切り、苗の鉢底へ敷いている。蓮は門に残った糊を雑巾でこすりながら、もっと早く神崎の狙いに気づくべきだったと口にした。


「僕が最初から止めていれば、こんなことにはなりませんでした」


「いま必要なのは、あんたの後悔じゃないよ」


「でも、紡さんを守れなかった」


「自分を責めて満足する前に、温室の鍵と割れた窓を見ておくれ。今夜また誰かが来ても、紡が安心して眠れるようにするんだ」


「分かりました。人感灯とカメラも用意します」


「それから警察と弁護士だ。喧嘩をしに神崎の会社へ行くんじゃないよ」


温室では、生活支援端末の青い光が紡の膝を照らしていた。アイザックは、神崎たちと出会った日から端末に保存された記録を調べていた。撮影前の説明、紡が実際に話した音声、公開された動画、五千円の受領記録、二十八ページの契約書が、日付順に画面へ並んでいく。


「公開動画の音声には、複数の切断および結合箇所があります。紡さんの発言内容が変更されています」


「私が怒鳴った声も作られたの?」


「保存されている撮影時の音声には、該当する発言がありません」


「それなら、私が言っていないって分かる?」


「はい。元の音声と公開動画を比較できます」


アイザックは神崎の会社へ侵入したわけではなかった。紡の端末へ届いた契約書、紡自身が録音した会話、確認用として送られた映像だけを整理していた。無断公開を禁じる約束も、神崎が「公開前に確認してもらう」と話した音声として残っていた。


「契約書、消されない?」


「複製を暗号化して保存しました。保存日時と、受信時の状態も記録しています」


「アイザックが集めたものは、盗んだものじゃない?」


「いいえ。すべて紡さんが受け取ったか、当事者として記録したデータです」


「それなら、嘘じゃないんだね」


温室の外から箒の音が聞こえた。近所の豆腐屋の夫婦と、以前バジルの苗を買った女性が、門の周りに残った紙くずを掃いていた。女性は自分のSNSへ、紡に教わった育て方でバジルが元気に育っていると、写真つきで投稿していた。


「紡ちゃん、これを見ておくれ。あんたに教わったとおり、水をやりすぎなかったら新しい葉が出たよ」


「でも、私のことを書くと、その人まで悪く言われるかもしれない」


「書くかどうかは私が決めたんだ。紡ちゃんだけに決めさせないよ」


「ありがとう。私の苗のことを覚えていてくれて、ありがとう」


女性は温室の入口へ、まだ温かいコロッケを入れた紙袋を置いた。油とじゃがいもの匂いが土の匂いへ混じり、紡のおなかが小さく鳴った。朝からほとんど食べていなかったことを思い出し、紡はコロッケを半分だけかじった。


夕方までに、アイザックは証拠の一覧を完成させた。画面には、弁護士への提供、報道機関への提供、一般公開という三つの選択肢が表示された。紡はコロッケの包み紙を畳み、指についた油を手拭いで拭いた。


「この記録は、公開しますか」


紡はすぐには答えなかった。門の外では、近所の人たちが最後の紙を剥がし、ハルは鉢底へ敷く紙を大きさごとに分けている。蓮は温室の割れた窓へ新しい板を取りつけていた。


「仕返しのためじゃありません。次の人が、同じ契約書に名前を書かないために使ってください」


「目的の分類を行います。防御、公益、警告のいずれを選択しますか」


「分かりません。でも、私みたいに読むのが遅い人が、急がされないようにしたい」


アイザックの青い光が、普段より長く回転した。どの分類にも完全には一致しないと判断したシステムは、新しい記録項目を作成した。画面へ表示された項目名を、アイザックが静かに読み上げた。


「祈り」



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