第4話 美貌という値札
第4話 美貌という値札
八月の朝、紡はハルに頼まれ、青紫蘇を二鉢とバジルを三鉢買うため商店街へ出かけた。白い木綿のブラウスに薄緑色のスカートをはき、青い肩掛け鞄には財布と生活支援端末を入れていた。園芸店へ着くと、店先の土と肥料の匂いに、向かいの化粧品店から流れる甘い香水の匂いが混じっていた。
化粧品店の前では、美容系インフルエンサーの佐伯美羽が動画を配信していた。美羽は肩の開いた桃色のワンピースを着て、金色の粉を塗った目元をカメラへ向けている。紡は撮影の邪魔をしないよう後ろを通ったが、麦わら帽子の下から現れた横顔が画面へ映った。
「夏のお肌には、この美容液を――」
美羽が説明している間にも、配信画面には「あの後ろの女性は誰」「すごくきれい」「帽子の人を映して」というコメントが増えていった。撮影を管理していた神崎圭吾は視聴者数が急上昇したことを確認し、苗を選んでいる紡へ近づいた。美羽も笑顔のまま追いかけてきたが、口紅を持つ指には力が入っていた。
「初めまして。僕は神崎といいます。少しお話しできますか」
「バジルを三つ選んでからならいいです。この苗は葉の裏に虫がいるから買いません」
「植物に詳しいんですね。庭の暮らしを動画で紹介すれば、収入になりますよ」
「庭を映すだけで、お金をもらえるの?」
「ええ。難しいことは、すべて僕たちがします」
神崎は、紡が普段どおり苗を植えたり、ハーブティーを淹れたりするだけでよいと説明した。美羽は紡の手を取り、爪へ何も塗っていないことに驚いたふりをして、化粧品と水色のワンピースを贈ると言った。紡は温室の割れたガラスを思い出し、動画の仕事をすれば修理代を自分で払えるかもしれないと考えた。
「一回いくらですか。撮ったものは、公開する前に私も見られますか」
「最初は五千円です。もちろん、確認してもらいます」
「その二つを紙に書いてください」
「ずいぶん慎重なんですね」
「分からないまま始めると、自分で決められないからです」
数日後、神崎たちはハルの庭へ撮影機材を運び込んだ。紡は美羽から贈られた水色のワンピースを着せられ、薔薇の匂いがする化粧品を頬へ塗られた。美羽は紡の長い黒髪を梳かしながら笑っていたが、スタッフが紡ばかり見ていることに気づくたび、櫛の歯を強く当てた。
撮影では、紡がバジルの土を指で確かめ、水を与える場面が使われた。神崎は「毎日たっぷり水をあげます」と言うよう求めたが、紡は首を振った。土が濡れたままでは根を傷めることがあると、ハルから教わっていたからである。
「短くて分かりやすい言葉のほうが、動画では好まれます」
「でも、そのとおりにした人のバジルが枯れます」
「紡さんは台本を読むだけでいいんです」
「間違っていることは読みません」
神崎はその場では笑って撮影を続けた。次に紡が「文字を読むのに時間がかかります」と話すと、神崎は何度か別の角度から同じ質問を繰り返した。紡は疲れて喉が乾き、縁側に置かれた麦茶を飲んだが、氷はすでに溶け、コップの底に薄い茶色の水が残っていた。
三日後、公開された動画は紡の言葉と違っていた。「文字を読むのに時間がかかります」という音声は途中で切られ、「文字が分かりません」と聞こえるよう編集されていた。バジルの育て方にも美羽の説明が重ねられ、紡は何も知らず、教えられた台本を覚えただけの女性として紹介されていた。
「私、こんなこと言ってないよ」
「少し言葉を分かりやすくしただけです。再生数はもう五十万回を超えました」
「公開する前に見せる約束でした」
「担当者の手違いです。でも、これだけ人気が出たんですよ。喜ぶところでしょう」
動画に映った口紅は売り切れ、神崎の会社には広告の依頼が相次いだ。それでも紡へ渡された白い封筒には、約束した五千円しか入っていなかった。神崎は正式な契約を結べばもっと稼げると言い、細かな文字が並んだ分厚い書類を座卓へ置いた。
美羽は紡を鏡台の前へ座らせ、乱れていない髪を何度も櫛で整えた。鏡の中では、化粧をした紡の後ろで、美羽の口元だけが笑っている。薔薇の香りに息苦しさを覚えた紡は、膝の上で白い封筒の角を指でなぞった。
「きれいなだけでお金がもらえるんだから、難しいことは考えなくていいの」
「美羽さんは、自分がいくら売ったか知らなくても平気なの?」
「必要なことは神崎さんが考えてくれるわ」
「私に必要なことを決めるのは、私です」
紡は封筒を鞄へ入れず、契約書の横へ置いた。五十万人に見られ、口紅が売り切れても、渡された金額は五千円だった。紡は生活支援端末を開き、契約書へカメラを向けた。
「今日は名前を書きません。アイザックに全部読んでもらってから、自分で決めます」




