エピローグ 自分の通帳
エピローグ 自分の通帳
開店三周年から一週間後、紡は弁護士の小松と一緒に年金事務所を訪れた。白いブラウスに紺色のカーディガンを重ね、自分で用意した通帳と本人確認書類を青い鞄へ入れていた。待合室には紙と消毒液の匂いが漂い、自動販売機で買った温かいお茶が、紡の膝の上で少しずつ冷めていた。
「障害基礎年金の振込先を、自分の口座へ変えたいです」
「現在登録されている口座は、お母様が管理している口座ですね」
「はい。でも、お金がいくら入って、何に使われたのか知りません」
「今日は振込先の変更をします。過去のお金については、取引記録を確認してから考えましょう」
紡は変更届をアイザックに一項目ずつ読み上げてもらった。氏名、住所、新しい金融機関名を確認し、分からない欄には付箋を貼った。職員は後ろに待っている人がいても急かさず、紡が自分で署名するまで待った。
「ここへ名前を書けば、次から私の通帳に入るんですね」
「変更の時期によって、次回に間に合わない場合もあります。反映されるまでは通知を確認してください」
「分かりました。分からなかったら、また聞きに来てもいいですか」
「もちろんです」
数日後、小松が取り寄せた過去の取引記録が届いた。障害基礎年金は定期的に振り込まれていたが、その直後に、ほぼ全額が現金で引き出されていた。紡の衣服、通院費、食費に使われた記録は残されず、母が渡した小遣いは月に数千円だけだった。
「全部、私のお金だったの?」
「年金は紡さんの生活を支えるためのお金です。ただし、両親と暮らしていた間の食費や住居費に、適切な範囲で使われた可能性はあります」
「残った分は?」
「ご両親に使い道の説明を求めます。説明できない金額については、返還を請求できるか検討しましょう」
「何年分もあるの?」
「二十歳になってからの記録があります。すぐに金額を決めず、一つずつ調べます」
小松が両親へ通知を送ると、母から電話がかかってきた。母は、家に置いてやったのだから年金を生活費として受け取るのは当然だと話した。父も電話口の向こうから、育ててもらった恩を金額にするのかと声を上げた。
「私のお金を何に使ったのか、帳面を見せてください」
「家族のお金を、いちいち記録するわけがないでしょう」
「私には、小遣い帳の一円まで合わせなさいと言いました」
「あのころのあなたには、お金の管理ができなかったのよ」
「できないことと、知らなくていいことは同じではありません」
紡は一人で言い争わず、今後の連絡は小松を通すよう伝えた。母が話を続けても、紡は謝らなかった。通話を終えると、アイザックが保存した録音を小松へ送った。
両親は年金の使途を十分に説明できなかった。小松が生活費として妥当な額と、紡のために使われたと確認できない額を分け、返還を求める手続きを進めた。紡はそこで初めて、自分が管理できないことを理由に、何年間も自分のための年金から遠ざけられていたことを知った。
最初の年金が新しい口座へ振り込まれた朝、紡は園芸工房の机で通帳を開いた。作業着の袖には土がつき、隣には食べかけの梅干し入りおにぎりと、冷めた味噌汁が置かれていた。印字された数字をアイザックに読んでもらい、紡は色分けした生活費の表へ金額を移した。
「家賃と光熱費、食費、通院費を分けてください」
「分けました。残額の一部を予備費として保存しますか」
「はい。分からないところは、相談支援員さんにも確認します」
「自分一人で管理しないのですか」
「一人ではしません。でも、誰に何を頼むかは、私が決めます」
昼休みに蓮が工房へ来ても、紡は通帳を預けなかった。小松にもアイザックにも、すべてを任せるのではなく、説明を聞いて最後は自分で選んだ。支援を受けることと、人生を明け渡すことは違うと、もう知っていた。
紡は通帳を青いファイルへ入れ、鍵のかかる引き出しへしまった。鍵は首から下げず、生活支援端末の予定表へ保管場所を登録した。庭では大きさの違う苗が朝日を受け、工房では今日も、それぞれに必要な支援を使いながら仕事が始まっていた。




