第8話 鏡から消えた顔
第8話 鏡から消えた顔
神崎の会見から二日後、美羽は白い壁の撮影室で一人の動画を撮った。淡い桃色のブラウスを着て、髪を緩く巻き、目元には泣いたように見える薄い赤色を入れていた。照明の熱で部屋には化粧品と汗の匂いがこもり、机の上では飲み残したカフェラテの氷が溶けていた。
「神崎さんとは、所属会社の社長と契約者という関係です。会社の経営や契約内容について、私は何も知りませんでした」
美羽は私生活で神崎と関係を持っていたことも、広告動画の編集に加わったことも否定した。さらに紡が自分の人気を妬み、虚偽の告発をしたと主張した。投稿された動画には、「障害があれば何を言っても許されるのか」という題名がつけられていた。
「紡さんは、初めから私の仕事を奪うつもりだったんです」
動画は急速に広がったが、美羽が望んだ反応ばかりではなかった。以前、美羽から中傷された複数のインフルエンサーが、保存していたメッセージを公開したからである。競合商品の悪い口コミを書けば報酬を払うという依頼や、相手の容姿を匿名で攻撃する相談も残っていた。
「この商品を使ったこともないのに、星一つをつけろと言われました」
「断ったら、美羽さんの裏アカウントから中傷されました」
「神崎さんの命令だけではありません。美羽さん自身から届いた音声があります」
撮影会社の元スタッフも、紡の動画を編集した元データを提出した。そこには、美羽が「文字が分かりませんと聞こえるようにつないで」と指示する声が入っていた。紡が鉢を落とす直前、スタッフが足元へコードを置いた映像まで残っていた。
スポンサー各社は、美羽との契約を相次いで解除した。美羽が効果を保証するような言葉で宣伝した商品の一部については、表示内容に問題がないか調査が始まった。違約金と損害賠償を求める通知が届き、美羽の食卓には開封していない封筒が積み上がった。
美羽は謝罪動画を撮り直すことにした。白いワンピースへ着替え、化粧を薄くし、照明を普段の半分に減らした。カメラの横には、涙を拭くための新品のハンカチを置いた。
「このたびは、私の未熟な行動によって、多くの皆様にご心配をおかけしました」
「涙が早すぎる。もう一度撮ろう」
美羽は自分で録画を止め、目薬を一滴ずつ入れた。二度目は声が震えず、三度目は涙が頬の外側へ流れた。七度撮り直しても、紡や過去に中傷した相手の名前は一度も口にしなかった。
そのころ、ハルの家では、紡が夕食の南瓜を潰していた。白いTシャツの胸には南瓜の黄色い粒がつき、台所には焼いた鶏肉の匂いが満ちている。生活支援端末には、美羽を攻撃する大量の投稿が表示されていた。
「美羽にも同じ苦しみを味わわせろって書いてあるよ」
「紡を助けたいと思って書いた人もいるんだろうね」
「でも、家へ行けとか、顔を見せるなとか、私の門に貼られた紙と似てる」
紡は支援者へ向けた短い文章を、アイザックに読み上げてもらいながら作った。美羽の行為を許したわけではなく、責任は契約や法律によって取るべきだと書いた。最後の一文だけは、紡が自分の言葉で入力した。
「美羽さんを攻撃するコメントは書かないでください。私が怖かったことを、美羽さんに返したら、同じ庭になってしまいます」
投稿後も、美羽への批判がすべて止まったわけではなかった。それでも紡の支援者たちは、住所探しや容姿への中傷をやめ、証拠に基づく説明を求めるようになった。美羽はネット上の集団攻撃ではなく、自分が結んだ広告契約の解除、被害者への賠償、虚偽広告への責任によって表舞台を去った。
最後の仕事を失った夜、美羽は撮影室の照明を一つずつ消した。洗面台で化粧を落とすと、白いタオルに口紅と黒いマスカラが筋になってついた。冷蔵庫には賞味期限を過ぎたサラダと水しかなく、華やかな撮影の合間に食事をする生活まで失っていたことに、そこで初めて気づいた。
鏡には、化粧を落とした二十一歳の顔が映っていた。再生数もスポンサー名も表示されず、「かわいい」と書き込むコメントも流れない。美羽は鏡から目をそらさず、誰にも聞かせない声で尋ねた。
「画面から消えた私には、何が残っているの」




