65 うわあ、熱い、熱いって!
相変わらず、忙しく繁盛している来々軒。
年内最後の営業日だそうです。
ラーメン屋さんの年末年始の営業日は、店によってまちまちのようですね。
来々軒の場合は、毎年、長めに休業します。
経営、大丈夫か?
今年最後の営業日、来々軒は相変わらず、満席だった。
「れんげちゃん、そろそろ」
俺も、仕事に余裕が出てきて、スープが切れるかどうかを見極めて、彼女に声を掛けられるようになっていた。
「ハイッ、お客様に伝えてきますね」
れんげちゃん、ちらっとスープの入ったナベを見て、客席を見渡してから、行列の続く外に出ていった。
長年の経験というか、天性のカンというか。
残り何人分か、見ただけで判るのはスゴイよなあ。
なんて感心しながら、俺も休まず手を動かし続ける。
ちょっと親父に元気がないのが気になるけど。
その分は、俺がカバー出来ているし。
調理台にもずらっと並んだラーメンドンブリが、旨そうな湯気を立てている。
あーあ、もう少しで終わりだ。お腹空いたなあ…
それにしても、れんげちゃん、遅いな。
いつもなら、すぐに取りにくるんだけどな…
「鳴人君、ラーメン、配膳してきてくれないか」
忙しそうに麺を茹でながら、親父が客席を見渡している。
「あ、は、はい…」
まあ、閉店間際なので、ドンブリを抱えていないお客に配ってくればいいんだけど。
でも俺、接客なんてやったことないんだよね…
「こっちは、あっしがやっとくから」
「はい…」
れんげちゃん、どうしたんだろう?
仕方なく、お膳にドンブリを乗せて、片手で持ち上げようとすると…
お、重い。
たかが、ドンブリ五杯なのに。
れんげちゃん、片手でササッと持ち上げていたのに。
下手に持とうとすると、バランスを崩してひっくり返しそうだ。
カッコつけてる場合じゃないので、両手で抱えるように持って客席に急ぐ。
えー、醤油ラーメンの方は…?
おっと、奥の小上がりのお客が手持ち無沙汰だ。
よたよたと持って行くと、お客の若い男が四人ばかり、怪訝な顔で俺を睨む。
仕方ないだろ、れんげちゃん、行列を止めにいってるんだよ。
「お、お待たせしました、醤油ラーメンです」
「おい、俺は味噌だぞ」
「塩ラーメンどうしたんだよ」
「こっちは醤油でいいんだけど、普通、他のと一緒に持ってくるだろうが」
「す、すいません、すぐお持ちしますので」
く、くそぉ、俺が注文受けてるんじゃないんだから、そんな事言われてもなあ。
なんて、さすがにお客の前では言えない。
「おい、お兄さん、醤油はこっち、こっちだ」
カウンターの年配の夫婦が呼んでくれる。
というより、この夫婦、ラーメンのお替り頼んでたのか。
ドンブリ抱えているから、もう食べ終わるのかと思ってたよ。
それにしても、両手がふさがっているから、ドンブリを上手く置けない。
カウンターには、おぼんを乗せるスペースはない。
なんとか、片手でお盆を支えて、片手でドンブリを持って…
うわあ、熱い、熱いって!
手、手がふらつく、こんな所でひっくり返るわけにはいかないよ!
れんげちゃん、一体どうやっているんだ?
なんて具合で、もたもたとドンブリを並べていると。
「おい、味噌ラーメンまだぁ?」
「会計お願いしまーす」
「御馳走さまでしたぁ」
「ここ、開くんですよね、座っていいですか?」
ああぁ!いっぺんに言わないでッ!
パニックに襲われそうになるのを、必死に堪える。
れんげちゃーん、どこいったんだよぉ!
「ハイッ、お待たせしました、味噌二つに塩一つですね。はい、少々お待ちくださいね…鳴人さん、こっちはもういいですよ。御会計千五百円になります。はい、只今ご用意いたしますので、もう少々お待ちくださいね…」
俺の声が届いたのかどうか知らないけど。
ようやくれんげちゃん、帰ってきて店の中をコマゴマと動き回り始めた。
ほっとして調理場に戻ったけど。
親父がドンブリの用意もしてくれていたので、ちょっと手が空いた。
それにしても、れんげちゃん、早くて優しくて丁寧で正確な動きぶりである。
まるで、彼女が何人もいるかのような錯覚さえ覚える。
俺のあたふたとした仕事ぶりで、お客のクレームがガンガンきていたような状況を、ものの一、二分できれいに解決してしまった。
しかも、お客に愛想のいい笑顔を振りまいて、文句が出ないようにしながら。
いや、それまでの接客ぶりも、丁寧で素早いものだったが、まるで本気ではない風である。
これ位の忙しさの方が、かえって調子がでる、といった感じだ。
「彰油さん、まだまだお客さんが来ても平気ですって、言ってくれてるんだよ…
…鳴人君も、しっかり仕事をこなしてくれているし、まだまだ上手く速くなっていくだろうしねえ」
茹でる麺が無くなった親父が、そんなれんげちゃんの働きぶりを見ながら、ボソボソと呟く。
ハハ、俺なんかまだまだまだまだ…
「確かに、店を広げれば、数を稼げるんですよね…」
れんげちゃんに任せていいなら、やってやれない事はないだろう。
だが、客席を増やしたからといって、必ずしもラーメンを全部捌ける保証はないのだ。銀行にしてみれば、リスクの高い賭にしか思えないだろう。
来々軒もそうだが、行列のできるラーメン屋が必ず儲かっている、というわけではないかもしれない。
コストを高くして、旨いラーメンを食わせている内情は、採算ギリギリにしているのだから、店の改装資金の捻出にも困っている状況が多いのかもしれない。
それでも、お客さんの満足げな顔を見るのは嬉しいし、仕事のやりがいがあるのだが。
だから、親父の口惜しさも、判ることは判るのだが。
「マスター、鳴人さん、ちょっと…」
れんげちゃんの手も空いたようで、後は今食べているお客が帰れば店を閉められるわけだ。
そういえば、さっき、れんげちゃんはどうして中々帰って来なかったんだろう。
「どうしたんだい?」
「あの、さっき、行列の最後の方にいた男の人に絡まれちゃって…」
「なにィ!」
「ナニイ!」
俺と親父は、同時に大声を上げそうになった。
「声が大きいですよっ」
「ゴ、ゴメン、で、なんかされそうになったの?」
「いえ、他のお客様もいましたから、そういうことじゃないんですけど。
うちのラーメンの味を、どうしても確かめなきゃならないとか言って、列に割り込もうとしたので、止めていたんですけど…
あ、ありがとうございましたっ!」
話の途中で、れんげちゃん、レジに行っちゃう。
「アリガトヤシタッ!」
「ありがとっシタッ!」
お客に大声でアイサツをかわしながらも、俺と親父は顔を見合わせる。
「うちのラーメンの味を…」
「確かめにきた、んですか?」
他のラーメン屋が、味を盗みにきたのか?
それにしては、おおっぴらというか、そんな騒ぎを起こすものか?
「ゴメンナサイ、話の途中で」
れんげちゃんが、戻ってきた。
普段なら、そのまま客席の掃除をしたり、水の入ったポットを入れ換えたりと色々気を使っているんだけど。
閉店間際という事もあり、また、かなり急ぎの用件でもありそうだ。
「わたし、断りきれなくて、閉店後に来て下さいって、約束しちゃったんです。
ゴメンナサイ、そうでも言わないと、帰って貰えそうになかったから…」
「いや、それは仕方ないだろ。ただ、麺が、もう無いんだよな…」
「スープは、なんとか一杯分あるかも…」
「そうか、じゃあ、一食分、なんとかほぐすよ。氷冷熟成麺を常温に戻すのは、結構時間が掛かるんだがな」
「本当に、ゴメンナサイ…」
「なあに、れんげが断りきれなかったんだ。仕方ないだろ?」
「ハ、ハイっ!」
れんげちゃん、親父さんから名前で呼んで貰うと、本当に嬉しそうな笑顔になる。
店の中では、今まで通り「彰油さん」「マスター」と呼びあっているけど。
でも、れんげちゃん、親父の娘だと認めて貰えたのが、心から嬉しいんだね。
普段、経験していない接客。
やってみると、これがトンデモナク大変。
れんげちゃーん、タスケテェ!
作者としては、とても好きなシーンなんです。
ヒドイじゃないかっ!
え、余裕ですよ?




