35 自分が、一日、一日ごとに上手くなっていくのが判るから
新章開幕。
来々軒でのバイトが、鳴人君の日常に組み込まれて、軌道に乗ってきたようですね。
大学生らしい遊びとか、全然出来ませんけど。
彼は元々万年留年生、しかも遊び過ぎて単位を落としたとかじゃない、コミュ障を拗らせてただけなんで、その辺は気にならないようです。
毎日は、あっというに過ぎていった。
朝、掃除や仕込みの手伝いをする。
大学の講義のある日は、そのまま大学に向かう。(無い時は、一日中バイトだ)
で、午後四時前には店に戻り、そのまま仕事に入る。
九時前にはスープが切れるので、店の掃除や洗い物、明日のスープの仕込みの準備を済ませて上がり。
時々、店で親父の晩酌のお供をする。
こんな学生生活だと、同じ大学に通う連中の目からは「つまらない奴」と見られるようだ。
何を好き好んで、大学とバイトに明け暮れなければならないのか。
サークルやコンパなど、大学生だからこそできる、大学生時代にしかできない遊びを目一杯楽しめばいいじゃないかと思われるらしい。
俺も、そう思う。
本当に、そう思う。
でも。
今の自分を、俺はそれほど「つまらない」とは思っていない。
掃除一つにしても。
下ごしらえ一つにしても。
スープをドンブリに注ぎ、具を乗せる手つきの一つ一つにしても。
自分が、一日、一日ごとに上手くなっていくのが判るから。
~ ・ ~
そして、もう一つの楽しみが、俺を「つまらない」とは思わせないのだ。
れんげちゃんの部屋の前で、俺は洗面道具をぶら下げて待っている。
「おまたせしましたっ!」
お店での時と同じ、元気な笑顔のれんげちゃんが、俺と同じ袋をぶら下げて出てくる。
一階に飲食店やコインランドリーを入れているにも関わらず、俺の住むアパートは水回りが雑に出来ている。
洗濯機も使えないほどだ。
どうも、下のコインランドリーを使えということらしい。
れんげちゃんの部屋も同じような造りということは、もう大家の陰謀としか思えない。
道理で家賃がやたら安いのに、今までは俺以外に部屋が埋まらなかったわけだ。
しかし、その陰謀が、今はけっこう嬉しい。
水回り関係は、小さな流しとトイレ、あとは簡単なシャワーがついているだけの部屋なのだ。
だから、近くの銭湯を時々利用していたのだが。
来々軒の閉店時間の関係で、れんげちゃんも夜に銭湯に行くしかない。
女性の夜道の一人歩きは危ない。
というわけで、俺は彼女のボディガードを買って出たのである。
…というのは、単なる理屈だ。
れんげちゃんはどう思っているか知らないが、俺にとっては“デートのようなもの”である。
いや、単なる個人的な主観、じゃない。
傍目から見ても、そうとしか見えないだろう。
もしかすると“貧乏だけど幸せそうな若夫婦”に見られてるのかもしれない。
照れくさい。
まったく、照れくさいのである。
でも。
でも、そんな感覚は、俺にとって、決して悪いものではない。
悪いものでは、ないのである。
れんげちゃんにしても、そういう雰囲気というか、感じというか、そういう事はあまり気にしていないようである。
仕事の同僚、でもあるし。
ラーメン通同士、でもあるし。
お隣さん、でもあるし。
でも、それ以上の関係を、彼女が望んでいるかどうかは、まだ分からない。
「この前の子供連れのお母さん、今日は御主人と二人で来られてましたよね」
などと、俺の隣を歩きながら、お客の事を楽しそうに話している彼女の気持ちを知るすべを、俺はまだ持っていない。
でも、彼女もこうして俺と一緒に夜道を歩いているのだから「信用おけない」とは思っていないに違いない。
少なくとも、二人で銭湯に通うようになって二週間以上になるのだから、悪い気でいるはずはない。
しかも、彼女はかなりのきれい好きで、ほぼ毎日である。
だから、俺としては。
今は、まだ二人の関係は。
彼女が、俺の事をどう思っているのかは。
まだ、分からなくてもいいのかも知れない。
無理に彼女の気持ちを知ろうだなんて、思わない方がいいのかも知れない。
大好きな女の子と、夜、一緒に歩いて銭湯へ。しかも、ほぼ毎日通うんですよ。
うわぁ、タマラン、神田川かよ…(あ、分かんないっスか。検索して下さい)
なんて甘酸っぱい。酸っぱすぎる。キュンキュンしちゃいますね。
来々軒繁盛記は、そういう銭湯がまだたくさん残っていた時代のお話です。
神田川な時代よりは、もう少し進んでいるかな、そういう時代のお話なんです。
読者が知らない、見向きもしない時代のお話。(いや、言い過ぎだと思うぞ?)
道理で、人気が出ないわけだ…(くそぉ)




