グリンナ 4
翌朝、レマは起床時間を過ぎても起きてこなかった。
朝の清掃をすっぽかし、朝食さえとらずに布団にもぐりこんでいる。
グリンナは、同室の女子たちと一緒に彼女を起こそうと努力したが、失意の少女を動かすことはできなかった。
昨日の弓術の試験で、彼女の結果はさんざんだった。
グリンナもディーもアレイもそれなりに成績を落としたが、矢が当たらなかったわけではない。ところがレマの矢は、射的のふちをかするのが精一杯の有様だったのだ。
グリンナが思うに、多分レマは、自分がバンシー憑きだったことを心のどこかで気にしていたのだろう。ラキスの発言は、その繊細な部分を突いてきた。
彼の問題発言がなければ、そしてその後、アレイとディーが余計な一撃を加えなければ、練習成果は必ず出ていたはずなのに。
そう思うと彼らに腹が立ってくるが、その一方でグリンナは、特にラキスに対しては少なからず反省していた。
半魔だなんてひどい。昨日は思わずそう叫んでしまったけれど──。
よく考えてみると、その言葉だって結構ひどかったのではないだろうか。生粋と半魔を分け隔てなく思っていれば、そんな言葉は選ばなかったにちがいない。
それにアレイに対してだって──と、グリンナはアレイの気配を後ろに感じながら考える。
あたしは単に怒ってるだけじゃない。この件で、彼が口の堅い人であること、そして友情に厚い人であることがわかったもの。
いえ、もちろんそんなこと、とっくの昔にわかっていた。日頃はおしゃべりで軽い態度に見えるけど、アレイが信用できる人柄だってことくらい、あたしは前から知っている──。
そのアレイは、いま足音を忍ばせながら、神妙な顔つきでグリンナの後ろを歩いている。
アレイだけでなく、ディーもラキスも同じだ。
どうやら三人とも、女子たちの怒りがどの程度残っているかを計り切れず、びくびくしているらしい。
そのわりに、男子禁制の女子寮にまで入ってきたのだから、度胸がいいのか悪いのかさっぱりわからないのだが。
無論、彼らは男だけで忍び込んだわけではなく、昼休みに寮の部屋に戻ろうとするグリンナにくっついて、一緒に入ってきている。
グリンナも、いまは寮監が食事中だと知っていたので、あえて止めることはしなかった。
こうして総勢四名は、午前の授業をすべて欠席したレマの様子を見るために、こそこそと寮内を歩いているのだった。
たとえ彼女がまだ落ち込んでいたとしても、午後は出席するよう促さなければならない。
病気でもないのに休んだら、授業ごとに点数が引かれ、昨日に続きまたもや不利になってしまう。
部屋の前までやってくると、四人は顔を見合わせて立ち止まり、まずグリンナだけが中に入ることを目で確認しあった。
息を吸い込んだ彼女が、いつもと変わらぬ元気な調子で扉を開ける。
「レマ、迎えに来たわよ。お昼を食べて午後からは授業に──」
だが、その言葉はいきなり細い悲鳴に変わった。あとに続いた声も、衝撃のあまり裏返っている。
「なんてこと! レマ、どうして……!」
驚いた少年たちが、あわてて部屋に走り込んできた。そして入るなり、一様に息を呑んで棒立ちになった。
四人の視線の先では、すでに身支度をととのえたレマがたたずんでいた。
つややかな黒髪を、肩先でばっさりと切りそろえた姿で。
自分ひとりで切ったのだろう。彼女の勉強机の上には、紐でくくられたいくつかの髪の束と、小刀が置かれていた。
「なんてことしたの。女の子が……そんなに短く……」
あえぎながらグリンナが口走った。少年たちもガクガクとうなずいている。驚愕で言葉が出ないらしい。
当のレマだけが、いつもどおりの落ち着いた表情で応じた。
「いいのよ。気分が変わってすっきりしたわ」
青ざめたラキスが、その答えを了承できずに呟く。
「おれのせいで……」
「あんたのせいじゃないわ、ラキス。あたし、つくづく自分に嫌気がさしたの。昨日の試験はひどすぎた。くやしい、あんなに練習したのに……」
やっと発声できるようになったディーが、無念そうにうつむくレマを励まそうとした。
「あれはレマの実力じゃないよ。直前にごたごたしたんだから仕方ない」
だが、相手の反応はすばやかった。
「それじゃだめなのよ!」
思いがけないほど激しい口調で否定する。
「魔物と闘っているとき、直前にごたごたしたからなんて言ってられる? 言い訳してるうちにやられるわ。何があっても闘えるだけの腕を持っていないとだめなの。だからあたしは、そういうつもりで練習してきて……。いろいろあっても、試験のときはうまくできると思ってた。それなのに」
くやしい、と彼女は繰り返した。
「射的の前でも全然集中できなかった。昔見たバンシーのことまで思い出したりして、自分でもあきれたわ。だから」
すみれ色の瞳を上げると、レマは四人を見まわした。
「これはあたしの決意表明。あたしはもっと強くなりたい。弱い自分にさよならしたいのよ」
一同はとっさに返事ができなかった。この決意にふさわしい言葉がみつからなかったのだ。
するとレマは表情をやわらげ、今度はラキスだけに視線を当てて話しかけた。
「それにあたし、あんたに失礼なことを言ったわ。ごめんなさい、差別しちゃって」
少年の瞳が、驚きに大きく見開かれる。そんなことであやまられた経験は、これまで一度もなかったのだ。
「あたし、差別するような人たちを軽蔑してるつもりだったのに、自分が……。本当にうんざりよ。だからお詫びと言ってはなんだけど」
昨日見たことは全部忘れる。絶対に誰にも言わない。
そうはっきりと、彼女は言った。それもまた決意表明のつもりらしかった。
そのとき、突然金縛りが解けたようになったグリンナが、高い声を上げた。
「あ、あ、あたしも……!」
巻き毛の少女は、これ以上ないほど感銘を受けていた。
親友にこれほど激しい部分があったこと、強い意志があったことが驚きだったし、その決意には心が大きく揺さぶられる。
それに、グリンナが少年たちに腹を立てていた一番の理由は、彼らのせいでレマが傷ついたということだった。
そのレマがこれだけ立ち直っているのだから、もう自分には怒る理由なんかない。
「あたしもあやまりたいわ。ごめんなさい」
彼女はラキスに勢いよく頭を下げると、自分の決意も表明しようとした。
「あたしも忘れる。きのうのことは絶対誰にも言わないわ。その証拠に」
隣にいたアレイが、言葉にならない声をあげながらグリンナに飛びついた。彼女がやろうとしていることを察したのだ。
小刀に向けて伸びた手を、強引につかみながら叫ぶ。
「やめてくれ、グリンナ。宣言だけで十分だ」
「離して。あたしだってばっさりと」
「やめろってば。こんなにかわいい巻き毛なのに!」
グリンナが、思わず動きを止めてアレイを見返す。まだ焦っているアレイが、軽く首をひねった。
「あれ、変な言いかただったか? ええと、こんなにかわいい顔に似合う巻き毛?」
「………」
一方レマのほうは、いままで思い至らなかった方面に突然気づき、不安そうにディーを見ていた。
「ご……ごめんなさい、勝手に切って……」
ディーは答えず、藍色の瞳をじっと彼女に向けている。
それは要するに、見とれているといっていい眼差しだった。けれど、不安な少女はさらに言いつのった。
「あの……怒ってる? でもあたし、どうしても……」
ディーが我に返ったようにまばたきをすると、答えを返した。
「怒ってないよ」
そして、微笑とともにつけ加えた。
「──よく似合ってる」
先ほどまで緊張感でいっぱいだった室内に、一転、なんともいえない別の空気が漂った。
はしばみ色の瞳を見張ったラキスだけが、急に静かになった二組の男女を、交互にみつめている。
ラキスは、上級生にも丁寧語をまったく使わないような少年であり、年の差というものにかなり鈍感なたちだった。
だが、さすがの彼も悟らずにはいられなかった。
どうやら自分は、この中で一番子どもであるらしい。
ディーもアレイも、彼女たちに秘密を打ち明けなかったことについて、今後いろいろ弁解することになるんだろう。
でもそれについては、きっと子どもの出る幕ではないのだ。
次回、バーゼン視点で締めます。
あと少しだけ、おつきあい願えるとうれしいです。




