バーゼン 3
芝生が広がる敷地では、数十人の少年少女が歓声をあげながら走りまわっていた。
むやみに走っているわけではない。芝生には正方形になるように太い紐が張られ、いくつかの陣地をつくっている。
青空の下で彼らが興じているのは、おたがいに尻尾を取り合う昔ながらのゲームだった。
まず、チュニックのベルトの後ろに手ぬぐいをはさみ、尻尾のように長く垂らす。そして十人ほどで陣地に入り、相手の尻尾を取り合うのだが、自分の尻尾を取られた時点で退場となる。
相手の身体に触れたり、自分の尻尾を手で押さえたりするのは反則、陣地から足が出たら失格。
審判役は、陣地をかこむ生徒たちだ。
短い制限時間の中で、退場せずたくさんの尻尾を取った者が勝者となり、チーム戦のこともあれば、個人戦のこともあった。
これは授業ではなく、あくまで遊戯である。特に、年に似合わぬきびしい訓練を受けている十代前半の生徒たちにとって、このゲームはいい息抜きとなっていた。
とはいえ、コレギウムの側は無論、単なる息抜きでやらせているわけではないのだが。
天幕を張った日陰に立つバーゼン学長は、腕組みしながら彼らの様子を見物していた。
実に興味深い。この遊びは、個人の力を測るのにもってこいなのだ。
狭い陣地の中で多人数が動くので、しょっちゅう方向転換しなければならないし、逃げるべきか取るべきかという判断力も試される。
前方だけでなく、背後にも常に注意を向けなければならない。
単に走るのが速いとか、力が強いとかいう問題ではないため、日頃の鍛錬の成果を見るにはちょうどいいのだった。
バーゼンの後ろでは、ほかの教官たちも興味津々で眺めていたが、抑えて話す彼らの声がバーゼンの耳にも届いた。
「見ましたか、いまの」
「いや見逃した、すばやすぎて」
「敏捷性では飛び抜けてますね。あとは持久力の問題」
「ああ。惜しい、あと二年鍛えることができれば……」
ひそひそと話していた体術と剣術の教官ふたりが、あわてたように口をつぐむ。バーゼンがじろりと彼らを睨んだからだ。
バーゼン学長は齢を重ねていても耳がいい。おかげで、さっきから話題にされているのがラキス・フォルトであることもよくわかっている。
学長は、複数の尻尾を握って陣地に残っている少年に注目した。
初春に学園にやってきた栄養不良の少年は、晩夏のいま十三歳になっていた。背が一段と伸び、体幹もずいぶんしっかりしてきたようだ。
運動面だけでなく、当初は無理だろうと思った座学についてきているのも驚きだった。何ひとつもめごとを起こさず半年を過ごしたことも、意外としか言いようがない。
だが一番驚いたのは──と、バーゼンはつい先日の晩のことを思い出す。
夏の終わりとはいえ、まだ暑くて寝苦しかったため、バーゼンは一階にある寝室の窓を開けて眠っていた。
ところが夜更け、彼は誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。窓のほうから聞こえたようだ。
と、ふいにその窓から何かが投げ込まれて、パサリと床に落ちた。
葉のついた小枝だった。
ベッドから離れてそれを拾い上げたバーゼンは、窓辺に歩み寄り、そしてあぜんとした。
月明かりに照らし出された真夜中の庭に、ラキス少年がたたずんでいる。
けれど驚いたのは、そのためではない。ラキスの横にいるものに、度肝を抜かれたのだ。
経験豊かな老指導者をそこまで驚かせたもの、それは一頭の天馬だった。
聖獣を見たのははじめてではないが、コレギウムの庭園に、しかも生徒と一緒にいるなんて……。これはもしや夢の中なのか。
バーゼンが窓辺に貼りつきながら考えていると、ひとりと一頭はゆっくり近づいてきた。
純白の天馬は翼をたたみ、しげしげとバーゼンをみつめて鼻づらを突き出してくる。
そして喉元をおおう長いひげを突っついたが、それ以上なつく気はないらしく、挨拶はすんだとばかりに再び離れてしまった。
「リド、ちょっと待ってて」
ニレの木陰まで退いた天馬に、ラキスが小さな声をかけた。それから、硬直している学長に向けて事情を説明した。
それによると、リドは──なんと名前まであった──ラキスがコルカムにいたころにときどき遊んでいた天馬なのだという。
非常に気まぐれですぐにどこかに行ってしまうため、会うのは久しぶりだそうだ。
「おれがコレギウムにいるのを、みつけてくれたみたいで」
めずらしくうれしそうな顔をしながら、ラキスが言った。
「おれを乗せて旅をしてもいいと言ってくれてるんです」
「まさか会話ができるのか」
ラキスがおかしそうに首をすくめる。
「まさか。でも、なんとなくそう言ってる気がして。だから、おれはあいつと行こうと思ってます」
「……いまか」
「いいえ。約束の期限が来ていないので」
一年。その期限である来年の初春あたりに、もう一度来てくれるみたいだから、そのとき自分の魔法剣を返してほしい。
少年は学長にこう要望した。
「きみは卒業資格を得たくないのかね」
夜目にも白い天馬をみつめながら、バーゼンが呟いた。
コレギウムで預かっている生徒たちの魔法剣は、卒業時に渡すしきたりになっている。
だがこの子の場合、もともと資格がないわけだから、いつどうやって返そうかと思っていた。きちんと卒業したいだろうとも思っていたのだが……。
「ほしいと言ったらくださいますか」
小首をかしげて、ラキスがたずね返してきた。
バーゼンが否と即答すると、相手は小さく笑った。
笑った顔はあどけないが、同時に悟り切った感じもあり、なんとも不思議な雰囲気を醸し出している。
コレギウムには感謝しています、と少年は素直に言った。
最初は登録もしてくれないギルドの世話にはなるものかと思っていた。でもここに来たら、自分がいかに未熟であるかがよくわかったと。
「知識も鍛錬も、すごくありがたいです。これで魔物と闘っても犬死にしないですむ」
「犬死にか」
「はい」
「立派に死ぬのも禁止だ。誰ひとり死なずにすむよう、指導しているつもりだ。肝に銘じるように」
少年はちょっと驚いたように、幼さの残る瞳を見張った。それから神妙にうなずいた。
「はい」
バーゼンは懐疑的な眼差しを向けた。どれだけわかっていることやら。
だがそのとき、視界の隅で天馬が身動きしたのが見えた。
ニレの木陰から踏み出して、月光浴をするように翼を広げている。
ラキスも振り向き、ふたりはしばらく月下の光景に無言で見入った。
その後、学長は先ほどの要望を聞き入れた。聖獣の意志がある以上、それに逆らうつもりは毛頭なかった。
──卒業資格をくれるかと問われたあのとき、即座に否と言ったことを、バーゼンはいまも当然だと思っている。
どんなに優秀でも、聖獣をなつかせていても、半魔は半魔。登録はできないのだし、長く面倒を見るのも願い下げだ。
肝に銘じろと言ったあの言葉だけは、あと二年かけて叩き込みたい気がするが……。
いや、やはり願い下げだ。
学長の寝室に小枝を投げ入れて起こすという、無礼な真似ができるのだから、どこに行っても自力でやれることだろう。そのうち、自分自身が窓から入ることさえするかもしれない。
もの思いに耽っていたバーゼンは、甲高く響くショームの音色で我に返った。
運営担当の生徒が、ゲーム開始や終了を知らせる大きな縦笛を吹き鳴らしている。よく響くのでパレードなどで使われることも多い木管楽器だ。
メンバー交代が告げられ、生徒たちが一斉に移動すると、天幕の前の陣地には年少組とはひとまわりちがう三年目の生徒たちが入ってきた。
「お、また飛び抜けたのが来たな」
「男子対女子はめずらしいですね」
「作戦が見ものだ」
教官たちが面白そうにしゃべりはじめ、審判役として陣地を取り巻く生徒たちも、期待に満ちた目でみつめている。
飛び抜けていると言われた生徒は、もちろんディークリートだった。
バーゼンとしても、教官ふたりの評価に異論はない。血は争えないものか……そう感じて、何やらぞっとすることさえあるくらいだ。
一部の生徒たちが出自について陰口を叩くのも、それを感じるからこその嫉妬だろう。ディー本人は、その血筋をひどく嫌っているようだったが。
彼はローデルク家からとにかく離れたかったらしく、昔は炎の使い手になるつもりなど一切なかったのだという。
だが、養父母の死が少年の心を変えた。魔物を討つのに最適なのはステラの一員になることだと悟り、自分が衆目を集めることを承知でコレギウムに入学してきた。
要するに──彼とラキスは、ある意味似ているのだ。
ステラ・フィデリスは彼らをないがしろにしているが、彼らの側もステラを求めているわけではない。ただ目的を果たすために利用しているだけだ。
そのふたりがこうして同じ場所にいるのは、カイルバードとリュシラが繋いだ不思議な縁というものか。
体術の教官が、別の生徒に注目してあきれた声を出した。
「しかし、あいかわらずの断髪ですねえ」
「まったくだな。いつになったら伸ばしてくれるのか」
「まあ見慣れましたけどね。意外といいものだと……」
「しっ」
噂のレマは、ディークリートと同じ陣地内にいた。黒髪なので、肩で切り揃えている髪型が余計に目立つ。
年寄りから言わせればけしからんの一言だが、違反ではないので注意もできず、校則を追加したいくらいだ。
だが、髪を切ってからの彼女は見違えるように腕を上げた。それも注意できずにいる理由のひとつである。
見違えるといえば……。
バーゼンは、これも同じ陣地にいる赤毛の少年と栗色の髪の少女に目をやった。
アレイとグリンナ。彼らもここ数か月での成長がめざましい生徒たちだ。そしてその成長の一因となっているのが、ラキス少年の存在ではないかと、バーゼン学長はひそかに考えていた。
いつもディーと一緒にいるあの三人は、ラキスの秘密を知っているのではなかろうか。
非常にあやしい。ある時期を境にいっそう親密になったようだが、そこがますますあやしい。どことなくラキスの言動を注視している気配を感じるのだ。
ディーならともかく、普通はあんなふうに見守らないものだと思うが。
それをあやしみながらも、バーゼンが彼らを問いたださない理由は、レマの髪を黙認している理由と同じだった。
皆、炎の使い手として明らかに成長している。教育者としては、その部分を大事にしないわけにはいかない。
ゲームはまだはじまらず、陣地内に入った総勢十名の生徒たちは、五人と五人で作戦会議をしていた。男子対女子、だが瞬発力と勘がものを言うので、女子が不利だというわけではない。
大柄な男子の尻尾を、小柄な女子がかがみながら抜き取っていく様は、見ていて爽快なものだ。
バーゼン学長は考える。
ラキスやディーたちだけではなく、ここにいるのはみな、やがて魔物たちを討ち取るために戦いの場に出ていく者たちだ。
ときには死闘になるだろう。
そのとき勝利するために、勝利して生き残るために、教育者の側はきびしい訓練を彼らに課す。
だが、外の世界に出ていくのは彼らだけだ。我々はそれについていくことはできない。
我々はただ送り出すのみ。コレギウムの外に広がる世界、聖なる美しき世界で彼らが活躍することを願って、見送るのみだ。
しかしまあ、いまこのときは──。
バーゼン学長は、天幕から一歩足を踏み出すと、生徒たちを見渡した。
そして、衰えのない朗々とした声を張り上げた。
「さあ、これが本日最後のゲームだ。存分に楽しみたまえ」
開始を告げるショームの音色が、高らかに鳴り響いた。
これですべての前日譚を書き終えました。残るは本編のみです。
お読みいただき、ありがとうございました!




