グリンナ 2
その後、グリンナたちに対するラキスの態度は、少しづつ打ち解けたものになっていった。
学長からは口止めされているコルカムの件を、グリンナもレマもアレイも知っている。それをディーから聞かされたことも、理由のひとつだろう。
自分からすすんで会話に加わることはなかったが、少年がまとっていた警戒するような雰囲気は、いつのまにか消えていた。
ただ、休憩時間などに見かける彼は、いつもひとりで黙々と勉強していて、同じ組の生徒たちと仲良くしている様子は一切なかった。
仲間はずれにされているんだろうか。最初はそう思ったグリンナだが、そのうちに、壁をつくっているのはどうも彼のほうらしいと気がつく。
きっと親しくならないように、予防線を張っているにちがいない。かくさなければいけない秘密を、うっかり漏らしてしまわないように……。
「学長から何を言われたんだか知らないけど、友達くらい普通につくってもいいのにね」
グリンナとレマは、かたくなな少年について好き勝手に語り合った。
「せっかくかわいい顔してるのに、いつも不愛想にしてて、もったいないったらないわ。ちゃんとしゃべれば、きっと人気者になれるのに」
グリンナが言えば、レマもうなずきつつ、別の見方も口にする。
「でも、それがうっとうしいんじゃない? 授業に追いつくだけで手いっぱいみたいだもの。まわりにかまってる暇がないのよ」
「そうねえ……。それに一年しかここにいないなら、親しくなるとかえって別れがつらいかもね」
といっても、彼女たちに人の心配をしているような余裕があったわけではない。上級生になっていても、コレギウムからあたえられた課題は山積みなのだ。
そんな日々が続いた、ある日の昼休み。
グリンナとレマ、アレイとディー、そしてラキスは中庭の木陰でそれぞれ暗記に励んでいた。
先にその場所にいたラキスにレマが声をかけたことから、木陰が本日の勉強場所になったのだ。
座学で魔物学を学ぶのは当然だが、怪我や病気に対処するための医学、方角や時間を知るための天文学、国内の地理や歴史、過去に起きた討伐の事例など、覚える分野は幅広い。
とはいえ、ちょうどその日は午後から弓術の試験だったので、年長組が勉強に向ける意欲はいつもよりも低かった。
「ふうん、魔物の名前を覚えてるんだ」
自分の蝋板ではなく、ラキスのそれをのぞきこんだアレイが呟いた。気が散っている証拠に、ディーも同じことをする。
「メロウ、メリュジーヌ、ナックラヴィー……半分人間みたいに見える魔物ばっかりだな」
上半身が女、下半身が魚のメロウ。やはり上半身が女、下半身が蛇のメリュジーヌ。ナックラヴィーは上半身が男で、下半身は馬に似ている。
そういう魔物はけっこう多く、それらはいずれも、獲物となる人間を引き寄せるため、人の外見を真似るようになったと言われていた。
グリンナとレマも加わり、少年少女はしばらくの間、のんきに魔物の名前を挙げあった。体術の授業の休憩を兼ねているため、コレギウムの昼休みはかなり長いのだ。
そのうちレマが、ふと思い出したようにこう言った。
「そういえば……バンシーは上から下まで全部人間みたいに見えたわ」
「そうなの?」
「ええ。ドレスもちゃんと着ていて、普通の女の人みたいだった」
グリンナたちは、バンシー憑きだったレマの事情を知っている。だからレマも平気で話題にしたのだが、ラキスの声が割り込んだのはそのときだった。
「レマ、バンシーが見えるの?」
試験の予定がなかったラキスは、いままで雑談には加わらず暗記に集中していた。……ように見えたのだが、実は聞いていたらしい。
身体をこちらに向け、乗り出すようにレマをみつめている。彼女の言葉にひどく驚いているようだ。
「昔の話よ。いまはもう見えないわ」
多少とまどいながらレマが答えると、ラキスが声を重ねてきた。
「でも、見えてたんだ。バンシーは泣き声しか聞こえない魔物だって教わったんだけど」
「そのうち、もっとくわしいことも習うわよ。見える場合もあるの、あたしみたいに」
「それってもしかして、レマが半魔だから見えるってこと?」
和やかだったその場に、いきなり冷水が流れ込んだような沈黙が落ちた。
はっとしたラキスが、片手で口を押さえる。突飛すぎる発言だったことに気づいたらしい。
「ご、ごめん、レマ。いまのは……」
レマは目を見開き、顔をこわばらせてラキスを凝視していた。
それから、冷水よりも冷ややかな声で問い返した。
「……どういう意味?」
ラキスは、つっかえながらもなんとか説明しようとした。
「ええと、つまり……普通の人には見えないバンシーが見えるってことは、レマの目に、魔物を見る特別な力があるってことだよね。そういう特別な目を持っている人は、生粋の人間じゃなくて……」
「ちょっと!」
叫んだのはグリンナだった。
「なんて失礼なこと言うのよ。いきなり半魔だなんてひどいわ。レマにあやまって!」
次の瞬間、なぜがディーとアレイが同時に声をあげた。
「グリンナ!」
ふたつの声には制止の響きがあったが、グリンナの頭にあるのは、大切な女友達のことだけだった。
レマは、菫色の美しい瞳を大きく見張りながら、声もなく青ざめている。よほどショックだったのだろう。
彼女の紫がかった瞳の色はたしかにめずらしいが、特殊というほどではなく、むしろ皆に神秘的できれいだとほめられることが多い。それなのに、ラキスときたら……。
失言した少年が、小さな声であやまった。
「ごめん、レマ」
グリンナも親友をのぞきこみながら、なんとかなぐさめようとした。
「レマ、気にすることないわよ」
だがレマは答えず、いきなり立ち上がった。
そしてくるりと背中を向けると、勉強道具も持たないまま、その場から駆け出してしまった。
グリンナは、自分も道具類を置きっぱなしにして追いかけた。
長い黒髪の後ろ姿が、昼休みを楽しむ学生たちの間をすり抜け、寮棟と講堂の間にある小道に入っていく。目的があるわけではなく、がむしゃらに走っているだけなのだろう。
小道の先には、中庭とは打って変わって人気のない、静かな敷地が広がっていた。
そこでようやく足を止め、息をととのえているレマのもとに、グリンナも駆け寄っていく。
すると、気配を察したレマが、振り向きもせずに呟いた。
「グリンナ。あたし……あたし半魔に見える?」
「見えるわけないじゃない」
と、腹を立てながらグリンナが答えた。
「あんたはどう見たって生粋の女の子よ。馬鹿なこと言わないで」
「でも、ほかの人には見えないバンシーが……」
「真に受けないでよ、そんなの。ラキスなんて、なんにもわかってないんだから」
「うん、そのとおりだよ」
急に少年の声がしたので、少女たちははっとして振り向いた。
小道から出てきたラキスが、神妙な顔つきで歩み寄ってくる。変声期前の声は幼かったが、その表情は不思議なほど大人びていた。
「おれ、何もわかってなかった。嫌な思いをさせてごめんね、レマ。レマは半魔なんかじゃないよ」
「………」
「おれさ、水にもぐると人よりずっと息が続くんだ。それは肺に……肺っていうんだよね、息を吸うとこ。そこに生粋の人とはちがう力があるからじゃないかと思ってて。だとしたら、目だってそういうことがあるかもしれないと……。そんなわけないのにね」
グリンナは眉をひそめた。少年が何を言いたいのか、よく理解できなかったからだ。
レマも同様だったようだが、ラキスは構わずに続けた。
「でも、ひとつだけ信じてほしいことがあるんだ。おれにとって、半魔っていうのは悪口じゃない。だから、レマを傷つけようと思って言ったわけじゃ、絶対にない。それだけは本当……」
「言ってる意味がわからない」
レマが苛々したように、相手の言葉をさえぎった。
「半魔だなんて言われて、喜ぶ人がいるかしら。悪気がなかったとは思えない。無理に言い訳しなくていいわよ」
「でも、ほんとになかったんだ。だっておれ、半魔だから」
「………」
「ほんとだよ。証拠、見せてあげる」
小道から新たな声が聞こえてきた。ラキス、やめろ。そんなふうに聞こえたが、ラキスはレマのほうだけをみつめながら、胸元を閉じていた紐をはずし、肩からローブをすべり落した。
そして、下に着ていた薄手のチュニックの裾をめくり上げた。
ディーとアレイは、五人分の勉強道具を分担して抱え、走り込んできたのだが、止めるにはちょっと遅すぎた。
一方、少女たちは目を最大限に見開いて、少年の脇腹をおおう銀鱗をみつめていた。




