グリンナ 1
ランプの明かりに照らし出された演壇では、深緑のローブをまとったバーゼン学長が、講話の締めくくりに入ろうとしていた。
講話は朝礼の場で語られることが多いが、満月あるいは新月の日の終業時に機会が設けられることもある。
なぜなら、魔法剣の源である炎が地上に昇ってくるのは、その月齢の夕暮れがもっとも多いからだ。
召喚の儀はそれに合わせて、常に日暮れに開催されている。炎への敬意を語るのにふさわしいのも同様の時刻だというのが、コレギウムの方針だった。
いかなる魔法が働いているのか、人知の及ぶところではないが、魔法炎は月の満ち欠けに左右されているらしい。
炎だけではない。満ちては引いていく潮は月齢に関係しているし、人間の出産も満月や新月の日が多いと言われている。
この世界には、計り知れない不思議な力が満ちているのだ。
しかし一方で、その力を狙うかのように魔物たちが活発になるのも、夕暮れどきである。
光と闇に挟まれた時間帯は、聖性と魔性がせめぎあう危うい領域でもあった。
「聖なる世界を魔物たちから守るため、諸君は魔法の炎を受け取った」
バーゼン学長はそう言うと、首をめぐらせ、演壇奥に掛けられている大きなタペストリーに目をやった。
夜空を思わせる濃紺の中に織り込まれた青い円と、その中心で輝いている銀の円。
聖書で言うところの青い星──つまりこの世界と、世界の核となっている魔法炎をあらわしたものだ。
しばしそれをみつめてから、視線を戻して言葉をつなげた。
「その使命を胸に刻み、心して励みたまえ。──サンクタ・オルビス・テラールム」
年齢も性別も様々の生徒たちが、いつもの文句を召喚の儀のように復唱する。
「サンクタ・オルビス・テラールム」
学長はうなずくと、やはり古の言葉で夕礼の終わりを告げたのだった。
「フィーニス」
講堂内はほの暗かったが、一歩外に出れば、あたりにはまだ十分な明るさが残っている。
おごそかな気分に浸っていた生徒たちは、頭を現実に引き戻して、それぞれの場所に移動しはじめた。
食事当番や入浴当番に当たっている者は、足早に寮へ。そうでない者は、自主的に勉強したり鍛錬したりして、夕食までの時間を過ごす。
けれどグリンナは、今日は何もせず少し仮眠しようと思っていた。
同室のレマは、弓の稽古をするためにひとりで射場に行ってしまった。
炎の使い手の武器はもちろん剣だが、ほかの武器もひと通りは身につけることになっている。月末の試験に備えて、練習しておきたいらしい。
グリンナは弓術が得意だったので、友人にはつきあわず身体を休めるつもりだった。
学長の夕礼はいつも感動的だけど、もう少し短くできないものかしらと、彼女は歩きながら考えた。どんなに感動的でも、授業で絞られたあとに長い話を聞くのは、けっこう大変なのだ。
それに大きな声では言えないが、彼女は大勢で唱和するという行為が、あまり好きではなかった。
唱和に使われているサンクタ・オルビス・テラールムという言葉は、古の言葉で「聖なる世界」という意味だ。
オルビスは円や球といった丸いもの、転じて世界を示し、テラールムは大地を示す。ふたつを連ねると全世界という意味になり、この言葉自体は彼女も気に入っていた。
ただ困ったことに、全員で決まりきったように声を合わせていると、なんだか背中がむずむずしてしまう。
外でやるぶんにはかまわない。聖なる炎は、もともと大地に根差しているのだから。だが室内での唱和はどうも落ち着かないのだ。
アレイやレマも同意しているところをみると、この感覚は、枠にはまらず自由でいたいという自分たちの気質によるものらしい。
ある意味、枠からはみ出た存在であるディークリートと気が合うのは、だからなのかもしれなかった。
そのディーは先ほども、夕礼で熟睡するという枠からはみ出た行為を、ごく自然にやり遂げていた。
講話ではときどき主座ブランゼルスの話題が出るから、彼は嫌でも注目される。案の定、周囲の生徒たちはちらちらと彼のほうを見ては、眉をひそめたりあきれたり、寝顔に見とれたりしていた。
そんな様子をつらつら思い出しながら、寮に入ろうとしていたときだ。グリンナの視界に、ディーと同室の少年の姿がふと入り込んできた。
寮の前庭においてあるベンチに、ラキスがひとりですわっている。
二つ折りの蝋板を膝の上でひろげ、一心にそれをみつめて勉強中のようだった。
紙は貴重品なので、学生たちは蝋を塗った板──鉄筆などで字を書き、へらで消す──をよく使用する。
ラキスは蝋板を単語で埋めて、ひたすら暗記しているらしく、その姿はベンチに根が生えたかのように見えた。
もしかして夕礼に出ていないのかしら? あそこにすわったばかりとは、とても思えないもの。
あの夕礼をこんなに堂々とすっぽかすなんて、度胸ではディーに負けていないかも。
なんとなく楽しい気分になったグリンナは、近づくと少年に声をかけてみた。だが名前を呼んでも、相手はまったく反応しない。
集中力に感心したので、彼女は向かい側にあったベンチに腰掛けると、気まぐれに少年の姿を観察した。
剣術の稽古で鍛えられたせいか身体つきがしっかりしてきたし、背も少し伸びた気がする。
でも、無表情で何を考えているのか読めないところは当初と変わらず、褐色の髪がぼさぼさと目にかかっているので、顔立ちもあまりぴんとこない。
十四歳の少女にとって、ふたつも年下の少年なんて子どもと同じだ。ラキスを眺めながら、彼女はむしろ幼馴染のアレイのことを思い出し、彼がやたらとこの子を睨んでいたことをあらためて不思議に思った。
あれは何だったんだろう。近ごろはやっていないようだけど……。
そういえばアレイって、最近ちょっとおとなっぽくなった気がする。
ディーほどじゃないけど、アレイの愛嬌があるたれ目も、それほど悪くないわよね?
そのとき、視線の先にいた少年が急に顔をあげた。暗記が一段落したらしいが、あげたとたん向かい側にすわっているグリンナと目が合ったので、ひどく驚いた表情になる。
グリンナがにっこり笑いかけると、少年は明らかにうろたえた。あちこちに視線が泳ぎ、なんとなく頬も赤らんでいるようだ。
あら、意外とかわいい。
うれしくなったグリンナは、やさしい声で話しかけてみた。
「座学、大変そうね。教えてあげましょうか?」
「いい。終わったから部屋に帰る」
取りつくしまもない返事だったが、蝋板を胸に抱えて立ち上がる様子が、いつになく子どもっぽく見える。
グリンナが見守っていると、彼は挨拶もせず、そそくさとその場から立ち去っていった……と思ったら、なぜか途中で足を止めた。そして、ためらいがちに引き返してくると、小さな声で話しかけてきた。
「あの……勉強とは関係ないことを、教えてもらいたいんだけど……」
「いいわよ。何かしら」
「庶子ってなんで差別されてるの?」
予想外の質問に、グリンナは目を見開いた。でも年上として、ここはきちんと話してあげたほうがよさそうだ。
そこで彼女は、自分のとなりにすわるようラキスにすすめてから、丁寧に説明した。
どこの貴族も婚外子の存在にはきびしいし、平民であってももちろん歓迎はされていない。レントリアは昔もいまも、完全に一夫一妻制の国なのだ。
なかでもローデルク家はその意識が大変強く、正規の血統をあがめるように重んじてきた。
炎を召喚する能力には、遺伝の要素がかなり大きいと言われている。
ステラ・フィデリス構成員の出自を見ると、家系に関わる者と無関係な者との割合は半々程度。
家業を継ぐのは一般的なことだから、普通の割合に見えるかもしれないが、召喚能力は仕事とはちがう。環境や教育で身につけられる才能ではないのだ。
ローデルク家は、創始者グラディウスの血を受け継いだ家としてその才能を守り抜き、妻の血筋もそれにふさわしいものであるよう、吟味を繰り返してきた。
だから、ふさわしくない血筋の母から生まれた子は、対象外にしておきたいのだろう。
そして、本家のそんな姿勢がよく知られているから、ここコレギウムにおいても、ディーは独特な立場に置かれている。
いまはずいぶんましになったが、一年目などは結構あからさまに、あの子が庶子だなどと陰口を叩かれていた。生徒たちは身分にかかわらず仲間であるはずなのに、おかしな話だ。
ラキスは、目を丸くしてグリンナの説明を聞いていた。
そして、聞き終わると考え込むように呟いた。
「そんな事情だったんだ……。食べ物にも寝るとこにも困ってないから、幸せなんだと安心してたけど、ディーもけっこう苦労してたんだね」
食べ物にも寝るとこにも?
予想していない方向だったため、グリンナは少しとまどった。けれど、そのあとに続いたラキスの言葉は、とても好ましいものだった。
「でも、母親とか血筋とかで差別するなんて、馬鹿みたいだよね。だって、ディーに実力があるのは誰が見たってわかる。主座の血を引いてるんだから、逆に敬ってもいいくらいなのにさ」
「そうなのよ!」
思わず声を大きくして、グリンナは身を乗り出した。
「そのとおりよ。生まれで人を差別するなんて、炎の使い手としてどうかと思うわ。学長も、そこをしっかり話してくれればいいのに」
グリンナは学長のことを尊敬していたし、コレギウムのことも好きだった。ローデルク家を批判したいわけでも、ステラ・フィデリスにたてつきたいわけでもない。
これは彼女だけでなく、アレイやレマも同じなのだが、みな魔法炎に関わる大人たちの偉大さは十分承知していて、彼らに憧れながら学業に励んでいる。
ただ、丸ごとすべてに賛同できるかと言われれば、残念ながらちがうのだ。
「偏見で人を差別するほど、馬鹿みたいなことってないわよね。世の中にはいろんな差別があるけど、本人の努力以外のもので判断するなんておかしいわよ」
「いろんな……」
「そうよ、いろいろあるでしょ。嫡子か庶子か、貴族か平民か、裕福か貧乏か。それに生粋か半魔かなんていうのもあるわね。くだらないと思うけど」
「……でも、魔物の被害にあった人から見たら、半魔はやっぱり……」
「そんなことない。半魔は魔物じゃないもの。呼びかたは紛らわしいけど、勘違いしちゃだめよ」
言い切ったグリンナは、ふとラキスの目が生き生きしていることに気がついた。いつも無表情なはしばみ色の瞳に、きらきらした光が宿っている。
思わずじっとみつめると、彼は笑顔を見せてうなずいた。
「うん、わかった」
グリンナは軽いショックを受けた。
まあ、すごくかわいい……!
どうしていままで見逃していたんだろうと、彼女はそのあと、真剣に考え込んでしまったのだった。
いつもありがとうございます。
庶子についての質問は、光と闇第二部30話と繋がっています。
https://ncode.syosetu.com/n9365eo/30
久々に読み返して、自分でもすごくなつかしかったです……(遠い目)




