138話「パンもめっちゃ乾燥させると壁を砕けるみたいですよ」
オリアナのあれやこれやが明かされるどたばた回の第1話です。
よろしくお願いします。
早朝だ。冷えた空気がなんとも肺に心地いい。その感覚で眠気も急速に晴れていく。気分爽快というやつだ。
そして今日は休養日。晴れやかな気持ちと相まって、心がヒップホップダンスを踊り出しても不思議はない――本来なら。
「お前みたいのが神官とはな! かかってこい!」
「……」
そういうわけで僕の心はかなり重い。体までかったるい。
ダンスで例えるなら――だめだ。この気分をあっちの世界のダンスで例えるなんて難易度が高すぎる。
鎖でぐるぐる巻きにされて海中に沈められるダンスがこっちの世界にあるならそれが該当するだろうけど、そんな殺人ダンスは多分ない。
(ディストピアじゃないんだから……)
こっちに来る前に読んだそれ系漫画のことを思い出して、つい嘆息してしまった――その時、僕と対峙している男性が眉根を寄せた。
年齢は20代で中肉中背。訓練着に身を包んでいて、体格はそこそこ。右手には棍。
そして職業は神官。髪型や顔つきから感じる印象は軽薄で少し粗野――やんちゃ系のオニイサン。彼は頬まで引きつらせた。
「こねえならこっちから行くぜ、下級神官がよおおお!」
「えっと……」
感情の沸点の低さも台詞も、やんちゃ系。優等生系だとは思ってなかったから予想通りではある。もちろん、予想を裏切ってくれても構わなかった。でも。
『共に強くなろう!』
彼の風体で目をキラキラさせながらそんなことを言われたら、それはそれで困ってしまう。それはさておき、やんちゃ系の中級神官――モヴァさんが棍を振り上げて襲い掛かって来た。
どどど!
やたらに大きな足音が、ほとんど無人の訓練場に響き渡る。床に恨みがないのなら、無駄な力を込めているってことだ。僕を威嚇する意図かもしれない。
(――僕に腹を立てている?)
格下の訓練に付き合っているのにため息なんかつかれたら、怒って当然だろう。やんちゃ系オニイサンなら、なおさらだ。
僕も朝早くから大司祭様に起こされて、さらに眠気まなこで訓練場に引っ張り出された身とはいえ、失礼な態度をとってしまった。そんなことを考えながら僕は戦杖を軽く握った。
そして両手で突き出された棍。その先端を見下ろしながら、軽いステップで横に躱し、間髪入れずに早朝の冷たくて清浄な空気を戦杖で引き裂く――
がん! ぺし! すかん!
「すいません、ちゃんとやります」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
戦杖を高く振り上げてそう言うと、モヴァさんは床に尻もちをついたまま、両手を突き出して叫び返してきた。
ちなみに彼が数秒前まで握りしめていた棍は、最初の一撃で元気に天井へと突き刺さった。修繕する業者が無事に回収してくれるはずだから問題ない。それはさておき。
「もしかして怪我とかさせちゃいました?」
「してはねぇけどプライドがぼろぼろだよ!」
「それは自分でなんとかしてください」
「お前って割とドライなタイプ!?」
「えっと……」
モヴァさんは顔を真っ赤にして立ち上がると、なぜか不機嫌そうな表情で睨みつけてくる――この人は教会の先輩だ。目上への礼儀は小学校で習ったから、それを実行しておこう。
僕は満面の笑顔――ディシェンヌ・スマイルだかなんだか――を意識して続けた。
「鶏もあくびしている早朝にも関わらず、やんちゃ系先輩が粗野な訓練をつけてくれるなんて最高の気分です」
「棘を隠す努力はしろよ!?」
「…………隠れてませんでした?」
「幼児のかくれんぼくらい見え見えだったぞ!?」
「わざわざ顔を出して覗き込んでくるところが可愛いですよね」
「お前にそんな可愛さはなかったけどな!? 先輩様を小馬鹿にしやがって!」
「あ」
唐突に振動を始める戦杖。その次の瞬間、モヴァさんは額に怒りの血管を何本も浮かび上がらせた。同時に胸の前で両手を組む――お怒りを表現するジェスチャーじゃないのは、彼の圧力が増したから一目瞭然。
印と呼ばれている予備動作だ。術を使う前に行われるものだったはず。輝く力が彼の印に集束していき、微かな振動が僕の体を揺らし始めたから大正解――
(つまり聖術がくる!)
それは大地の女神の力の末端。物理的な手段では発現不能な自然現象。
その種類は様々だけど、僕に向けられているものは平和的でも、可愛らしいものでもないはずだ。そう確信した瞬間、僕はさっきの2割増しの鋭さで体を動かしていた。
だだん!
1歩目のステップで術の射線から逃れ、次の1歩でモヴァさんの側面に飛び込んだ。
彼がゆっくりとこちらに振り向いてくる――相手の動きがスローモーションに見える謎現象。実戦で何度も経験した感覚でもあるから驚きはしなかった。
そういえばなにかの映画で、銃は接近戦に向かないと言っていた。銃も術も似たようなものなのかな――ついでに検証してみよう。
ぺしん! ぱか! ぽかん!
「検証実験アターック!」
「おおおおおおおおおおおお!?」
可愛い後輩。僕はそんなものを意識した連撃――要はしっかりと手加減した打撃――をモヴァさんの頭部にお見舞いした。ほどほどの手応えが戦杖から伝わってくる。手加減は完璧だった。でも。
「痛ええええええええええ!?」
彼は両手で頭を抱えて床を左右にごろごろと転がり始める――そんな先輩を心配そうに見下ろしながら訊いてみた。
「術は使用禁止のはずですけど……記憶野は大丈夫ですか?」
「怪我の心配かと思ったらそっちかよ!? つうか痛ええええええ!?」
「僕の戦杖は頭蓋骨よりも硬いですからね。なにせ銀鋼製なので」
「小麦粉でできてると思ってるわけねぇだろ!?」
「パンもめっちゃ乾燥させると壁を砕けるみたいですよ」
「知るかああああああああああああああああああああああ!?」
モヴァさんは頭を抱えたまま、ものすごい剣幕で叫び返してきた。手加減したけど、それでもかなり痛かったんだろう――でも。
(術を使おうとしたのはモヴァさんだから……)
聖術の種類は様々で、威力も様々だ。やんちゃ系オニイサンが放とうとしていた術の詳細がわからなかった以上、展開されたらとても困る。だから反撃して打ち倒すしかなかった。
つまりはモヴァさんの自業自得。僕はそんな客観的事実を思い浮かべながら、モヴァさんのお怒り表情を見つめ返した――と。
「モヴァ!?」
「しっかりしろ!」
隅で傍観していた2人の男性がモヴァさんに駆け寄り、そのうちの1人が肩を貸した。赤い法衣を着ているから神官だ。モヴァさんの友人なんだろう――
(どっちもやんちゃ系オニイサンだ)
類は友を呼ぶとは言うけれど、僕の頭に思い浮かんだのは、なかまをよぶを連発するモンスターだった。つまりは面倒な予感。
さらにイヤな感覚が僕の背中を駆け抜け、そして彼らが詰め寄って来た。モヴァさんと似たようなお怒りの表情で。
全体即死魔法が使えたらなぁと思わないでもない。それはさておき、2人は即死することなく元気に怒声を張り上げた。
「頭を殴るなんてやりすぎだろ!」
「モヴァは手加減してたんだぞ! それをお前は――!」
「……」
目眩がするのは、朝食前で僕の脳が糖分不足だからじゃない。
彼らの言っていることが意図的な曲解を重ねたように歪んでいるのが原因だ。
「えっと……」
『聞いてんのか!?』
目眩を追い払うためにまばたきをすると、2人は顔を真っ赤にして怒鳴りつけてきた。
理屈で応戦しての解決を試みようとは思ったけど、糖分不足でいまいち考えがまとまらない――というか少しイライラしてきた。
そもそも、反撃の原因は格闘訓練に術を持ち込んだモヴァさんで、僕がお腹を空かせている原因は目の前のおふたりさんだ。
(なにもなければ、今頃は大食堂で朝ご飯と向き合っていたはずなのに……)
空腹だからか、僕は知らず知らずのうちに強く握っていた。
この状況を速やかに解決するマスターキー。すなわち戦杖を――
と。
「そこまでです」
僕と神官のオニイサンたちの間に粛然と、だけど力強く割って入って来たのは神官戦士のお姉さん。オリアナさんだ。
彼女の敵意に満ちた気配は、早朝の冷えた空気と合わさって寒気がする。視線は矢よりも鋭く、槍よりも重い。
その標的になっているオニイサンたちは冷や汗すら浮かべている。魔物相手の戦闘経験がそれなりにあるはずの彼らが――ついでに僕も。
抑揚がない上に冷たい声が、鼓膜を震え上がらせる。
「なんなら私がまとめて相手をして差し上げます。朝飯前というものですから」
「てめ――!」
絶対の自信と共に言い放たれた言葉。脅しや虚勢が微塵も含まれていない――だからこそ、神官たちの気配が怒りに膨れ上がってしまった。
彼らの脇ではモヴァさんまで戦闘モードで拳を構える――このままでは乱闘が始まってしまう。
もしそうなったら朝ご飯が遠のくだけじゃ済まない。始末書、顛末書に反省文。そして大司祭様のお説教――それは絶対に嫌だ!
(やるしかないのか!? あれを……あれだけは絶対にやるまいと誓ったあれを――!)
激しい懊悩に心を圧迫される。心拍も跳ね上がる。
そして乱闘という爆弾につながった導火線は火花を散らしながら短くなっていく――刹那。
ぽかん!
「うお!?」
横から飛んで来た棍――さっき天井に突き刺さったものを引っこ抜いてきたんだろう――がモヴァさんの頭を直撃した。
威力としては軽く放り投げられた程度だったけど、戦杖の傷痕を追撃する形で命中したから痛そうだ。それを見舞ったのは――
「どう考えても自業自得じゃねぇか。顔を洗って出直しやがれ」
ネコ科の猛獣を連想させる目つき。その瞳は琥珀色。肌は日焼けしていて、少しウェーブした金髪の神官戦士。
「ヴァレッサさん!」
「やっほー♡ 癒希様ったら朝から熱心だね!」
「……」
余計な真似を。オリアナさんのそんな視線にも動じることなく、彼女は平然と歩いてくる。足音はまったく聞こえない。床板が軋む音すらも――
(……奇襲でもされたら、ひとたまりもないな)
さすがヴァレッサさん。それはさておき、これで3対3だ。戦力の質を考えると201対3くらいが妥当だろう。
もはや朝飯前にもなりはしない――それを察したらしいモヴァさんたちが舌打ちをした。次いで一斉に背を向ける。
「大司祭に頼まれたから相手してやったのによ!」
「行こうぜ!」
「朝飯に救われたな!」
そしてぞろぞろと去って行く。
『朝ご飯にお礼を言うのはあなたたちですよ』
彼らの背中にそんな言葉を投げつけてやろうと思ったけど、やめることにした。
朝食は王様みたいに食べなさい――僕がいた世界にはそんな格言がある。朝ご飯様はそれだけ重要な存在だってこと。これ以上、お待たせするわけにはいかない。僕の胃袋さんもそう言っている。そういうわけで、やっと朝食にありつける。
「エネルギー切れ寸前だ……」
僕は疲れきったように嘆息してしまった。実際のところ疲れ切っていた。
(睡眠不足でお腹もぺこぺこ……サバイバル訓練かな?)
色々なゲージが急降下していくのを感じつつ、僕はお腹の辺りに手を当てた――その時、ヴァレッサさんのしなやかな腕が僕を捕らえた。さらに引っ張り寄せられてしまう――そして。
むにゅ♡
素晴らしい音。ほとんど同時に素晴らしい感触。僕はヴァレッサさんの胸元で強く抱きしめられていた。
「癒希様ったらお腹すいちゃった感じ? 運んでいってあげようか?」
「えっと……」
15歳男子にとっては素晴らしい状況だけど、この場においてはとてもヤバい。
オリアナさんは額にお怒りマークを張り付け、さらに訓練場には僕たち3人しかいないという状況においては――
次の瞬間、正面の温かさとは真逆の冷たさが背後から飛んで来た。
「乱闘の続きを始めますか?」
「腹減ってるからってイラつくなよ」
それに対して投げ返されたのは挑発的な声。
どちらも僕に向けられたものじゃなかったけど、胃がきりきりする。
それでもヴァレッサさんはご機嫌に僕を抱き締め続け、オリアナさんの殺気が増していく。大型獣同士の縄張り争いに巻き込まれたぺんぺん草の気分だ。ついに僕の肌がちくちくし始める――
(空腹感がなくなった!?)
極限の緊張状態は僕から空腹感を奪い去っていた。
お疲れさまでした。
毎週末に更新の予定です。
よろしくお願いします。




