128話「いえ、僕こそ勝手に入ってしまって……」☆
あれから少しして。
僕はラッキーでピンクなアレを謝るため、先生の部屋に向かっていた。
1階の事務室のさらに奥。館長の仕事部屋だ。そのものずばり館長室。少しひねりが欲しくなるほどの堅さ。
ひらがなで書けばいいのに――とにかく、先生はそこで眠るらしい。
ちなみにアゾリアさんとオリアナさんは応接室で。軍人に性別は関係ないみたいだけど、分けられるときは分けるべきだ。それはさておき。
(……パイプ椅子で殴られたらどうしよう)
僕と先生がいた世界に下着姿を見られたら鈍器で報復する文化はなかったけど、割と真剣にそんなことを心配していた。そしていつの間にか――気分としては、ついに――館長室の前にいる。
ルームプレートには、ひらがなどころか鈍器として使えそうなほどお堅いフォントで館長室と表記されている。公的な施設だから仕方ないのかもしれない。
堅さに負けないよう、心にちょっとした勢いをつけてノックする――
こんこん!
「…………」
返事がない。ただの館長室のようだ。それはそうだけど、そうじゃない。
先生はここで休んでいるはずなんだから。
(まさか夢中で包丁を研いでいたりして……)
山奥に潜む人食い老婆の物語が思い浮かび、僕の豆腐メンタルがぷるぷると震え始めた。
それからドアをそーっと開ける――視界に広がったのは、どこか懐かしい灯り。それに照らされる灰色の絨毯。正面には、マホガニーだかなんだか製の机。先生は黒スーツのまま、そこに突っ伏して眠っていた。ちなみに暖房はついていない。
館内がとてもぬくぬくなのでオフにしたんだろう――この部屋は寒くないけど、ぬくぬくでもない。
(風邪でもひいたら大変だ)
治癒の輝きで治せると思うけど、だからって放置しようとは思わない。
僕は腕に引っ掛けていたコートを先生に掛けようと、抜き足差し足で進む――
(そこはかとなく誤解を生む絵面……)
どたばたラブコメ漫画なら間違いなく失敗に終わる展開だ。
大体は主人公が痛い目に遭ってオチがつく――僕はそんな脅威に対して備えつつ、先生の細い背中にコートを掛けようとした。その時。
「……」
机に置かれたスマートフォンが視界に入った。もちろん先生のものだろう。
なぜか画面が点いていて、待ち受け画面が表示されている――写真だ。
両親と思しき中年の男女。彼らの間には幼い頃の先生。面影があるけど、はにかんだ笑顔からは今よりも活発な印象を受ける。そして隣には5歳くらい上の男子。お兄さんだ。要は家族写真。
(どうして10年以上も前の写真を?)
大人にとって郷愁はガソリンのようなものらしいけど、それとは違う気がした。
なぜか悲しい気持ちになる――なんでだろう?
僕はコートを持ったまま疑問符を浮かべた。
それから改めてスマホを注視する――刹那、その待ち受け画面が赤一色に塗り潰された。軽くホラー。そして。
りりりりりりりりり!
スマホからけたたましい警告音が鳴り響く。
火災報知機能なはずがない――目覚まし機能だ。それが起動寸前だったから画面が点灯していたんだ。
そして厳しい国語の先生がお寝坊さんなはずがなく、彼女は即座に目を開けると、しゃきっ! と上半身を起こして眼鏡を掛けた。次の瞬間には凛とした瞳でばっちりと僕を捉えた。女性の防衛機能が起動する――
「きゃあああああああああああああああああ!?」
そういうわけで矢木咬先生は火災報知器顔負けの悲鳴を上げた。さらに。
ぎゅおおおおおん!
黒スーツの内ポケットから飛び出た消火栓ホースが僕に向かって襲い掛かって来た。
戦杖は持っていない――持っていたところで反撃のホームランを見舞うわけにもいかないから、これは避け得ぬ展開だ。要はぐるぐる巻きにされて絨毯に転倒してしまった。けど。
「……」
床にぱさりと落ちたコートを見て察したらしく、先生は細い手で消火栓ホースを解いてくれた。
さすが国語教師。状況を読み解く力は文部科学省のお墨付きだ。それはさておき、先生が申し訳なさそうな顔をした。
「すみません……つい反射的に……」
「いえ、僕こそ勝手に入ってしまって……」
僕は謝罪交換なんかしつつ、先生の手を握って立ち上がった。少し冷たい。
と。
(あれは……)
彼女の目の周りが赤くなっている。泣いた跡だ。
それもくっきりと――僕の脳内に今日のできごとがサムネイルでずらり! と表示された。
1人で敵陣に向かう先生。小さくなっていく背中。襲い掛かる偽装兵、さらに追いかける猛獣の群れ。戦い慣れていない先生にとって、今日はこれまでの人生で最恐の1日だったに違いない。
そして奇蹟で多少の自衛はできても、あくまで多少でしかない。とてもじゃないけどアクセルには対抗できない。
(もしあいつが問答無用で襲い掛かってきていたら……)
死。
館長室でそのことを考えて、死の淵に在った恐怖に改めて震えたんだろう。
そもそも昼間の行動はかなり無理をしたものだった。それは僕に見殺しというショックを与えないため――
(……先生は僕の心を守ろうとしてくれたんだ。でも)
その一方で彼女の心を守ってくれる人はいない。大人だから。
自分で乗り越えなくてはならない――でも優しくしてくれた分のお返しは許されるはずだ。たとえ文部科学省にだめだと言われても。
「えっと」
「これは……その……!」
僕の視線に気づいたらしく、先生が慌てて目元を指で擦り始める――僕はその手を両手で握った。
細くて、やっぱり体温が少し低い。か弱い手だ。男は女を守るものだなんて、カビの生えたアンパンみたいなことを言うつもりはない。
「僕があなたを支えます」
「……」
僕と先生の視線が真正面から重なって、融け合った。彼女の瞳が潤み、湖面のように揺れる。頬も赤く染まっていく――そして手が強く握り返され、先生の顔がゆっくりと近づいて来る。これはアレだ。とてもピンクでアレなやつ。
(キスはまずい! 僕は先生の生徒なんだから……)
ここが異世界でも生徒と教師の間には倫理という名の壁がある。
それを崩すようなことは絶対にするべきじゃない――だから、そっと体を離そうとした。けど。
ぐい!
法衣の袖を強く掴まれてしまい、反動で少しだけ先生の方に近づいてしまった。刹那、熱い吐息といい匂いの強襲――僕と先生の間にあったなにかが、がらがら! と崩れ落ちた。次の瞬間、僕は両手で先生を抱きしめていた。
そして強く抱きしめ返される――急激に強くなる先生の熱い吐息といい匂い。
『……』
唇に体温低めの柔らかな感触。かちこちと時計の音が聞こえる。それが10回くらい。僕はゆっくりと体を離した。
先生が熱い眼差しで見つめてくる。その熱の源は――その時、彼女の頬が盛大に引きつった。擬音をあてるなら、ぎょっ! がぴったりだ。さらに、わたわたと両手を突き出して僕から離れた。
そして僕の背中には2つの視線が向けられていた。
妙にしっかりと感じ取れるのは、僕の防衛機能が緊急フル稼働したからだと断言できる。
慌てて顔を向けた先には――
「オリアナさん!?」
「……」
白銀のお姉さん。
彼女の隣には軍医で指揮官のお姉さん――アゾリアさんもいる。
「ケアが必要だと思っていたが、解決したようだな。手間が省けて結構なことだ」
苦笑いしたような表情。けどオリアナさんは無表情だ。それも普通の無表情じゃない。
ごごごごご……!
そんな擬音がぴったりな無表情だ。そして気がついた。
(2人揃って館長室に来るなんて……)
偶然にしては妙だから、先生の精神的な異変を察して見守ってくれていたんだろう。
僕はその見守り網に頭から突っ込んだ魚です。網の代わりに3人の女性に囲まれている。
「……」
「……」
「……」
生徒とのキスを目撃されて恥ずかしそうにしている矢木咬先生。
生徒と教師の適切な距離を御存じですか――そんな問いを載せた無表情を向けてくるオリアナさん。
そして王手をかけられた初心者を見下ろす棋士みたいに苦笑いしているアゾリアさん。
三面しかないけど四面楚歌だ。それも徐々に狭まってくる怖いやつ。
(この状況を突破するにはこれしかない!)
死中に活。僕はそんな心持ちで先生の肩を抱いた。
もう片方の手は紹介するようにオリアナさんとアゾリアさん――軍人のお姉さんたちに向ける。
「いつでもみんながいますから」
「……私はいつでも癒希様のそばにおりますので」
「異性関係は刃傷沙汰になりやすいからほどほどにな」
僕は渾身の笑顔でそう斬り込んだけど、軍人要塞メンターズにはまったく刃が立たなかった。
※作中の メンター は頼れるお姉さんの意です。
お疲れさまでした。
毎週末に更新の予定です。
よろしくお願いします。




