127話「擬態生物(ミミック)の方がましだった!」
寝てはだめだ。絶対に寝てしまうわけにはいかない! 寝ちゃだめだ!
この状況で寝たら大変なことになってしまう――頭では理解できているけど、この衝動は抑えきれそうにない……瞼も重い。もうだめだ。
「ふあ……!」
僕は眠気を堪えきれずに大きなあくびをしてしまった。
もういいやと両手両足も思い切り伸ばす――それから周りに誰もいないことを確認しがてら、顔をぶるぶると左右に振って眠気を覚ました。最後は嘆息。そして。
ずずず……
缶コーヒーをひとくちだけ啜った。とても苦い。無糖だから当たり前だ。
背伸びなんかするべきじゃなかった。予想された結果。自業自得――2度目の嘆息は小さく済ませておこう。
ここは先生の奇蹟である“黒百合図書館”の談話室だ。広さは10畳くらいで、長いソファーベンチがいくつかと、自動販売機が設置されている。そういうわけで、僕はゆったりとソファーベンチに腰掛けて、熱々の缶コーヒーを飲んでいる。
ちなみに暖房が強めに設定されているからコートなんか着ている場合じゃない。
猛暑耐久訓練じゃあるまいし――僕は法衣の胸元をぱたぱたとさせた後、天井を見上げた。整然と並ぶ蛍光灯。煌々と輝く、どこか懐かしい灯り。エネルギー源は精霊パワーではなくもちろん電気だ。
この“黒百合図書館”は電気や水が無限に供給されているらしい。
閉館時は難攻不落の1000倍は強固な不思議バリアに守られていて、おまけに食料や飲料水もいつの間にか補充される――無限のインフラ。もはや図書館なんて穏やかなものじゃない。宇宙要塞だ。
(……宇宙要塞ブラックリリィ)
なんだかとてもカッコいい。それはさておき。
ごくごくごく!
「これは苦み克服訓練かな?」
僕は缶コーヒーを一気に飲み干した。やっぱり苦い。とても苦い。
これが無茶な背伸びの代償。つまりは若気の至り――と呼ぶかはわからないけど、みんなは忙しなく動き回っているはずだから、休憩は終わりにしよう。
(宇宙要塞級の安全圏にいるといっても、ここは戦場だ。僕だけ寝ている場合じゃない)
そんなことをしたらアゾリアさんと先生に叱られてしまうに違いない――それは要塞砲よりも恐ろしい。
僕はすっくと立ち上がって廊下に出た。リノリウム張りの床はとても落ち着く。
と。正面には会議室。
「……」
なんとなくドアの隙間から覗き込むと、やっぱりアゾリアさんの部下たちが忙しなく、でも落ち着いた様子で大量の缶詰――鯖とか鮭、コンビーフにパン、ラーメンもある――や水のペットボトルをデスクに並べていた。なぜか無糖コーヒーの缶までずらりと……
(黒くて苦い大軍があんなに!? まさか僕にも配給されたり――ジーザス!)
自動販売機級の脅威。
そんなものはさておき、この“黒百合図書館”は避難施設としても設計されていたから、100人くらいが1週間は暮らせるだけの物資が蓄えられている――つまり2100食分だ。
そして僕たちは施設員たちを加えて64人。
(暗算は得意じゃないけど……)
今日の夕食と明日の朝食の2食で計算すると、1人あたり1回の食事で16食くらいは食べられる。胃袋は16個もないから、ほどほどにしておくのが利口ってものだろうけど。
そんなことをぼーっと考えていると背後に気配。
慌てて振り向くと屈強なお兄さんたちが、びしっ! と敬礼してくれた。
「えっと、お疲れ様です」
『……』
僕が敬礼で返すと、彼らは会釈してから別の会議室に入っていった。
そっちの方もなんとなくドアの隙間から覗き込むと――何枚ものカーテンが1本に結び合わされている。床には鎖やら金具やらがたくさん置かれていて、みんなは忙しなく作業に当たっている。秘密兵器を製造中なんだろう。楽しませてくれるに違いない。
(詳細は明日のお楽しみだ)
僕のわくわくゲージがたっぷりと装填された。その時。
「まだまだ! あと100回!」
『はい!』
さらに別の会議室から屈強な叫び声。
好奇心に負けて三度ドアの隙間から覗き込むと、20人くらいのお兄さんたちが半裸でスクワットをしていた。前衛を務める人たちらしく、体には古傷が刻まれている。
そしていくつかの新しい傷も――昼間の戦闘や猛吹雪によるものだろう。つまり回復術士のお仕事だ。大した怪我はしていないにしても、治すに越したことはない。
「失礼します」
「癒希参謀がいらしたぞ! 総員、敬礼!」
『はい!』
僕がノックをしてから会議室に入ると、みんなは一斉にスクワットを中断して僕の正面に整列してくれた。体育会系のノリ。とても苦手な部類ですね。
と。
(……参謀?)
確か指揮官のために知略を尽くして裏方業務にあたる役職だったはず。
僕はいつの間にか就任したらしい。空耳じゃないのなら初耳だ。
知略を尽くした経験はバトロワゲームでの立ち回りくらいだけど――アゾリアさんが一時的な地位としてつけただけのものなんだろうから、まあいいや。
それはさておき、僕の前には屈強なお兄さんたちが半裸で整列している。肉体的なコンプレックスを刺激される前にとっとと用事を済ませてしまおう。
「仕事をさせてもらいますね」
そう言いながら、僕は戦杖を両手で掲げた。大げさな仕草で、ついでにその先端に純白の輝きを灯す――ここまでする必要はないけど、こうした方が絶対にかっこいいと思う。屈強で精悍なお兄さんたちに対する、多少の見栄。背伸びというやつ。
きっと許してくれるだろう――だからカッコよさを意識しつつ、適度な声量で叫んだ。
ごっ!
「救いの風!」
会議室を満たした適度な旋風は蛍光灯よりも眩しい。
そしてみんなの傷はまとめて癒された。古傷もひとつ残らず――
(……またやってしまった)
ヴァレッサさんを癒した時と同じミス。
勲章として大切にしていた人もいるかもしれないのに。
「これは!?」
「えっと! 万全の体調で明日の戦いに臨めますように! それじゃあ、スクワットがんばってください!」
僕はそれへの追及を避けるべく、すたこらと会議室から廊下に出た。それから勢いよく、でも静かにドアを閉めた――次の瞬間。
「癒希参謀の力を見たな!? あのお気遣いに完全無欠の大勝利を捧げるのだ! あと300回!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
「……」
なんかすっげー熱いモノが会議室からぶっ放されてきた。その熱気で温度が数度も上がったように感じられる。
そして床がぐらぐらと揺れる――激しいスクワットを始めたんだろう。
ちょっとした怪我を治しただけでこの士気の上がり方。費用対効果は弱体調整が必須レベルだ。
(手練手管の策士みたいな気分……だけど)
傷を一瞬で癒すなんて、現場の兵士から見たら神様にも等しい存在だろう。士気なんて即座にカンストして当たり前――
(……だから僕を参謀にしたのか)
本当の策士はアゾリアさんだ。
他の兵士も極寒の作戦中に汗ばむほどの暖をとれるわ、お腹いっぱい食べられるわ、温かい毛布で寝られるわで士気が恐ろしく高いはずだ――手負いの獣は恐ろしいと言うけれど、士気カンストで健康な獣はもっと恐ろしいに違いない。
(アクセルたちがどんな顔をするか楽しみで眠れそうにないな)
僕はスクワットでみしみしと音を立て始めた廊下から羽根のような足取りで離れると、そのまま閉架書庫に向かった。そこに続く下り階段。怪物がいるわけじゃないけど、なんとなく足音を殺して進む――
「……」
閉架書庫の床もリノリウム張りになっていた。
壁は真っ白で窓もないから閉塞感があるけど、古い本の匂いのおかげか、妙に落ち着く。狭いところでくつろぐ猫の気分だ。そして静寂。物音ひとつしない。
(図書館の地下なんて初めて来た……)
そういうわけで、興味の視線できょろきょろと辺りを見回してみた。目に付いたのは本棚の数々。納められている本は古い物ばかりだ。貴重な文献というものなんだろう。
僕はそのひとつに手を伸ばそうとした――その時。
「休憩はもういいのか?」
「え? はい!」
背後からアゾリアさんに声をかけられた。
眠気のせいか気配にまったく気づかなかった。作戦行動中だったなら叱責されてしまったかもしれない。けど、今は待機中だから、アゾリアさんも眉を吊り上げはしなかった。むしろ普段よりも柔らかな声で続ける。
「ならシャワーを浴びてこい。昼間の戦闘でかなりの汗をかいたはずだ」
「えっと、シャワーまであるんですか?」
「不思議なことにな」
アゾリアさんは、ふっ、と笑顔で返すと階段を上って行った。作業の進捗状況を見に行ったんだろう。つまりは作戦行動の一環。
(みんな頑張ってるからアゾリアさんが怒鳴ることはないだろうけど……)
あの人の恐怖の怒声は本当に恐ろしい――僕は足早に廊下の先に向かった。
突き当りには学校の更衣室を思わせる簡素なドア。ご丁寧にシャワーのマークが描かれている。100%の確率でシャワールームだ。そういう擬態怪物なら諦めるしかない。それはさておき。
(……プールの授業の後も眠かったなぁ)
具体的に言うのなら今と同じくらい。僕はそんなことを考えながらドアを開いた。
頬に触れてくる温かな空気。なぜかたっぷりと湿気を含んでいる。石鹸の少し甘い香りまで――その理由はすぐにわかった。がつん! と叩かれたような衝撃と共に。
「癒希様?」
「な――!?」
「うっっっそでしょ!?」
そこにはオトナの女性たちがいた。つまりはシャワー後のお着替えタイム真っ最中のオリアナさんと先生が!
強い眠気と安全圏にいるという油断。気配探知を完璧に怠っていたから気付かなかった。
僕がいた世界ではラッキースケベとか呼ばれる状況だけど、矢木咬先生はそう呼ばないだろう。こう叫ぶのかもしれない。変態と――
「きゃあああああああああああああ!?」
「完璧な事故です変態じゃありません! 失礼しました!」
変態とは叫ばれなかったけど、僕はありがちな誤用を国語の先生の前で披露してしまい、そして空前絶後の勢いでドアを閉じた。
脳にくっきりと焼き付いたオトナの下着姿。
身長が高いオリアナさんは細身で引き締まっていた。先生は平均的な体型で柔らかそうな――それを鑑賞する余裕なんか微塵もなく、リノリウム張りの床を蹴る!
ずだだだだだ!
(擬態怪物の方がましだった!)
僕は三つ首の狼に追いかけられる兎の心持ちで逃げ出した。
・
・
矢木咬は羞恥と驚愕で真っ赤に染まった顔をドアに向けたまま硬直していた。
厳しい先生とはいえ、不意を突かれては仕方ないのかもしれない――そんな彼女に対してオリアナが無表情に訊いた。
「……悲鳴を上げるほどの問題ですか?」
「比良坂さんが未成年なのが大問題ですが!? ついでに私が女性で彼が男性ということも!」
「ふむ……」
返されたのは真っ赤な回答。オリアナの眉はわずかにひそめられている――矢木咬の動揺がまったく理解できなかったようだった。白い手を顎の先に当てて、静かに返す。
「待機中とはいえ、ここは戦場です。些細なことで心を乱さないことをお勧めします」
「さ、些細!? なぜ武力衝突が得意な人はこうなのでしょう……」
「単身で敵陣に向かったあなたがこの程度で心を乱す理由がわかりません」
「……」
それとこれとは話が別――乙女の心に生じたそんな反論を繰り出すことはせず、矢木咬は疲れたように嘆息した。それはそれは深く。
戦の乙女は構わずに続けた。
「昼間は癒希様を守るためとはいえ、無茶をしたと言わざるを得ません。なぜですか?」
「…………子供の心は壊れやすいものです。それを守るのは大人の役目ですから」
矢木咬は何かを思い出したのか、辛そうに目を伏せた。しばし――そして。
「私は非力ですので彼の心を守るのが精いっぱいです。体の方はお任せします」
自嘲めいた笑みを浮かべてそう締めくくった。が。
「……」
「……?」
武力衝突が本業の美女は無表情に頬を赤く染めていた。
その原因は、いわずもがな矢木咬の発言を別のカタチで受け取った――齟齬である。
それに気がついた瞬間、矢木咬の頬も真っ赤に染まった。つまりはそういう意味に取られてしまったということに――
「そういう意味ではありません! 聞いていますか!?」
「……自信はあります。次は成功させてみせます」
「絶対に聞いていませんね――というか、次は!? 前回の話を聞かせてもらってもいいですか!?」
矢木咬は冷静さの欠片もなく糾問したが、オリアナはなにも答えなかった。
お疲れさまでした。
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