125話 「なんかすっごい音が!?」
「……!」
矢木咬は慣れない全力疾走で雪の斜面を駆け上がっていた。息は既に上がり始めている。
趣味は読書。体育会系のノリが苦手な性格――足腰に自信が持てる人生を送ってはこなかった。彼女を猛追する血牙獣の群れは後方数メートル。刹那。
『グオガアアアアアアア!』
獰猛な跳躍がその距離をゼロにした。
獲物の真上で飢えた瞳がぎらりと光る。その殺気をまとったかのような獣爪が残虐な弧を描き、そして閃く――
がん!
『グオン!?』
それよりも先に閃いたのは長さ1メートルほどのパイプ椅子。矢木咬が内ポケットから取り出したものである。
全身を270度回転させての打撃はなかなかに強力だったらしく、殴打された猛獣は雪上を機敏に転げ回り始めた。が、残りの数頭が牙を剥き出しにして矢木咬を取り囲んだ。地面すれすれまで俊敏に伏せると、次の瞬間には一斉に飛び掛かる。そして。
ばしゃあ!
血の大雨が降り注いだ。
シロップかけ放題のかき氷よろしく真っ赤に染まる雪の大地。
『第2射装填!』
「アゾリアさん……!」
降らせたのは第18要塞指揮官のアゾリアである。
コンマ数秒差の命拾い。矢木咬はパイプ椅子を握ったまま雪上に尻もちをついてしまった。ふらふらと揺れる視界には、ハリネズミ同然の姿になった血牙獣の群れ。重クロスボウによる援護射撃だった。
結構な距離がある上に、標的は敏捷な獣――だが上を取っているという地の利が超射程を可能にし、精鋭という格が命中という結果をもたらした。さらに。
どがががががが!
「彼女は餌ではありません!」
『ギャン!?』
お怒り――偽装兵に対してだろう――という威力が白銀の閃きとなって、瀕死の血牙獣たちを一掃した。
オリアナは足腰に自信が持てる人生を送ってきたらしく、軽々と矢木咬を抱き上げる――そして彼女の全身が震えていることに気が付いたようだった。顔色も悪い。白銀の瞳が矢木咬に向けられた。
(……教師魂というものなのでしょうか)
奇蹟を授かったとはいえ、矢木咬はどう考えても戦闘向きではない。
そんな彼女が癒希を守るために敵陣の真ん前へ1人で向かったのである。その気概は称賛されるべきだろう。そういうわけで、白い手が矢木咬の頭にそっとのせられた。
「よくがんばりましたね」
「いい子いい子をやめてもらっていいですか!?」
矢木咬は顔を真っ赤にして抗議した後、斜面下方をびしり! と指差した。
「自分で歩けますから比良坂さんを!」
が。オリアナは首を小さく左右に振った。
「癒希様を信じてください」
「ですが……!」
武力衝突が本業のオリアナである。彼女がそう言うのなら癒希を信じるべきなのだろう――それでも、やはり大切な生徒である。矢木咬は焦燥の表情で教え子の背中を見つめた。
小柄で華奢。やる気や情熱とは距離がある性格。さらに帰宅部だった少年。彼が対峙している大人はあらゆる点で正反対のタイプだった。大柄で筋肉質。野蛮で苛烈な性格。部活動に所属しているのであれば、間違いなく不適切部。そんな大男が巨大な戦斧を軽々と振り上げる――
・
・
「砕けるがいいいいいいいいいいいいい!」
「いいわけあってたまるか!」
僕は豪快に振り下ろされた戦斧を横に跳んで回避した。
その動きは雪を大きく抉り、体力を浪費させられる。おまけに速度まで殺されてしまった。
ぶおん!
「がーっははははははははは!」
「ああ、もう!」
そういうわけで、次撃の薙ぎ払いで頬を軽く切られてしまった。
僕は絆創膏を取り出す――はずもなく、戦斧を振り切った直後の隙を狙って突っ込んだ。
身を低くして駆けつつ、戦杖を振り上げる――
「そうはいかんのだあああ!」
「……くっ!」
丸太のような足で中段蹴りが見舞われたから、戦杖は防御に回す羽目になった。
どがっ!
「うっそでしょ!?」
威力を殺すために自分から後ろに跳んでいたとはいえ、僕は10メートル以上も蹴り飛ばされてしまった。
そんな競技があるなら間違いなく表彰台ものだ。それはさておき、アクセルは追撃の戦斧を振り上げて爆走してきた。
僕は胸中で中指だけを立てた左手を彼に向けつつ、戦杖を構え直した。闘牛よりも危険な大男との距離を測る。
(あの体重で全力疾走すれば、腰まで雪に突き刺さって当然なのに……!)
アクセルの動きは重力を無視しているとしか思えない。それは雪上戦に慣れているというだけじゃないはずだ――
がおん!
「なんかすっごい音が!?」
「がーっははははははははは! これがコーロストン神より授かった血肉!」
僕は戦斧の振り上げを身を投げ出して回避した。けど、やっぱり普段通りの素早さを発揮できない――だから普段の2割増しの速度を意識して立ち上がった。さらなる追撃に備える。
と。アクセルが余裕たっぷりの仕草で戦斧を肩に置いた。
「雪は我らが父コーロストン神の腕の中のようなもの! 人智を超えた力を与えてくれるのだ!」
「人並みの適切さもおねだりすればいいのに!」
僕は手短に言い返しながらアクセルの言葉を分析した。
(雪上でバフをもらうユニットなんて、ゲームにだっていなかったのに……)
ゲームの話を現実の不適切将軍に適用するのは無理があると思うけど、現実だからこそ嫌になる。
僕には能力減退が。アクセルには能力増大がかかっているというこの現実が――
偶然通りかかった竜がこの辺りの雪を焼き払いたい気分になってくれでもしない限り、僕が勝つのは難しいだろう。けど!
「勝負だ! アクセル!」
「がーっははははははははは! ならば真正面からかかってこい! 男らしくなあああああ!」
「真っ向勝負が得意な女性もいるけどね!」
僕は不適切な言葉に真正面から突っ込んだ。アクセルは両手で握った戦斧を斜め後ろに大きく引いた。両腕に太い血管が何本も浮き上がり、赤い肌からはうっすらと蒸気が立ち昇る――
(渾身の斬り上げがくる!)
バントと見せかけておいて、直前にバットを振り抜く作戦――バスターを仕掛けてくる性格じゃないから間違いない。アクセルは馬鹿みたいに巨大な戦斧を、大馬鹿力で振り上げてくる。
(喰らったら即死。でもチャンスだ!)
僕は覚悟を決めつつ、全力で跳んだ。踏み切った足が大きく沈み込む。速度も高さも8割程度。アクセルが勝利の確信12割の表情で嗤う。
「飛んでは避けられまい! 死ぬがいいいいいいいいいい!」
それは正論だ。けど、僕には奇蹟の力があるからそう簡単に負けはしない。聞き飽きた正論通りに話が進まないから不正なんだ!
ばん!
「ぬわにいいいい!?」
僕は宙に設置した聖なる盾を足場にして再び跳んだ。軽量キャラお得意の2段ジャンプ。戦斧の振り上げを悠々と飛び越え、さらに短杖を投げ放つ。
がん!
それは不適切な後頭部に命中。アクセルが僅かに怯んだ。けど。
「ぬううううう!」
彼は後頭部を一撃されながらも、僕が着地した方に大きく踏み込みながら戦斧を真横に振り抜いてきた。豪快にして激烈――ぶち殺す大雪崩に真正面から突撃するのは小柄で華奢、しかし素早い子供。つまり僕!
「く・だ・け・ろおおおおおおおおお!」
僕は凍えるような殺気の塊に向かって真正面から突っ込んだ。頭を低くして全速力で駆け抜ける――そして砕く!
がぎぃん!
戦斧の真下を駆け抜けざまに、戦杖がアクセルの腰骨を直撃した。充分過ぎる手応え。
それは間違いなくクリティカルストライクが発動した証――だった。けど……
「やるではないか! 脆弱貧弱でもさすが男児! がーっははははははははは!」
アクセルは、あくまで不適切に爆笑し始めた。その姿は不動。まるで岩塊だ。
やせ我慢しているようには見えない――僕は無言で戦杖を構え直した。頬に冷や汗が伝うのを感じる。
(クリティカルストライクは発動したはずなのに……!)
不適切右大臣はこれから重量上げでもおっぱじめそうなくらいぴんぴんしている――クリティカルストライクは盾や鎧、鱗や体毛の防御力を無視するけど、肉体そのものの強度は無視できないみたいだ。
つまりアクセルの肉体はかなりの強度。鈍器で殴打されても無傷なほどに。
銅鑼や鐘じゃあるまいし、そんなことが――氷点下の雪原でほとんど素っ裸。おまけにくしゃみのひとつもしないんだから人間の定規で測るのはナンセンスかもしれないけど、とりあえず肉や骨の構造や組成が本気で気になる。
それはさておき、割と不味い状況だ。
(この分だと同じ仕様の女神の怒りでも倒しきれるかわからない)
つまり必殺技でもアクセルを倒せない――頬を伝った冷や汗が雪原にぽとりと落ちた。
それが合図だとでも言うように、アクセルは元気に戦斧を構える――その時、背後からざざざ! という摩擦に似た音が聞こえてきた。
「お下がりください! その不埒者は私が処分いたします!」
ちょっとお怒りを帯びた声。オリアナさんだ。兵士のみんなと一緒に駆けつけてくれたんだろう。
アクセルを視界から外すのは危険だから数まではわからないけど、蛮族たちが一斉に武器を身構える程度の人数はいる。つまり今から始まるのは総力戦――そう思ったけど、アクセルは肩を揺らして豪快に笑った。
「がーっははははははははは! 余興にしては楽しかったぞ!」
そして余裕一杯に背を向けた。
オリアナさんのお怒りファイアーが燃え上がる。偽装兵による騙し討ちがよほど腹立たしいんだろう。美しい口元に犬歯すら覗かせている。
「逃げるのですか? あなたの顔面を7つに砕きたくてうずうずしているのですが!」
「よく吠える雌犬だな!」
アクセルは振り向きもせずにずかずかと去っていき、蛮族軍団も続いた。隙だらけだ。あれだけ好き放題に仕掛けておいて、好き放題に去っていく――傲岸不遜にもほどがある。
(ちょっと女神の怒りで背中から蹴り倒してみようかな)
僕は戦杖を両手で天に掲げようとした――瞬間。
ごおおおおおおおおお!
「業務用冷凍倉庫みたいな寒さが!?」
「これは……!」
蛇口を全開にしたような吹雪が僕たちを襲った。
アクセルたちの後ろ姿なんか見えない――それどころじゃない。
吹雪の勢いはさらに増し、気温も急速に低下していく。このままだと冗談抜きで氷漬けになってしまう。オリアナさんは、それでもアクセルが消えた方向を睨みつけている――
「今は戻りましょう! 今度会ったら顔面を14個に砕いてやるってことで!」
「……はい」
僕は超お怒りモードのオリアナさんの手を引いて斜面を登り始めた。
兵士のみんなも警戒しながら続く――距離はそこまでじゃないはずだけど、急こう配だから割ときつい。おまけに横風で倒れそうになる。とどめに雪まで狙ったように吹き付けてくる。大自然に課された罰ゲームですか?
ぐごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「僕なにかしましたっけ!?」
大自然の尻尾を踏みつけてしまった覚えはないけど、吹雪は既に猛吹雪だ。
このままのペースで強くなるなら、10分後には視界喪失が起きるに違いない。天候最悪。ふと見上げれば空も暗い。
スキー場ならとっくに閉鎖されているだろう――いよいよ視界が悪くなってきた。オリアナさんが僕の手を強く引いて叫ぶ。
「こちらです!」
「は、はい!」
「なんでしたら抱き上げて差し上げましょうか!?」
「それだと情けない思い出の1ページが綴られてしまうので!」
やんわりと拒否してから斜面を登り続けること数分。
僕たちはやっと施設に戻ることができた。薄く氷が張った扉を開き、ロビーまで進む――真っ先に出迎えてくれたのは、ほんのりとした温かさ。続いて適切な大人の女性たち。
「比良坂さん!」
「無事か!?」
先生とアゾリアさんだ。2人は焦った様子で駆け寄って来てくれた。
そして衛生担当の兵士たちが、出撃した兵士の人数と健康状態をチェックし始める――みんな無事みたいだ。雪まみれで体温は低いし、コートがぐしょぐしょなこと以外は。でも。
(とりあえずひと息つける……)
僕は天井付近に設置された浮遊松明の温もりの中で、まさに安堵のひと息をついた――次の瞬間。
ずがん!
観測不能な脅威が積雪観測施設を、その土台から揺るがした。
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