120話「先生は頭脳労働が専門なので――」
ここは首都図書館の分館。その会議室である。
神官戦士のお姉さんことオリアナは、最後列の席に着いていた。白銀の眼差しの先には黒板。つまりこの会議室では現在、授業が行われている。
「この活用法は……」
教師は黒いスーツを着た女性。矢木咬日織。首都図書館の分館の館長である。
こちらに来る前は教師が本職であったらしく、チョークで黒板に文字を書く姿は確かに堂に入っている――別の大地の文字なのでオリアナには解読不能だが。
「つまりサ行変格活用とは……」
よく通る声も教師らしいものだった。
サ行変格活用とやらもオリアナにとっては理解不能だったが。そういうわけで。
「……」
オリアナは表情を崩さずに嘆息した。うんうんと頷きながら、ノートになにかを書き込んでいく生徒を見つめて。
小柄で華奢。そしてブレザーを着た少年。比良坂癒希。オリアナの主にして、女神から力を授かった奇蹟の子――この大地に来る前は矢木咬の生徒だったらしい。が、今は神官である。
学ぶべきは五段活用や上一段活用ではなく体術と戦術だろう。さらに言うのであれば、護衛でもあるオリアナとのコミュニケーション。それをこの場で主張したいところではあったが、癒希は熱心に矢木咬先生の授業を受けているので躊躇われた。
「えっと、終止形ですか?」
「そうですね」
「……」
にこりと微笑む矢木咬日織。癒希もにこりとした笑顔を返す。
教師と生徒。その関係にしては感情的な意味での距離が近いように思える。
教卓と机との間にある壁は厚く、そして断熱素材であるべきなのでは――そんな議論を国語教師に挑む代わりに、オリアナはまたも表情を崩さずに嘆息した。と。
ばたん!
「ノックなしに悪いが急用だ!」
いきなり会議室のドアが開けられた。オリアナは気配を察知していたので驚かなかった。が。
非戦闘員である矢木咬。そして熱心に授業を受けていた癒希はやや驚いた様子である。
周囲の警戒は戦う者の必須技能にして義務。それを忘れさせる矢木咬への集中――それがオリアナの血圧を少しばかり上昇させた。それはさておき。
「どうしたんですか、アゾリアさん」
「ふむ?」
アゾリアは癒希を見て一瞬だけ目を細めた。それから怪訝な顔をした矢木咬に軽く手を振ってすまないのジェスチャーを向けた。が、彼女の表情は変わらない。語幹と活用語尾云々の解説を邪魔されたからではなさそうである――
「神官癒希!」
それに取り合うことなく、アゾリアはびしっ! と人差し指を向けた。その先にいるのは奇蹟の子。
神官という戦う職業にある少年――神官戦士ではないので、騎士団であるアゾリアの命令に従う義務はないのだが、癒希はびしっ! と立ち上がった。アゾリアもびしっ! とした声で続ける。
「降雪観測施設との連絡が途絶えた! お前に同行してもらいたい!」
「はい!」
やはりびしっ! と応える神官。神官戦士もまた、びしっ! と立ち上がる――だが。
「待ってください!」
びしっ! とした国語教師が癒希とアゾリアの間に割って入った。ぴしゃりと言い放つ。
「比良坂さんに従軍する義務はありませんが!?」
「だが本人が行くと言っているのだ。問題はない」
教師の圧力高めの視線を涼し気に受け流して、アゾリア。彼女はどこか挑発的に微笑んだ。そして。
「えっと……」
意見の相違。要は大人と大人に挟まれた癒希が控えめな声を上げた。
矢木咬はくるりと背後に振り返ると、癒希の肩をがし! と掴んだ。鬼――ではないが、不良と呼ばれる生徒がびくりとするような表情である。静かに、だが雪上を踏みしめて歩く時のような重さを込めて諭す。
「先日の冒険はまだしも、人の生活圏から完全に隔絶された地域での行動は危険です。法の及ばないところは想像以上に危険なのですから」
「そ、そうですけど……もし戦闘になってもアゾリアさんがいますから……」
「……」
オリアナも傍におりますが――神官戦士のお姉さんの血圧がさらに高くなったことに、癒希はまったく気付かなかった。
アゾリアと矢木咬に挟まれている状況なのだから、鉄塊を中身ごとすぱすぱと斬り裂く従者のことを失念してしまっても仕方ないと言える。が、矢木咬はそんなオリアナが同行することを知っているはずだった。
『あなたは頼りになりません』
過度な心配はびしっ! とチョークを突きつけてそう宣言したようなものだった。
無表情な神官戦士のお姉さんがぴくりと頬を引きつらせ、銀鋼糸の鞭に軽く右手を触れさせる――放ったのは鞭撃ではなく言葉。だが鉄塊も斬り裂くほど鋭い声で。
「――なんでしたら矢木咬様も同行されますか?」
「え!? そんなの――」
即座に反応したのは癒希である。オリアナに向かって拒否を主張しようとした――その時、アゾリアがびしっ! と妨げた。研ぎに研いだ剣で真っ二つにするような鋭い声で。
「私もオリアナに賛同しよう! それとも校外学習は不慣れだったかな?」
「あの! 先生は頭脳労働が専門なので――」
それに応戦するかのような叫び声。だが、それもまたびしっ! と妨げられてしまった。当の矢木咬先生によって。
「私は一向に構いませんが!? 教室だろうと校外だろうと生徒を守るのは教師の役目です!」
「すばらしい! では30分後に集合だ。癒希はぶれざーとやらのまま来ないようにな」
そしてアゾリアは両手をばしりっ! と打ち鳴らした後、満足そうに軍靴を鳴らして去って行く――
(緊急事態が起きたにしては、なんか機嫌が良かったような気がする……)
それはさておき。
ばちばち……!
癒希は恐る恐る彼女たちの方に振り向いた。
つまりは近距離で視線をぶつけ合う大人の女性たちの方へと。
「矢木咬様は雪を見たことがありますか? 白くて冷たい結晶で、触ると溶けてしまうほど脆弱なものです」
「雪だるまの作り方から雪崩の避け方まで知っていますが?」
「そうですか。図書館に雪は降らないと思っていました」
「延滞本リストの束を見た時に心の中でしんしんと降り積もります。武力衝突が得意な方に比喩的表現が伝わるといいのですが」
「……」
矢木咬とオリアナがばちばちと視線で火花を散らしている理由――
それが癒希にはわからなかった。
次回更新は明日(26/04/26日曜日)の予定です。
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