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2023年3月26日加筆修正しました。
「フィリックス様、ごきげんよう。」
「エミリア様。一緒にいらっしゃっていたのですね。」
「あら、ずっと隣に居りましてよ。フィリックス様は何をお求めに?」
エミリアは軽やかだが温かさを感じさせない声でフィリックスに問いかけた後、楽しそうにフィリックスを見やった。
エミリアの口角は上がっているが、フィリックスは向けられた笑顔が完全に作られたもので冷ややかさすら感じることにヒヤリとする。フィリックスはリーシャにリーシャしか目に入っていなかった自分を悔いたが、今更仕方がないと腹をくくり、温和な笑顔を浮かべてエミリアに対峙することにした。
「エミリア様に学園外でお会いして、こうしてお話しできるとは嬉しいかぎりです。
エミリア様もこちらのオリジナルインクをお使いなのですね。私も手紙を書く際のインクは、こちらの店で調色してもらっているものを使用しておりまして。ちょうど切れかかりましたので購入するために。」
「そうでしたか。こちらのオリジナルインクは信用がおけますものね。」
ふたりとも表面上は笑顔を浮かべ和やかな雰囲気だが、その裏ではお互いの意図を探り合っている。しかし、そのことに気がつかないリーシャが無邪気にフィリックスに話しかけた。
「まあ、こちらのインクをフィリックス先輩も使われているのですね。どんなお色ですか?」
フィリックスがエミリアへの笑みを深めた後にリーシャへと視線を移すと、リーシャがキラキラした目でフィリックスを見つめている。よほどインクを買うのを楽しみにしているようだ。
「僕のは……、あ、ほら。これだよ。」
ちょうど店員が調色し終えたインクが入ったガラス瓶を2本持ってきたので、フィリックスは、そのうちの1本をリーシャの視線に合うように持ち上げて見せる。
「これ……ですか。うーん、黒っぽいような……。」
「くくくっ。そうだよね。ペンで紙に書くとわかるのだけれど、このままだと何色かわかりにくいね。」
必死に色を判別しようと、リーシャは目を丸く見開いて一生懸命ガラス瓶を覗き込んでいる。あまりの可愛さにフィリックスはエミリアが隣に居るというのに、笑みがこぼれてしまった。
フィリックスがガラス瓶を軽くゆすると、インクがガラス瓶の中で踊った。
「ほら、この部分見て。」
瓶の上の方のガラスにまだ残るインクを、フィリックスは光の方へかざしてリーシャに見せた。
「まあ!フィリックス先輩の瞳と同じ色なのですね!」
はしゃぐように声を上げたリーシャが嬉しそうにフィリックスを見る。にっこりと笑ったリーシャとフィリックスの目が合った。
フィリックスは、「そうだよ。これじゃわかりにくいけれど、紙に書くと……」と言いかけて、ふと思いついたことを口に出してみることにした。
「そうだ。今度リーシャ嬢にこのインクで手紙を送らせてもらってもいいかな?」
「フィリックス先輩からお手紙をいただけるのですか?」
「リーシャ嬢さえよければ、ぜひ。」
これまでのフィリックスであれば、ただ自分の楽しみのためだけにリーシャに手紙を送ろうとは思わなかったもしれない。たとえ、リーシャと近づきたいと思ったとしてもだ。
しかし、ようやくフィリックスはこの国で大切にしたい人たちがいること、この国で生きている自分をようやく認めてもいいのかもしれないと思い始めていた。もちろん、この国で大切にしたい人たちの中にはリーシャも含まれている。
だから、リーシャに対して一歩踏み込んでみようという気持ちになっていたのかもしれない。その気持ちがリーシャに手紙を送ることを思いついたのだろう。
「嬉しいです。わたくしも、調色していただいた自分のインクでお返事いたしますわ。」
「それは、楽しみだな。」
リーシャの答えを聞いて、フィリクスはその言葉を口にして良かったと心から思った。リーシャに手紙を送るいい口実ができたことだけでも嬉しいのに、リーシャは返事を書いてくれるこという。
それを聞いたフィリックスは、一瞬大きく目を見開いた後、とろけるように眦を下げてリーシャを見つめた。
「よかったわね、リーシャ。インクを選ぶのが更に楽しみになったわね。」
「はい。エミリアお姉さま。」
「フィリックス様、リーシャのことよろしくお願いいたしますわ。わたくしたちの た い せ つ な 妹 ですの。」
そこに割って入った冷静なエミリアの声に、フィリックスは瞬時に顔を引き締めた。エミリアの顔には、先ほどから変わらない作られた笑顔が浮かんでいる。
(これを、どう捉えるべきか……)
フィリックスは暫し考えを巡らせる。
(途中で口を挟まなかったということは、手紙の件も了承してもらえたのだと思ってよいのだろうか……)
エミリアの意図がどこにあるのか……。フィリックスは確認するために会話を繋げようと口を開きかけた。
「エミリア様、リーシャ嬢に―――」
「リーシャ。あまり店の人を待たせるのは関心しないわ。行きましょう。
では、フィリックス様、ごきげんよう。」
これ以上の会話は不要とばかりにエミリアから話を切り上げられ、フィリックスは引き下がるしかなかった。
「ごめんなさい、エミリアお姉さま。それでは、フィリックス先輩、ごきげんよう。」
「ああ。リーシャ嬢。手紙を送るよ。」
フィリックスは敢えてもう一度手紙のことを口にした。しかし、エミリアが表情を崩さないまま手紙のことには触れずにその場を立ち去るのを見て、フィリックスはほっと胸をなでおろした。おそらくリーシャとの手紙のやり取りは許してもらえたのだろう。
フィリックスは名残惜し気に、エミリアと一緒に立ち去るリーシャの後姿を見送った後、手紙と共に送るリーシャへのプレゼントを購入し、店を後にしたのだった。




