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「でもね、リーシャ。あなたはカリキュラムでおふたりと近くで接するでしょうから言っておくけれど。いくら見た目が良くても、それに惑わされちゃだめよ。」
「ええっ?エミリアお姉さま、惑わされるだなんて……。」
「いや、リーシャこれは大事なことだから。姉様の言うこと、ちゃんときいておいた方がいい」
何を言い出すのかと焦るーシャだったが、今日ふたりに会ったばかりのマティアスが真剣な顔で頷きながらエミリアに同意するので、更に驚いてしまった。
「フィリックス様は、容姿や魔術だけじゃなくて、その他の科目も優れていらっしゃって、入学して以来、総合首席を座についていらっしゃるわ。加えて、侯爵家の嫡男で婚約者なし。
ここまで言えばわかるわね。
え?わからないの?
要するに、言い寄ってくる令嬢が後を絶たないってことよ!
フィリックス様は特別に親しくされる令嬢はいらっしゃらないし、かといって愛想が悪いわけでもないわ。でもね、それに気をよくして勘違いする令嬢がいるのよ。」
「そうなのですね。確かに、今日も、とてもお優しかったです。」
「そう!フィリックス様は……え? あら……そう。お優しかったの?」
エミリアが少し考える素振りを見せる。続きを言おうかどうかと迷っているようだった。それを見て、マティアスが「姉上!」と続きを促した。
「ああ、ごめんなさいね。
普段のフィリックス様は、どの方にも……そうね、よく言えば愛想よく接していらっしゃるし、悪く言えば距離を置いていらっしゃるのだけど。距離を置かれていると気づかない令嬢が、勘違いすることがあるのよね。嫌われていないのなら、その距離を縮めても大丈夫だって。
でも、フィリックス様は勘違いした令嬢が少しでも縮めようとしてきたとたん、期待も抱かせないように冷たくあしらわれるのよ。
だから、リーシャ。フィリックス様がどんなに素敵だと思っても、諦めた方が……。
いえ……リーシャならフィリックス様も……。でも、そうじゃなかった時に傷つくのは可哀そうだし……。」
「姉さま、ここははっきりと近づくなと言ってください!」
最後の方は、ごにょごにょと濁すようにつぶやいたエミリアは、マティアスから再び強い口調で詰め寄られて、「ええ、でも……」と言い続けている。
確かに今日会ったフィリックスは優しかったが、カリキュラムをサポートする先輩として接してくれたから優しかっただけだろう。大体、初対面の相手に冷たくするなんてことを侯爵家嫡男であるフィリックスがするはずあるわけがない。エミリアもマティアスも、リーシャが傷つくかないようにと先回りして話をしているようだが、ありえない心配だとリーシャは思った。
それに、フィリックスが人気があるというが、リーシャがフィリックスのことを学園で見たことがあったような、なかったような……。
「フィリックス様は学園でとても人気があるのですね。これまでお会いしたことがなかったので、知りませんでしたわ。」
リーシャは姉やマティアスに安心してもらうように、にっこりと笑って答えた。そんなリーシャを見て、ルーカスがクスクスと楽しそうに笑う。
「姉上、リーシャにかかれば、フィリックスも只人のようですね。」
「どうやら、そのようね。」
「「ふふふ……。」」
エミリアも苦笑しているし、フランツとルイーズは楽しそうに笑い声を立てた。
一方、リーシャは何故自分が笑われたのか全く分かっていない。
「だって……、学園に慣れるのに一生懸命で……。ローゼリア王女様ともお近づきになれたり、特別カリキュラムがはじまったりで…………。」
皆から笑われてしまったことで、リーシャがシュンとした表情で言い訳を始めた。その一方で、マティアスはニコニコと満足そうな笑顔を浮かべている。学園でも目を引くフィリックスと何度もすれ違ったり、昼食の時に席が近かったりしたというのに、リーシャが全く気にしていなかったことがうれしかったのだ。
「1年生の時は、本当にすごかったのよ。ね、ルーカス。」
「ええ。もともと入学した時から注目はされていましたが、学園祭以降はそれに拍車をかけましたよね。」
「そう。とにかくフィリックス様に少しでも気にかけてもらいたい令嬢たちがいつも周りを取り囲んでいたの。フィリックス様は、そんな彼女たちと適度に距離を置いていたし、作った笑顔しか向けていなかったのだけど、ある時その表情が崩れたのよ。」
「崩れたとは?」
エミリアとルーカスがはじめたフィリックスの話の続きがが気になって、リーシャはついつい聞き返してしまった。
「フィリックス様を諦めきれない令嬢がね、冷たくあしらわれたにもかかわらず、それでも強引にフィリックス様に言い寄ったのよ。毎日毎日凝りもせずにフィリックス様にしがみつかんばかりの勢いでね。そんな令嬢に、ついにフィリックス様も堪えかねたのね。心に決めた人がいるから、その人以外は興味が持てないと言い放ったらしいの。凍りつくような冷たさでね。
普通ならそれで諦めるでしょう。でも、その令嬢は諦めなかった。フィリックス様に、その方が誰なのか名前を尋ねたのよ。」
「その方……すごいですね。」
冷たくされても諦めきれないほど、その令嬢はフィリックスのことが好きだったに違いない。そこまでの思いとはどんなものなのだろうか……。リーシャは想像してみようとするが、経験不足のためか皆目見当もつかない。それどころか、考えすぎだろうか胸がモヤモヤ、ザワザワしてきて気持ちが悪くなってきた。
「令嬢のマナーとしては最低よ。
フィリックス様も冷たく突き放すだけでは諦めてもらえないと思ったのでしょうね。その方を思い出すかのように微笑まれて、『今はまだ名は言えません。その方に思いを告げることもできていないのですから。その方は、とても恥ずかしがりやで愛らしい人なのです』と言ったのですって。その時のフィリックス様のお顔が、とにかくすごかったらしいの。今までに見たことのないくらい、とろけるような甘いお顔で、零れ落ちるような色香を放たれたらしくてね。それを見てその令嬢は気を失ってしまったの。」
エミリアは、楽しそうに話しているが、気を失ったという令嬢は大丈夫だったのだろうかとリーシャ心配になった。
その令嬢が見たという、とろけるような甘い顔と零れ落ちるような色香とはどういうものだったのだろう?―――と、リーシャは、ルラの花の話をした時にフィリックスが見せた、包み込むような柔らかい笑顔を思い出し、心臓がトクンと音を立ててなるのを感じた。コクンっと喉が鳴る。
「リーシャ?」
マティアスから声をかけられ、リーシャは瞬きをしてエミリアを見た。どうやら食事の手が止まってしまっていたようだ。
「あ……その方、大丈夫だったのですか?」
「すぐにアラン様が医務室に運んだらしいわ。」
「えっ?フィリクス様ではなくて、ですか?」
「そうよ。フィリックス様は手ひとつ触れなかったらしいわ。そして、後日そのご令嬢とすれ違っても、目線ひとつ合わせることもなかったようよ。」
「まあ……。」
「それからよ。令嬢たちがフィリックス様に近づかなくなったのは。
なんでも、フィリックス様には思い人がいらっしゃるけれど、その方はとても恥ずかしがりやで愛らしい人だから、フィリックス様に自分から話しかけたりはしないだろう。もしかしたら私かも……って。これまで散々近づいていたというのにね。」
リーシャと同じように驚いていたマティアスが、「くくくっ」と笑い声を立てた。
「フィリックス先輩は意外と策士なのですね。」
「私もそう思うわ。自分がフィリックス様の思い人かも……と思いたい令嬢であればあるほど、フィリックス様に近づけないもの。
でもね、あれから1年以上経っているけれど、フィリックス様が思い人に思いを告げた様子はないわ。やっぱり、令嬢たちから逃れるための方便だったのかもしれないわね。」
そう言って、エミリアは肩をすくめた。
(もしかして……とは思うのだけれどね。)
エミリアはその言葉を心の中のつぶやきとして、今は我が身に閉じ込めておくことにした。
リーシャが食べ終わると、デザートと飲み物が運ばれてきた。愉しそうに目を細めながら孫たちの話を聞いていたフランツの眦がここ一番に下がった。そんな夫を見てルイーズも微笑んでいる。
今日は、ベリーとクリームチーズを練り込んだアイスクリームと、生アプリコットのタルトだ。生のアプリコットを食べられる期間は短く、この時期にしか食べることができない。リーシャも大好きなスイーツのひとつだった。それなのに、リーシャは先ほど頭に浮かんだフィリックスの包み込むような柔らかい笑顔がちらついて、全く味がしなかったのだった。




