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マティアスの耳にその音色が聴こえたのは、剣術の鍛錬場を出てすぐのことだった。今日は剣術の授業が終わるのが遅かったから、リーシャが中庭で待っているだろうと思うと、気が気じゃなかった。
ローゼリア王女と一緒に居ることが多いというだけで、人目を引いてしまうというのに、王女と並んでも遜色ないリーシャは、学年を超えて知られるようになっていた。放課後の中庭にわざわざ来るものはいないだろうが、魔術棟で他学年の授業があっていないとも限らない。
リーシャがマティアスを待っていることをチャンスとばかりに近づく輩がいるかもしれない。それに、一緒に剣術の授業を受けている同級生たちも、あわよくばリーシャと近づきたいと願っている。誰よりも早く行かなければと、マティアスは手際よく片付けた後、急いでリーシャのもとに向かっていたのだった。
(ん?何か聴こえる。……笛?リーシャが笛を吹いている。しかも、魔力がのっている!)
慌ててリーシャの待つ中庭へ駆けよった時、まずマティアスの目に飛び込んできたのは、リーシャではなく、立ち尽くしているフィリックスの姿だった。
(誰だ、あいつ!気づかれない場所からリーシャを見ていたのか!?)
明らかに上級生とわかるフィリックスであったが、リーシャに近づくものは容赦しないとばかりにマティアスはフィリックスに近づいた。しかし……その表情を見て足を止めてしまった。
(え……泣いているのか?)
掴みかからんばかりの勢いのマティアスだったが、フィリックスの頬に伝う涙に目を見張った。
「フィル!」
慌てたような声がして、男子生徒がフィリックスに近づく。それを見て、マティアスは木の陰に隠れた。身を隠す理由がないにも関わらず、とっさに隠れてしまったマティアスは、なぜ自分がそのような行動をしてしまったのかわからなかった。しかし、自分がその涙を見てしまったことを、上級生に気づかせてはいけないように思えたのだ。
涙を流す上級生に駆けよったのは、同級生と思われる男子生徒だった。涙を流すフィリックスをかばうようにして魔術棟の方へと連れていくのを、マティアスはこっそりと見送った後、リーシャに近づいた。
「マティ!遅かったのね。」
「待たせてごめんね、リーシャ。今日は帰りにリーシャの好きなお菓子を買って帰るんだったよね。早く行こう!」
マティアスが手を差し出すと、リーシャは嬉しそうに握り返してくる。リーシャが、上級生に気づいていないことに胸をなでおろす。
(わざわざ伝える必要もないだろう。)
笑顔を浮かべるリーシャに、よけいな心配をさせる必要はない、とマティアスは今見たことを胸の中にしまい込んだのだった。
フィリックスを支えながら魔術棟へと向かっていたアランだったが、魔術棟よりも手前で、ザイツが別の方角から歩いて来ていることに気がついた。
「ザイツ閣下、魔術棟にいらっしゃったのでは?」
「アラン、学校での敬称は先生にしようか。
さっきまで魔術棟にいたのだけれどね、ちょっと気になる気配があったものだから。それより、フィリックスはどうしたんだ?何があった?」
まだ呆然としているフィリックスを見て、ザイツは眉間にしわを寄せた。
魔術棟までフィリックスを運んで長椅子に座らせると、ザイツは額に手を当て、小さく術を唱える。フィリックスが眠ったのを確認すると、そのまま静かに横たわらせた。
「もしかしたら、彼女に会えるかもしれないと言って、フィリックスは先にこちらに向かったのです。おそらく、彼女を見ていたことは間違いないのですが……。わたしが駆け付けた時には、このような状態でした。
笛の音が聴こえてきていたのですが、先生が気になったというのは、あの笛の音ですか?」
「ああ。笛の音も聴こえてきていたね。どうやらリーシャが吹いたようだ。そちらも気になったのだが、明らかに生徒らしからぬものが様子を伺っている気配を感じてね。そちらの方を先に押さえなければと向かったのだが……。」
ザイツはアランと話しながら、フィリックスから離れた場所へ移動し、アランに座るようすすめる。
「学園の関係者でしょうか?」
「いや、急いで駆けつけたのだが、すでにその場から立ち去っていたよ。ご丁寧に、追跡できない術までかけてね。学園もなめられたものだ。」
「あの場にはフィリックスと、リーシャ嬢しかいなかったはずです。リーシャ嬢の双子の兄は、わたしと同じくらいに来たのを見ましたので。……とすると、その者はフィリックスかリーシャ嬢のことを探っていたことになりますね。」
「ああ。学生はフィリックスとリーシャ、後から来たアランとマティアスの気配しか感じなかったから、フィリックスかリーシャの様子を探っていた可能性が高いね。」
「わたしがフィリックスを先に行かせずに、一緒に来ていれば……。」
フィリックスとアランは、お互いに養子に入ったため従兄弟同士の関係となっているが、本来はアランとフィリックスに血のつながりはない。そして、アランがフィリックスに仕える護衛だということはごく一部の者が知ることで、ザイツはそのことを知っている数少ないひとりだった。
「これまでに、こういうことは?」
「わたしが気づいた限りでは、ありませんでした。」
「そうか……。」
悔しそうな様子のアランを前に、ザイツはしばらく考える素振りを見せる。
「様子を探られていたのが、ふたりのうちのどちらかはわからないが、用心するに越したことはないだろう。わたしから国王に話しておこう。必要ならば、影をつけるし、学園を守る結界をいじる必要があるかもしれないね。」
「はい。」
「それから、フィリックスの状態だが……。おそらく、リーシャの笛の影響かもしれない。あの笛の音には魔力がのせられていたから。」
ザイツがチラリと長椅子で眠るフィリックスに目を向けたのにつられて、アランもその視線を追った。魔術で眠らされているせいか、フィリックスが起きる気配はない。
「わたしも少しだけ笛の音を聞いたのですが……昔の出来事が頭の中に過って、懐かしさと共に悲しみの感情が駆け巡りました。フィリックスの状態を見て、このまま溺れてはいけないと我に返りましたが。」
「わたしも懐かしい昔を思い出したよ。わたしの場合、悲しみは感じなかったが……。
彼女の笛の音には、感情に作用してしまう何かがあるのかもしれないね。それもわたしの方で調べよう。」
「ありがとうございます。」
「では、フィリックスを起こすとしようか。もしかすると、しばらく影響が残るかもしれないが、気になることがあれば、いつでもわたしに知らせてくれ。」
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