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緑の木々が、ほどよく生い茂った中庭のベンチ。木漏れ日が差し込みキラキラとその場を照らしている。ここは、校舎と剣術の鍛錬場と魔法を練習するための魔術棟のちょうど分かれ道に位置する場所。
その中庭のベンチにリーシャはひとり座っていた。
(マティ、今日は遅いわ……)
マティアスが魔力制御のための特別カリキュラムをリーシャと一緒に受けるのは週に1回のみ。残りの2回は、リーシャが特別カリキュラムを受けている間、マティアスは剣術の授業を取っている。
マティアスとリーシャは一緒に帰るため、暖かくなってからは、馬車乗り場に近いこの場所で待ち合わせることにしていた。いつもはマティアスの方が先に終わって待っていることが多いのだが、今日は鍛錬場から人の来る気配が一向にない。
木漏れ日が、朝日にきらめく風龍の銀緑の鱗をリーシャに思い出させる。
(ヴィル、元気にしているかしら。わたし、魔力をずいぶん制御できるようになったのよ。)
学園に入学して半年。こんなに長く風龍ヴィルフリートに会わないことはなかった。
木漏れ日の光で風龍ヴィルフリートを思い出したリーシャは、辺りを見まわして人がいないことを確認すると、胸にしまっていた笛をそっと取り出した。
父の形見であるこの笛は、不思議な笛だった。
7歳の披露目の式を終えた後にヴィルフリートから送られたこの笛は、手に取って少しだけ魔力を流すと、リーシャの手になじむ大きさへと変化する。うすい銀緑に輝く笛は軽く、その音は繊細であるのに遠くまで響いていく。金属ではない質感だったが、これが何の素材で作られているのかはわからなかったし、ヴィルフリートがリーシャに教えることもなかった。
ペイレール辺境伯領にいる時、リーシャは毎日のようにこの笛を吹いていた。リーシャが笛を吹けば、ヴィルフリートが嬉しそうな顔をする。飛翔に出かけていても、笛の音を聞けばリーシャの元へと帰ってきてくれていた。
(ヴィルに届くかしら……わたし、元気に頑張ってるわ)
歌口にそっと唇をのせて、笛に息を吹き込む。
ヴィルフリートを思い出しながら吹いた笛の音が広がる。リーシャはふと思いついて、ほんの少しだけ、笛に魔力を送ってみた。広がる音色とともに穏やかな風が吹き、まるでリーシャの笛の音を喜んでいるかのように、やさしい葉擦れの音が聴こえてくる。
♪*♪*♪
クライバー侯爵家のフィリックスは、この日、ザイツの特別授業を受けるために、魔術棟へと向かっていた。今年、中等部の3年生となるフィリックスは、その魔力量の多さから入学時に魔力制御のための特別カリキュラムを受講していたのだが、その時の講師は、ザイツではなかった。
「君たちは、わたしの最後の弟子だ」
そう言って、フィリックスとアランを可愛がってくれた前任の魔術庁長官ロレンツは、ザイツが筆頭魔術師に昇り詰めるのを待っていたかのように引退し、その長官の席を譲った。
「ザイツに引けを取らない程の魔力と才能がある」
ザイツも育てたというロレンツは、そう言って神器をつける程の魔力を持つフィリックスを誉め、嬉しそうにザイツを教えた時のことを話しながら、フィリックスたちを鍛え上げたのだった。
その師匠から連絡が入ったのが先日。
『ザイツがフィリックスの特別授業を引き受けた。授業が終わった後、魔術棟で鍛えてもらえ。詳しくはザイツから聞くように。ロレンツ』
味もそっけもない手紙が届いた時にはさすがにフィリックスも驚いたが、手紙に書けないこともあるのだろうし、何よりこの用件のみの手紙が師匠らしいと思えた。
魔術棟と剣術の鍛錬場との分かれ道に差し掛かった時、目的の人物が見えて、フィリックスは目を細めた。緑の木々がほどよく生い茂った中庭には、木漏れ日が差し込み、そこに座る人物をキラキラと照らしている。
フィリックスはリーシャから見えないように、そっと木陰に身を隠した。
(あの時も、そうだった……)
初めて会ったあの日と同じように、木漏れ日の光を纏ったリーシャは、舞い降りてきた妖精のようだった。しかし、リーシャにはあの頃の記憶がないとフィリックスは聞いている。だから、フィリックスはリーシャと近づきたい思いを抑え、学園ですれ違っても声もかけず、ただ見守るだけにしていた。
しかし、いずれはその距離を縮めたいと思っているのだ。今はまずは自分という人物を認識してもらおうと、できるだけたくさん偶然を装ってすれ違うようにしている。そのために、フィリックスはリーシャとクラスが同じローゼリア王女に時間割を教えてほしいと頼み、大いに呆れられたのだが……。
「フィリックス様、バレたら確実に引かれますわよ……。」
ジトリとした目でフィリックスを見たものの、フィリックスのリーシャへの想いを知っているローゼリア王女は、「仕様がないですわね」とため息をつきつつ教えてくれたのだった。そして、そう言いながらもローゼリア王女がリーシャと一緒に昼食を取る時には、フィリックスの近くの席に座ったりしてくれている。
小さい時も妖精のように可愛らしかったが、成長したリーシャは可憐さを増していて、フィリックスの目にまぶしく映った。時折聞こえてくる話し声も、小さい頃に会った時のような子ども特有の高くて甘い声ではなくなっているが、柔らかくて心地がいい。アランからは「聞き耳立てるとか、気持ち悪い」と言われるが、聞き耳は立てていない。聞こえてくるのだとフィリックスは反論している。
今日だって、魔術棟で特別カリキュラムを受講した後、リーシャがマティアスを中庭で待っているとローゼリア王女から聞き出したフィリックスは、まだ帰り支度を終えていないアランおいて、教室を飛び出してきたのだ。しかも、マティアスはまだ来ておらずリーシャがひとりという状況だった。
(今日は、リーシャの近くを通るときに、声をかけてみようか。しかし、初めて出会った日のように知らない人が現れたと驚かせてしまうわけにもいけない……。)
フィリックスは、距離を縮めるために一歩踏み出してみようかと思案する。しかし、昔初めてリーシャと会った日に、驚かせてしまって声を聞けなかったことを思い出して、木陰から出ていくのをためらっていた。
(このままでは、アランが来てしまう。上級生ふたりから声をかけられたとなると、ますます驚かせてしまうかもしれない。声をかけるなら、アランが来る前しかない。)
フィリックスがそう決心し、足を踏み出そうとした時だった。
透き通るような音色が聴こえてきた。
(リーシャが吹いているのか?あれは……笛……?)
フィリックスを笛の音が包みこむと、懐かしい思いがフィリックスの身体を駆け巡った。
(そうだった。あの後、リーシャは父親にしがみついたまま一言も話さなかったが、時折僕の方に視線を向けて…………。ん?僕とリーシャはあの時話していない。なのに、僕はリーシャの声を覚えている。いったい、いつリーシャと話したんだ?なぜ、僕はリーシャの声を覚えているんだ?)
笛の音が遠い記憶を呼び戻そうとするのに、フィリックスの頭の中は霧がかかったかのようになっていて、記憶をたどることができない。大切な何かを忘れているのに、記憶に触れることすらできないのだ。
フィリックスはリーシャの方へと歩み出そうとしていた足を止め、その場に立ち尽くした。
読んでいただきありがとうございます。
『木漏れ日の中で佇む女の子』と『緑銀の笛』、このふたつの映像が頭に浮かんできて、この物語が生まれました。




